術後3回目の山歩き。
今回は40年前に散々通った松木沢の岩場の上にある中倉山へ行ってきました。
今回は先輩の奥様も一緒なので道のあるルートを選びました。
林道を歩いているときはもう帰ろうかしらと思うほど絶不調でしたが、我慢して歩いて稜線に出たら、少し元気になりました。
目的は話題の山毛欅の木の下でミルで豆を挽いて珈琲を立て4人で寛ぐこと。
その辺の荷物はかみさんが背負ってくれました。
幸い予想以上の好天に恵まれ、そよ風を受けながらおいしいキリマンジェロを飲むことができました。
私たちは10年ほど前に松木沢の奥から国境平に上がり、皇海山、庚申山と歩き、あの地獄のような景色が緑化されつつあるのを知っていましたが、先輩はのけぞっていました。
あの精錬所はほとんどなくなり、宿舎も姿を消し、巨大な堰堤を目の当たりにして、昔の記憶をたどるのに苦労しているようでした。
当時は巨大堰堤(銅親水公園)などなく松木沢と久蔵沢の合流点で河原に降り、工事用の道路とH鋼を2本渡しただけの仮設の橋2回ほど渡りジャンダルム直下まで車で入りました。
周りは亜硫酸ガスで樹木は涸れ白骨化し、土壌も剥げ落ち、不安定な岩がむき出しでした。
そこを自由気ままにルートを取り岩登りのトレーニングをしました。
グレードは4級が精々ですが、岩は鋭角、浮石だらけ、ハーケンを打つとリスが広がってしまう非常に難しい岩場でした。
JECCルートとか、第二次RCCルートとかもあったのを覚えています。
私かここでザイルを一本岩の鋭角で切断してしまったことを鮮明に覚えています。
幕営して大体3ピッチぐらいのルートを何本も登るのですが、ある時岩場からテントを見下ろすと知らないおじさんが、テントに潜り込んでいる。
降りてきてテントの中を確認すると楽しみにしていた未開封の桃屋のメンマが空になっている。これを我々はメンマ事件という。
同じく岩場を登っているとき幕営地にカラスがたむろしている。
終了後被害状況を確認すると水流に沈めておいた豚肉がすべて食われ、1リットルの牛乳パックが穴だらけになり、牛乳がなくなっていた。これをカラスの幕場荒し事件という。
同じく岩壁上部より下を見ると幕場近くに人だかりがある。
終了後いつもの様にガストン岩に遊びに行くと
(今でいうボルダリング。ガストンレビュファに因んでつけた大岩)
なんと岩のバンドにおばさんが素っ裸になって大の字になっている。
そのおばさんを取り囲むようにおじさんたちがカメラのシャッターを切っている。
我々の神聖なガストン岩になんてことをするのだと、抗議の意味を込めて、おじさんたちと一緒に写真を撮ったら、撮るなら金を取ると凄まれた。
これを我々はガストン大の字事件という。
今モスクワに単身赴任している後輩がジープを手に入れ、よせばいいのに松木沢と久蔵沢の合流点でジープの走破力を試していた。
結局4輪ずべてがスタックして町までとぼとぼ歩いて鬼怒川温泉のおじさんの家に窮状を訴えた。
すると地元のユンボがやってきて引っ張り上げてくれた。
もつべきものは地元で有力な親戚。
これをユンボ事件という。
松木沢で遊んでくたくたになっての帰り路。
日光有料道路の料金所で前の車が料金所でお金を払ってスタートするかと思たら急停止。
釣銭を落としたらしい。
我々は運転する後輩以外は爆睡状態。
しっかりおかまを掘る。
当時はシートベルトなどしていないから、全員どこかをぶつけて「痛い痛い」わめきながら「何があったんだよー」と車から降りる。
小さな古い車パブリカスターレットからむさくるしい若い男が5人降りてくるのを見た追突された被害者である老夫婦の車は逃げて行った。
これを悪いはこちら事件。
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