折立〜薬師岳〜黒部五郎〜双六岳〜新穂高
- GPS
- 104:00
- 距離
- 45.1km
- 登り
- 3,650m
- 下り
- 3,903m
天候 | 晴れたり曇ったり雨だったり。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
左程の危険個所はありません。 |
写真
感想
2009年、今夏のメインイベントとして北アルプスの百名山で唯一残った山、黒部五郎岳を選んだ。黒部五郎岳だけでは勿体無いので、ちょっと欲張って薬師岳と笠ヶ岳にも登ることにした。薬師岳山荘、黒部五郎小舎、双六小屋、笠ヶ岳山荘に泊まる4泊5日の行程であるが、山に入る前にどうしても富山で一泊する必要があり、全部で5泊6日の長旅となる。7月30日(木)の午後と、土日を挟んで3日間の夏季休暇をとった。7月30日、3時7分発のワイドビューひだ13号で富山へ。いつぞや寄ったことのある駅前の鮨屋「昌五郎」で夕食。相変わらずの大声に送られて駅前のホテルに帰る。
翌朝4時に起床、コンビニでオムスビを買い、5時前に富山駅前のバスセンターに行く。すでに折立行きの直通バスが待っていて、名前を云って乗り込む。出発前にホテルで作ってもらったサンドウイッチを食べ、5時10分に出発。乗客は少なく、ザックを別の席に置く事が出来る。途中、有峰口で数人が乗車するがそれでも空席がある。大型バスの運ちゃんは時々マイクで案内をし、グネグネの狭い山道を、いくつものトンネルを抜け慣れたハンドルさばきで上って行く。富山駅からおよそ2時間で広々とした折立に到着。先日修理をしたばかりのダブルストック、もう一方のストックの3段目が固定されないので、ちょっと短めではあるが登りだからまあ良いかと、2段だけでにして使うことにする。7時半、「太郎山を経て薬師に至る」と書かれた大きな柱の立つ登山口に入る。ブナの林の中の急な太郎坂をジグザグに登って行くと直に汗が出てくる。わたしの持っているうちの一番大きいザック、中身は少なくしてきたつもりだが15kg、ずっしり重い。15分程登ったところで長袖シャツを脱ぎ、Tシャツだけになる。5人組が元気良くわたしを追い抜いて行く。昨日まで雨が続き、北九州や山口県では集中豪雨の被害が続出し、高山方面にも警報が出され、ひょっとすると高山線が不通になるのではないかと案じられた程だったが、わたしの念力が通じて今日は晴れ。Tシャツ一枚でも汗は止まない。50分程登った所でひと休み。下ろしたザックの背は汗で濡れている。あっという間にペットボトルのお茶が空になる。ゴゼンタチバナに混じってキヌガサソウが一輪。ゴゼンタチバナに似ているが花弁が6〜7枚と多い花、これは何かな。針葉樹林の登山道をさらに30分登ると標高1871mの三角点、先に行った5人組が休んでいる。京都と奈良から来たという女性2人、男性3人のグループで、そのうち一人は登山を始めてから4年目だと云う。一度下りとなってさらに登り、樹林帯を抜けると広々とした草尾根の中に続く道、道の両側には丸太が並び、植生中の登山道となる。小石がゴロゴロする歩きにくい道なので、傍らの植生ネットの上を歩く人が多く、植えられていただろう草花は壊滅状態。わたしはマナーを守って歩きにくい道を登る。階段状の道は程々急である。5人組の4年目の女性がかなりへばっているのを横目に追い抜く。まさに兎と亀である。