あれから今日で32年が経った。日航ジャンボ機墜落事故。前年の7月に初めての娘が生まれ生後一週間で突然この世を去り、事故のあった年の9月初旬には長男が生まれた。
昭和60年8月12日。自宅で臨月に入ったばかりの妻と高校野球のその日の最終試合を見ていると空からバリバリというものすごい音が聞こえてきた。「何事だ?」と思い外に出て見上げると、ものすごい数の自衛隊のヘリコプターの編隊が我が家の上を過ぎて行く。「戦争が始まる・・・」その数年前まで沖縄に住んでいた私と沖縄生まれの妻は一瞬そんな錯覚にとらわれ震え上がった。
やがて、テレビの画面に日航機123便が消息を絶ったというテロップが流れた。
我が家は自衛隊入間基地と御巣鷹山のある長野県上野村方面の航路のほぼ真下なのだ。
それより2年前、昭和58年9月1日には大韓航空機がソ連の戦闘機によって撃墜され、私の弟の友達の姉が命を散らしていたので「もしや?」などという思いも頭の中をよぎった。
やがて時間と日を追う毎に事故の大きさと、犠牲者の多さ、生存者の状況が報道されはじめた。
数ヶ月経ち、事故そのものの報道から、事故原因、遺族の悲しみへと報道が移っていく。私の好きだった坂本九さんも犠牲となられた。新聞を見ては涙し、テレビを見ては嗚咽し、なぜだか人ごとではなかった。
あれから32年。どれだけ涙を流したことか。横山秀夫さんの「クライマーズ・ハイ」を読み、映画も見てあらためて胸をつまらせた。あの時ほどでは無いにしろ、やはりこの日をむかえると涙があふれてくる。今日も高齢になられた遺族の方々が、御巣鷹山に登られている。
我が家の長男は日本中にその報道が飛び交うひと月後、無事に誕生した。この子の年齢と事故の時の流れは同じなのだと、8月12日を迎える度に思う。
あらためてご冥福をお祈りしたい。合掌。
はじめまして、興味深い内容拝見しました。お子様の年齢が事故から何年ということになるわけですね。
私は、九州福岡で、たまに山登りするものです。たまたま、記事を拝見し、日航ジャンボ機墜落事故の生々しい内容に興味を持ちました。
実は、知り合いのNHKの元記者が、事故のニュース速報が19時前にあったというのですが、公式には19時26分になっています。何故そうなるか不思議ですが、何人かは19時前にあったと記憶しているようです。
そこで、知り合いやブログで日航ジャンボ機関連の記事を書いている人に質問しています。ニュース速報は何時にありましたか?また、ヘリの編隊は何時に山岳地帯に向かいましたか?
コメント欄から失礼かもしれないのですが、是非とも、その日のことを詳しく教えていただけたら嬉しいです。
是非とも、よろしくお願いいたします。
nekosima さん
アクセスをありがとうございます。
報道時刻については定かではありませんが、入間基地からの自衛隊ヘリが我が家の上空を過ぎていったのは、記憶違いで無ければ、まだ、高校野球の中継を見ていた時だと思います。おそらく、18:30〜19:00の間ぐらいだったでしょう。
1985年8月12日の我が家周辺の日の入り時刻は18:37でしたが、ヘリが飛んでいったときは、まだ明るく、機体が鮮明に見えました。記憶としては日没前ですが、日没して残照はあったとしても、墜落時刻の18時56分30秒よりは前だったと思うので、墜落前には編隊は捜索に出ていたのではないでしょうか。
それから少して、高校野球中継の画面に日航機が行方不明のテロップが流れました。曖昧な記憶ですが、19時前後には流れたと思います。テロップは野球中継の画面に流れましたので、この日の最終試合の終了時間が分かれば、それ以前ということになりますね。
曖昧な記憶で申し訳ありません。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する