「日本百名山」を目指しているわけではないのです。登りたい山をピックアップして計画をたてます。それがたまたま「百名山」あるいは「二百、三百名山」になるのです。(と自分では思っているのです。)
でも、気がつけば、特に意識していないはずだけれど、「どこの山に・・・」と計画を立てるときにどこかに「○名山」というレッテルがちらついてしまう。「今度は○○山と△△岳のどちらに登ろうか?」と迷ったときにそのレッテルがちらつくのです。百名山になるとそれはなおさらのこと。結局、「○○岳は百名山だからそっちにしよう。」となってしまうことが多いのです。
もちろん、無名峰よりも百名山のほうが登山道が整備されているという理由もあります。道なき道を・・・というのも時として面白いのですが、へなちょこな私はついつい整備されている方を選んでしまう。哀しい性です。
深田久弥氏の「日本百名山」や田中澄江氏の「花の百名山」も読んではみましたがあくまでもそれぞれの思い入れや価値観での「名山」。それは分かっているのにその呪縛にやはりっかってしまっているのです・・・
todora5502さん、
おはようございます。
私は、低山里山が大好きと事あるごとに言っていますが、正直言えば百名山に登りたくて登りたくてしかたありません。だけど、色々な事情から登ったのは今のところ7座のみです。
低山を歩くことは本当に楽しいです。でも、金峰山や甲武信ヶ岳から得られる眺望は、低山から得られるそれとは全く次元が違いました。雄大な山の稜線も然りです。見たことのない高山植物や珍しい動物なども、この目で見てみたいと思ったりもします。
それではまた😊
fgackty さんコメントをありがとうございます。
低山もそれぞれの魅力があってよいですね。私は子どもの頃は(というより50才ぐらいまで)低山によく登っていました。どのぐらいの高さまで「低山」か?というと人それぞれ違うでしょうが、1000m前後の感覚が自分にはあります。里山も、その中で育ったという環境で、家そのものがすでに里山的なところですのでその魅力も十分に味わっています。が、おっしゃるとおり百名山のような高い山からの展望は、苦しい思いをしながら登った後の言い尽くせない感慨がありますね。
「百名山にとらわれないように、百名山にこだわらない」といつも思いますが、そう思うこと自体、呪縛にかかっているのでしょうね。
todora5502さん、はじめまして。
日本百名山に限らず、〇〇百名山に選ばれるのは何らかの魅力があるからで、それを参考にして登る山を選らんでも気にする必要はないと思います。
私は常々、アンチ日本百名山みたいな事を言う事が多いのですが、それは、単に安易なルートで登って、スタンプラリーみたいに幾つの山頂を稼いだとか自慢げに語るような風潮に疑問を感じるのと、百名山というだけで人が集中するのが嫌なのです。
guchi999 さん
ありがとうございます。おっしゃるとおり確かに魅力があるのですよね。私も、ただ単にピークハントをして何座登頂したかという登り方はしたくないなあと思っています。その方法も目標としては人それぞれですから否定はできないのですが。ピークを目指すのでもその行程やどの登山道を使うか、より楽しみながら登るにはどのコースがよいのかなどはしっかりと計画を立てながら山旅をしたいと思います。
要するに自分が楽しみながら(計画や準備の段階を含めて)その山旅をしているかどうかということなのでしょうね。コメントをいただきなんとなく呪縛から逃れられそうな気がしてきました。
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