今日は薬師沢で泊まり、明日は雲の平から黒岳に登る予定であると云っていたが、果たして登れるのかなとちょっと心配。イワツメグサ、キンコウカが咲き、ニッコウキスゲやコバイケイソウの群落が霧に霞んでいる。薬師岳はガスでおおわれて姿を現さない。所々にベンチがあり、その度に休み休み進む。シロバナタテヤマリンドウ、ミヤマリンドウがきりっと咲き、ハクサンイチゲの群落、チングルマは花と稚児車が混じり合っている。緩やかな登山道であるがこれが結構シンドイ。朝食が早かったのでお腹がすいてくる、11時も過ぎたところで道端に腰を下ろし、昼食とする。誰もいない高原のお花畑の中、澄んだ空気をたっぷりすいながら食べるオムスビの旨いこと。さらに緩やかに登って12時25分、太郎平小屋に到着。そのまま休むことなく小屋の前を通り過ぎて木道に入る。ウサギギク、ヨツバシオガマ、トモエシオガマが咲く太郎兵衛平、小さな池塘が点々と輝く。太郎兵衛平を下って薬師峠のテン場に降り立つ。太郎平よりも美味いという水場でたっぷり冷たい水を飲み、水筒に水を注いでポカリスウェットを作る。テン場からの登りは樹林帯の岩が重なる急登で、水の通り道となっている。30分程登ると枯れ沢となり、間もなく薬師平の木道が現れる。ケルンでひと休み。薬師岳を仰ぎ見て、小屋は一体どの辺りにあるのだろうと探すもそれらしきものは見えない。薬師平はすぐに終わり、再び樹林帯の急坂を登る。樹林帯を抜けると広い山腹にお花畑が広がる。ミヤマダイコンソウ、アオノツガザクラ、コイワカガミ、イワイチョウ、オタカラコウ、イワオトギリ、ミネブオウ、斜面をうめ尽すほどの花々にスゴイスゴイと疲れも吹き飛ぶ。ガスの中に小屋がボ〜っと見え、予定通りの3時少し前に本日の宿泊先である薬師岳山荘に到着。玄関先に腰を下ろして靴紐を解いていると、熱いお茶が出される。うわさの女主人は愛想無いが、山小屋でお茶が出されたのは始めてのこと、これでもうこの小屋はマル。急な階段を、ロープを握って屋根裏部屋へ上る。今夜の宿泊者は少なく、「3東」という一角を割り当てられる。天井からポリ袋がぶら下がっている。それも一個や二個ではなく、何十もの数のポリ袋である。良く見るとこれらは全てピンで留めてあり、中には水が貯まっている袋もある。どうやら雨漏りを受けているようだ。荷物を整理していると雨が降り出し、頂上まで登る気力はしぼんでしまう。ペンチを借りてストックを修理。無事固定可能となり、これで明日からのストックの心配は無い。5時からの夕食は一階で、わたしも含めて20名ほど。これが本日の宿泊者全員。広島のおばちゃん達が、「じゃけん、じゃけん」と、辺りかまわず汚い言葉で話している。明日は五色が原山荘まで行く予定なので4時に出発すると云う。屋根裏に戻って寝る準備。壁際で風が漏れ入り寒いので、フリースを着たまま毛布と布団を被る。湿った布団が身体に重く、これは蹴飛ばして毛布にくるまる。明日は黒部五郎までの長距離だ、熟睡。
雨が屋根を叩く音で眼を覚ます。わたしの念力は一日しか持たなかったようだ。外はまだ暗いのにもう広島の人達はいない。さてわたしはどうしたものか、こんな土砂降りの中を黒部五郎まで9時間も10時間もかけて行く気にはならない。急に元気が無くなり、え〜い、ここでもう一泊するか。思案の挙句、今回は笠ヶ岳を断念し今日は薬師に登って太郎平小屋に泊まることにする。薬師も笠もと、ちょっと欲張りな予定ではあったな。笠ヶ岳は岐阜県の山、いつでも登れるが、こんなところまでくることはもう無いだろう。