若いころ野辺山で2シーズン働いたことがあります。
キスリングを背負っていきなり野辺山開拓農協に行ってそこの組合長の牧場で働き始めました。
初日ぐらいゆっくりできるかと思いましたが、いきなりキャベツの収穫に駆り出されました。日の出とともに起きて牛の世話、畑の雑草取り。
昼間は苗作りから、苗植え、雑草取り、段ボール箱造り、収穫と出荷。
夕方からはまた牛の世話。
赤岳山頂の小屋の明かりが見えるとその日の仕事は終わり。
そして赤岳に初雪が降ると畑仕事は終わり農閑期に入ります。
正確には覚えていませんが、川上村は小河内ダムに沈んだ集落の人たちが移住してきて、野辺山は満州からの引揚てきた人たちが、木を切り倒し、根を掘り起こし、石をどけて開拓した農地。しかし嫁不足から後継者不足で私の働いた牧場も、博打性の高い高原野菜から手を引き、ついに乳牛飼育からも手を引き引退されました。
そのような厳しい農業ですが、働いているときはこれぞ芸術で農業、間違いない労働だと思いました。
結局はサラリーマンになったのですが農業の夢は捨てきれず、農業委員会に出向いて就農の可能性を探りました。
但しサラリーマンが務まらず田舎に逃げたと思われたくないので課長になるまで待ちました。
東京の農業委員会はGHQの裏にありました。
お前はいくつだ。(笑)
今は建て直した第一生命ビルの裏にありました。
「君はどんな作物を育てたいのですか。」
「ハイきぬさやエンドウ」
「またどして」
「軽いから」
「資金はあるのか」
「ありません」
「3年間は収入がないので10,000,000円は資金が必要ですね。」
と言うことで百姓になることは諦めました。
当時は農家で働きたいといえば引く手あまた。衣食住を提供してくれました。
ただ一歩間違えばロシアの農奴。
と言うことでサラリーマンを引退した後はせめて山の見えるところで暮らしたいとなったわけです。
おそらく春夏秋冬同じ場所を写されたのだろうとは思ってましたが(どこの山の中の岩かな?)ぐらいにしか考えていませんでした
今しがたグイッと引き伸ばして見たら、なんと一度訪れたいと思ってる憧れの場所じゃありませんか?
何年か前丹波山村まで行ったのに道路状況が悪いと聞いて泣く泣く諦めました
初めて写真集を見た頃より年々崩れているなと(他の方のレコで)思い、崩壊する前に行きたいと思ってます😄
washiokenさん
https://www.yamareco.com/modules/diary/93584-detail-83923
この件ですね。
もう30年程前の写真になります。
当時は今の季節一面アヤメの園でした。
翌年には鹿に見つかり櫛形山と同じ運命になりました。
当時キャビンと荷台の間から生えていた樹は切り倒され、今はまた違う樹が以前より大きく成長しています。
一番近いのは広瀬ダムの手前にある白沢橋から登る峠道で、楽しいのは柳沢峠の手前から入る斉木林道です。どん詰まりが別荘開発跡地で手前から入ります。林道を歩いてもたいした時間はかかりません。MTBだとトラックまで早いです。スキーは大変でした。
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