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監督はフランシス・コッポラでした。
衝撃的な映画でしたから、記憶してる人も多いと思います。
この映画公開の頃の山歩きはバックパッキングとフリークライミングの大流行で、それまで定番スタイルだったチロリアン帽子とニッカーボッカーは、ほぼ全滅してしまいました。
伝統的な山登りが大きく変化した時代でもありました。
私の山登りがそれに影響されることはありませんでしたが、帽子が野球帽形に、ズボンが筒切りのスラックス形に変わりました。
ズボンの裾が邪魔になったり汚れたりするので、スパッツの出番が増え面倒になったことを思い出します。
倅が5歳から11歳までの間、時々子連れ登山を楽しんでいました。
映画の公開された1980年に倅は小学2年でした。
「地獄の黙示録」を観たのはそんな時代でした。
映画は戦争の狂気を描いていました。
コッポラ監督には、非日常な事が戦争で日常茶飯事になる不条理を告発する意図もあったと思います。
劇中に極めて印象的なシーンがありました。
暁の戦闘ヘリコプター部隊出撃のシーンで、低空を静粛モードで飛行する編隊が攻撃目標の集落を視認するや、一気にエンジン出力を全開にして高度を上げ、拡声器のスイッチを入れて大音響でワグナーの楽劇「ワルキューレの騎行」を流すのです。
この演出は功を奏し、クラシック・ファン以外の人たちにも「ワルキューレの騎行」のファンを増やしました。
部隊はどう見ても軍事施設には見えない海辺の茅葺の集落を襲い、大音響に驚いて外に飛び出してくる人々をゲームのように機銃掃射し、茅葺の屋根にロケット弾の雨を降らせます。
「ワルキューレの騎行」を流しながら殺戮と破壊の作業を終えたヘリコプターは燃え続く集落付近の砂浜に着陸します。
やっと出動した北ベトナム軍が集落の背後の林に展開して迫撃砲による反撃を開始し、波打ち際に水柱を立て始めても隊長は意に介さず、部下に自分の搭乗機からサーフボードを降ろすように命じるのです。
大波が絶好調なので、今すぐここでサーフィンをすると云うのです。
サーフィン中に砲撃が激しくなると、隊長はトランシーバーを取り上げ背後の林を焼き払うよう空軍に要請します。
すると、ものの数分で飛来した戦闘爆撃機が林に数発のナパーム弾を投下し、林全体が火の海になり、瞬く間に砲撃は沈黙します。
隊長はナパームの煙が漂ってくるとその匂いを嗅ぎ、「朝のナパームの香りは格別だ」と云って目を細めるのです。
映画は極めて衝撃的で興味深く心に強く残りましたが、アジア人の視点を欠いた後味の悪い作品でした。
バックパッキングとフリークライミングの流れは70年から80年の間にアメリカの社会風俗から生まれました。
「地獄の黙示録」のような映画が大ヒットとなる病んだ社会で、自由な放浪の旅や自由な登り方に若者達が憧れを持ち、それがアルピ二ズムにも影響したのではとないかと思うのです。
その頃、私は伝統的な山登りのままで、子連れウオーキングを楽しんでいたのです。ainakaren
renさん、おはようございます。
ニッカーボッカースタイルは1980年ぐらいで終わっていたのですね。
私はちょうどこの頃に山から離れ、20年後ぐらいに復帰した後もずっとニッカーボッカーで歩いていました。
そう言えば復帰後の山で何となく服装に違和感を感じたものでした。
今ではクラシックスタイルの登山者にはお目にかかる事がありませんね。
kenpapaさん、こんにちは。
私が現役の1950年代末頃にはニッカーボッカーが主流でしたが、当時盛んになり始めたゲレンデスキー用トレンカーのウールズボンがエラスチック化され、山用に使い易くなった事もあって、履く人が増えてきました。
山靴の中にズボン裾が完全に入り足裏のゴムバンドで安定しているので、小石や雪が靴に入りにくく、ゴムバンドを足裏から外してズボン裾を脹脛の上までたくし上げて留めると、ニッカボッカーとしても履くことが出来ました。
引退後の1970年前半までは、6対4でスキーズボンを履くことが多かったですね。
1970年代後半にバックパッキングが流行してくると、ニッカーボッカーとスキートレンカーは徐々に廃れていきました。
そして1980年頃には完全に少数派になります。
夏はショートパンツやジーンズで歩く人も増えてきました。
その頃クラシックスタイルが目立ちすぎて困り、私も帽子とズボンを変えました。
その後、ストックポールの流行が始まり、暫らくして熊鈴が流行し、又暫らくして、山スカートが流行して現在に至っているのです。
山歩きのスタイルの変遷も面白いですね。 ainakaren
こんにちは。
ご無沙汰しております。
私は、ニッカ世代ではなく、
フリークライミングやバックパッキングの黎明期も存じない為、
この日記に何かコメントするには、
登山歴も人生経験も浅すぎる若造ですが、
最近「山登りとは、アルピニズムとは、クライマー精神とは何ぞや」
という事を考えさせられる機会の多かった私には
最後の4行が深く心に響きました。
古き輝かしき時代の登山・現在の登山・これからの登山
を考える時、この日記は私が知らなかった大きなヒントを
もたらしてくれそうに感じました。
拝読できて良かった、そう思います。
そして、久しぶりに『地獄の黙示録』を観返してみたくなりました。
今夜は我が家にワルキューレの騎行が鳴り響く事になりそうです。
takecさん、こんにちは。
この日記は前に書いた3冊のバックパッキング最盛期の本の紹介と、その時代のアメリカの社会や文化など背景をあらわす代表的な映画を紹介する何本かの日記の完結の日記として書きました。
登山状況の変化を書きましたが、それについて意見が有る訳ではありません。
時の流れによって物事は変化します。
登山も例外ではありません。
昔の登山、今の登山、未来の登山、凡てその時代に即した登山でしょう。
誰でも自分が活発に活動していた頃が、一番懐かしいだけなのです。
「ワルキューレの騎行」ですが、私は「地獄の黙示録」を観て以来、ワグナーを自ら聴くことがなくなりました。
理由は自分でも解らないのです。ainakaren
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