どちらに登るかと云えば、それはもう薬師、そして明日は太郎平小屋から黒部五郎小屋までならゆっくり出来るだろうと迷わず決定。今回は時間に余裕があるので好きなように変更が出来るのが良い。一番キツイ一日になる筈であったが思いも掛けず休養日。山荘の主人が云うには、広島の人達は取り合えず頂上まで登り、行けそうだったら五色ヶ原まで行くが、場合によっては戻ってくると云って出掛けたそうだ。朝食を食べるのはわたしを含めて二組だけ。ゆっくりと食べ、ゆっくりと歯を磨き、ゆっくりとカッパを着込み、ゆっくりとスパッツをつけ、ゆっくりとサブザックに水筒を入れ、それでもまだ5時50分、する事が無いので山荘を発つ。雨は小降りとなり、ガスはかかっているが標識を見落とす程のものでもない。重い足をゆっくりゆっくり、今日はな〜んにも慌てる必要は無い。赤茶けた岩がゴロゴロする広い尾根をジグザグに登る。振り返ると山荘の赤屋根が下に見えるがガスで遠望は無し。30分程で避難小屋に着くが、小さな石室で屋根は壊れて落ち、使い物にはなりそうもない。ここは東南稜との分岐、愛知大学山岳部13人の遭難慰霊のケルンが立っている。昭和38年1月、猛吹雪の中、この広い稜線で道に迷い、東南稜を下ってしまった13人、全員が死亡したと云う。「夏のシーズン中でも、いったん山頂部が濃い霧に包まれるとたちまちルートを見失ってしまう」と書かれており、ましてや厳冬期の猛吹雪中、視界を失えばこういう事態も起こり得る。わたしはGPSを持っているので、いざとなっても心強いだろう。岩屑ゴロゴロの広い山稜、どこからでも登れそうだが踏み跡を辿って登り、山荘から丁度1時間で山頂に立つ。大岩が積み重なった山頂の一番高い所に、さらに石を積み重ねて作られた四角い土台の上に立つ薬師如来を祀った祠。有峰の集落がダムに沈む前は、毎年6月15日に有峰の人々が信仰する薬師岳に登拝し、山頂の祠に鉄製の槍の穂をそなえる習わしがあったという。深田久弥はその鉄片を持ち帰り文鎮にしたというが、今はその跡形も無い。祠に参拝。 雨は止んだもののガスがかかり、金作谷カールの向こうに北薬師が見えるだけで、肝心の赤牛、水晶、鷲羽は見えない。昨年、水晶岳に登った時に見えた重厚な薬師岳、今はその頂に立っている、こちらからも水晶岳が見える筈。しばらく山頂でガスが晴れるのを待つが一向に回復する気配は無く、ガスの中に隠れた山々の姿を想像するだけ。わたしは薬師は2度目、前回は立山からの縦走中ずっと快晴で、上の廊下を挟んで雲ノ平、黒部源流の山々、その向こうに槍・穂高・笠、そして立山連山と素晴らしい眺めであったことを思い出す。広島のパーティーにも会うことは無かったので五色ヶ原に向かったと思われるが、この程度の天候ならまず大丈夫だろう。わたしは山荘に戻ることにする。時折りガスが流れて、太郎山から北ノ俣岳が姿を現すが、黒部五郎は雲の中、一度も姿を現すことは無かった。薬師岳山荘の赤い屋根は勿論のこと、遠くに太郎平小屋の赤い屋根も見える。今日はあそこまで行くだけ、余裕。8時に山荘に帰り、食堂でコーヒーを飲みながらゆっくり過ごす。山荘の主人が、「今日は雨でキャンセルが多い」と嘆いている。玄関が開き、「アミューズで〜す。お世話になります」と声が掛けられ、おばちゃんがトイレを借りに入ってくる。ガイドも添乗員も顔に覚えが無い、どこのアミューズだろうと思っているとまた別の団体がやって来る。そろそろわたしも、8時40分、山荘を発ち下山開始。あちらこちらに目をやり、ブラブラとお花畑を堪能しながら下る。薬師平からの岩ゴロゴロの急坂は水の通り道。本来なら今日は黒部五郎小屋まで行く予定だったが、こんな道を時間に追われて下るのは大変だったろうと思いながら、これ以上はゆっくり出来ない程ゆっくり下る。テン場に降り立ち水場で水筒を満たしポカリスウェットを作る。暑くなってきたのでカッパの上着を脱ぐ。土が乾いているのでここら辺りは雨が降らなかったのかな。テントから顔を出している若者に、「昨晩はどうだった?」と聞くと、「大雨で大変だった」と云う。随分水はけのいい地面で、テン場としては最高の場所なんだろう。太郎平に登り、木道を歩いていると雨がぽつりぽつりと振り出すが、カッパを着るほどのものでもない。足早に歩いて11時半に太郎平小屋に入る。予約は無いが何も云われることも無く部屋に案内される。今日は予約だけでも一杯という事で布団は二人で一つと云う。玄関の公衆電話で、黒部五郎小舎の予約変更、双六小屋はキャンセルし新たに鏡平山荘に予約を入れる。黒部五郎小舎も双六小屋も鏡平山荘もオーナーは同じなので話しは早い。笠ヶ岳山荘にはキャンセルの電話を入れ、これで予定の変更は終了。自炊室で薬師岳山荘の作ってくれた弁当を食べる。竹皮に包まれたもち米のオムスビ、これは山荘で作ったものではなくこのままヘリで運ばれてきたものだろうか。ビールを飲んで、ウイスキーを飲み、気持ち良くなって1時に布団に入る。たっぷり昼寝をし、5時から食堂で夕食。食事後しばらく外で過ごし、ビールを飲みながら暮れなずむ薬師岳を眺めていた。そして7時過ぎには布団の中へ入るという山の生活、グウグウ。
翌朝、まだ暗いうちから起き出し、5時から朝食。外は雨、今日の降水確率は90%とのこと、今日も一日雨か、でも今日は行くしかない。太郎兵衛平まで来ているのでゆっくり行っても大丈夫だろう。カッパを着、雨用の帽子をかむり、スパッツを着け6時に太郎平小屋を発つ。太郎山へと続く登山道には傘をさして登る5人組のパーティーが見える。カッパを着ているのにわざわざ傘をさす理由がわからない。薬師沢へ下る道を左に分け太郎山に登る道、流れる水、右に落ちる水は有峰湖へ、左へ落ちる水は黒部川へ。これから登る北ノ俣岳は平ぺったく小高い山、これを左に見ながら木道を歩く。池塘が点々と輝り、花々が咲き乱れる草原、振り返って見る薬師岳は雲の中。木道は途切れ、石ごろごろの登山道は水の通り道と化している。広々とした高原と分かれて溝状の道となるが、平べったい山にしてはかなりの急登である。これをゆっくりゆっくり登り、最後のガレ場を登りきると広々とした台地に出る。風が強くなりフードをかむる。ここはハクサンイチゲの大群落。霧に霞んで見えなくなるまで斜面一面を被い尽くし、いまが盛りと咲き誇るハクサンイチゲ。まさに天空のお花畑。やがて神岡新道への道を分け、これから先は富山と岐阜の県境の稜線。平坦な道を花々を楽しみながら歩いていると、向こうから傘をさした5人組がやって来る。まだ8時前、こんなに早く黒部五郎小舎から来るには一体何時に小屋を出たのだろうか。なのに、「遅れちゃった」と云っている。「どこから来たのか」と云うので、「薬師岳から」と答える。わたしの先に登っていった5人組と良く似ているなと思いはしたがそのまま別れて先に進む。ハクサンシャクナゲ、白地にピンクが色っぽい。ゆるやかに登り、北ノ俣岳山頂で小休止していると、後ろから先の5人組がやってきて、「あなたは何処へ行くのか?」と聞くので、「黒部五郎」と答えると、「じゃ、わたし達と一緒だ」、「???」。道を間違えたと思って逆戻りしたが、わたしが薬師岳から来たというのでまた逆戻りして来たと云う。「一緒に行ってくれませんか?」、わたしは全く自信は無いが、この認知症気味の連中、放っておいたらどこへいってしまうか心配。じゃ、一緒に行きましょう、という事になって7人のパーティーを引き連れて進む。わたしの後ろに赤いカッパのおばちゃんと3人のおばちゃん、最後におじちゃんという隊列。赤いカッパのおばちゃんは、立山から薬師、鷲羽・水晶から読売新道、いろんな所に登ったことがあると、口だけは達者である。北ノ股岳を緩やかに下り、先に見える山は何て云ったかな? おばちゃんが、「赤木岳」と云う。赤木岳への登り、最後尾のおじちゃんが段々遅れる。大岩が重なるちょっとした難所、おばちゃん達も遅れる。それを登りきったところが赤木岳、ここでひと休み。おばちゃんがお菓子を分けてくれる。聞くと、5人とも東京からやってきて、明日は鷲羽に登ると云う。でも、こんな調子で大丈夫かな、とちょっと心配。黒部川、奥の廊下を挟んで雲の平がせり上がり、赤い屋根の雲の平山荘もポツンと見える。雲の平の向こうには赤い赤牛、黒い水晶、そして鷲羽、黒部源流の山々が並んでいる。昨年辿った行程に目をやり、北アルプスも身についてきたなと満足感が涌いてくる。軽いアップダウンを繰り返しながら赤木岳を下り、広い中俣乗越で小休止。おばちゃんが呉れたみかんを食べ一息つく。乗越からの登り、これはまだ黒部五郎の前衛峰。頂上に登ると眼前に目指す黒部五郎が待っている。振り返れば、今朝発った太郎平小屋の赤屋根が遠くに小さく見える。北ノ俣岳、赤木岳からここまで続く稜線、何と長い道を歩いてきたことか。前衛峰からの下り、おばちゃん達がベチャクチャお喋りしながら付いて来る。いよいよ黒部五郎への登りにさしかかった途端、おばちゃん達は静かになるゆっくりゆっくりと登っているが、最後尾のおっちゃんは遅れ気味。遮るものの無い岩礫の山肌をジグザグに登る。腹も減って来たし、風の吹く中腹でひと休みして弁当を取り出す。竹皮で包んだ弁当は薬師岳山荘と同じ弁当屋のものだろう。さあ、あとひと登りだ。でもこれがなかなかきつい。最後尾のおっちゃんが大幅に遅れ、おばちゃん達が立ち止まる。おばちゃん達が、「どうぞ先に行って下さい」と云う。ここからまた引き返すということも無さそうなので、「小屋でまた会いましょう」と、5人組を置いて先に進む。間もなく黒部五郎岳の肩に到着。黒部五郎子舎まではカールを通って行く事にし、ここにザックをデポして右手の山頂に向かう道に入る。岩ゴロゴロの判りにくい道、丸印を探しながら登り、12時を少し回ったところで山頂に着く。大岩が積み重なった山頂には、ぽつんと「黒部五郎岳」の木札があるだけ。ガスで景色は無し。長居は無用、写真を撮っただけで下山にかかる。途中5人組が、正規の道を外れて、ザックをかついで登ってくるのに出会う。カールは迷い安いと書いてあるので稜線を行くという。この五人組にはそれが良いと思う。黒部五郎岳の肩でザックを担ぎ、頂上とは反対の道へ入る。稜線コースは頂上からさらに先に進むのに、わたしは全く反対の方向に行くというのは何だか変。地図を取り出して見ると、しばらく反対側へ進むが、右に直角に曲がりカールへ降りる事が判り納得。カールへ下る道はかなりな急坂。おまけに地図には○迷印が付いている。でも岩に○印が一杯つけられているので迷いようが無い。雪渓と斜面を埋め尽くす一面のコバイケイソウ。風に吹かれてゆらゆら揺れている。上から見るとカールの底には大岩がゴロゴロと重なっている。長い年月の間に上から落ちてきたものが貯まったのだろう。カールの底に降りると、ここにもハクサンイチゲの群落。大岩が重なりあうその上に、さらに大きなボルダー(巨岩)があちこちに鎮座、ほとんどの石にはひび割れが入り真っ二つに割れそうなもの、今にも四方八方に飛び散りそうなものと色々。黒部五郎岳の「五郎」という名前は、岩場を表すゴーロからついたと云うが、まさにその通りである事を実感。巨岩とお花畑と雪渓、そしてそこから生まれ出る清冽な雪解け水が岩の間を流れ、カールの底では今でもチングルマが白い花を咲かせている。大きな黄色い花を咲かせているのはシナノキンバイかミヤマキンポウゲか、紫色はハクサンフウロ、イワイチョウ、コイワカガミ、みんなわたしの方を見ている。見上げれば、稜線に人の姿が見える。5人列をなしているのは先程の5人組だろう。無事黒部五郎小舎に向かっているのを見てひと安心。向こうもカールの底のわたしに気付き、手を振り合う。向かいに見下ろしていた雲の平は、徐々に目線が同じ高さとなり、次第に上に眺めるようになる。おいおい、一体何処まで下るんだ、あの谷底まで下るんじゃ無いだろうな。トラバース気味にどんどん下り、時には登り、そう、あの谷底に赤い屋根を発見。こんなに下ってしまって、明日、三俣蓮華に登るのが思いやられる。14時25分、黒部五郎小舎に到着。太郎平小屋からゆっくり歩き、コースタイムよりおよそ2時間遅い8時間半の行程、その分ゆっくりと、そしておおらかに黒部五郎を楽しむことが出来た。登山靴の中まで浸水し、靴下はビチョビチョになって異臭を発している。玄関先で靴下を脱ぎ、靴はカッパやザックカバー、スパッツと一緒に乾燥室に吊るす。黒部五郎小舎は新しい綺麗な小屋、2階の一室に案内される。6人づつ2列に12人分の布団が敷いてあり、定員通りで一人一枚づつ毛布と布団がある。わたしの向かいには広島から来た夫婦。この人達は水晶小屋から来て、明日黒部五郎に登って太郎平に行くと云う。もう一組広島の夫婦がいて、こちらは昨日からこの小舎に泊まっていて今日黒部五郎に登って明日は鏡平で泊まると云う。東京の5人組も無事到着するがこちらは別の部屋。夕食までビールを飲みながら談話室で過ごし、5時40分からの二組目の夕食に加わる。山小屋にしては結構な食事で満足。連泊している広島の夫婦は、二日目の夕食は一日目よりさらに素晴らしいものだったと喜んでいる。まだ消灯前から12人全員眠りに入る。途端に隣りの夫婦連れの旦那が大イビキ、それもわたしの耳元で。これは堪らんと頭の向きを変えるも、隣りのイビキは半端でなく、布団にくるまっても遮断効果は無い。一晩中イビキに脅かされウトウトと夜を明かした。
翌朝は5時に起床。昨日とは打って変わって晴天、わたしの知っている白いものが混じった黒い黒部五郎、それが今、モルゲンロートに染まって赤く輝いている。ゆっくりと朝食を食べ、ほとんどの宿泊者が出発してからわたしも小舎を出る。笠ヶ岳が左右対称の形の良い姿を真近かに見せている。明るい五郎平から、三俣蓮華へ向かう林の中の暗い登山道に入る。大岩がゴロゴロと積み重なった急登、所々に回り道があるがわたしは直登ルートを行く。朝一番のいきなりの急登はきつい。一時間以上登り、たっぷり汗もかいたところで樹林帯から出てハイマツの広いなだらかな尾根に着く。見晴らしが開け目指す三俣蓮華岳が見えるようになるがまだまだ先だ。黒部川奥の廊下を挟んで雲ノ平、鷲羽山、黒岳、赤牛岳、その上に雲ひとつない真っ青な空が広がっている。やがて黒部源流の谷が見えるようになり、三俣山荘への巻き道もはっきりわかる。そしてそこを歩いている人の姿が五つ、きっと昨日の5人組だろう。大きな声で呼ぶと5人組も気がついて手を振る。三俣蓮華巻き道分岐でひと休み、長袖シャツを脱ぎTシャツ一枚となる。三俣蓮華から下りてくる人達、今日始めて会う人、まだ8時前だが双六小屋からやってきたのだろう。いい天気であることを喜び合う。ゆっくりゆっくりと歩き、急登を頑張って9時前に三俣蓮華の頂上に立つ。槍・穂高のお出迎え。ここは富山、長野、岐阜の三県の境、360度、山また山。昨年に引き続き素晴らしい天候に恵まれた事に感謝し、穂高連峰、槍ヶ岳、東鎌尾根、常念、大天井、燕と続くアルプス表銀座の峰々、鷲羽、水晶、赤牛、立山、剣、五色ヶ原、薬師、黒部五郎、北アルプスの山々にご挨拶。遠く、白山も望まれる。たっぷりと北アルプスの眺望を楽しんで、三俣蓮華を下りにかかる。昨年登ってきた道を今年は下る。丸山への急な登りをゆっくりゆっくり登り、左下に巻き道を見て、相変わらずの槍・穂高を仰ぎながら稜線を歩く。まさに別世界。中道分岐も過ぎ相変わらずの稜線歩き、双六岳の頂上に着いたのは11時。岩に腰をおろして黒部五郎小舎の作ってくれた弁当を頬張っていると、団体さんがやってきて急にガヤガヤ賑わしくなる。退散退散。丸くて広い双六の稜線を岩塊を伝って歩く。目の前に西鎌尾根、その先に槍の穂先がツンと尖り、谷が見え無いのでこのまま槍に登る感覚。急坂を下りケルンの立つ平に降り立つともはやこの感覚は無くなる。中道ルート、巻き道ルートとの分岐を経て、双六小屋に向かって再び急坂を下る。双六小屋の赤い屋根が見え、玄関前の広場には布団が一杯広げられている。水場でTシャツを洗いひと休み。テン場から双六池を経て、弓折岳へ続く尾根を巻いて登る。振り向けば双六小屋がだんだん下になり、稜線に上がると再び槍・穂高が姿を現す。稜線の谷側に残る雪田は昨年よりも多い。ハクサンイチゲ、ミヤマダイコンソウ、シナノキンバイなどが咲き乱れるお花畑、黒ユリの群落、これらを楽しみながらゆっくりゆっくり歩く。ハイマツの中の道、ライチョウ一家がわたしを先導してくれる。楽しい稜線歩きだが、弓折岳分岐までのアップダウンが結構長く感じられる。分岐で小休止、ここまで来れば今晩の宿泊地鏡平小山荘まではもう少しだ。あとは下るだけ。急坂を斜めに下り、見覚えのある池と小屋とテラスが見え、ほっとする。コースタイムは6時間、それより2時間以上も遅れての到着だったが、その分、充分に北アルプスを堪能する事が出来た。山荘の別館の一室に案内され、2階の蚕棚に上がる。布団は一人一枚と余裕のスペース。寝場所を確保し、身体を拭いてからテラスに出て、ビールを飲みながら過ごす。ここも双六共和国の傘下、食事は上等である。夕食後は部屋に戻って布団にもぐるも、隣のおばちゃんがかなりのイビキ。二日続けてこれでは堪らんと、足でこづいてやると鳴りやむ。
翌朝は5時に朝食を食べ鏡平山荘を発つ。鏡池にくっきりと穂高連峰が映り、穂高の稜線から出ずるご来迎が鏡池に反射しまぶしい。今日もまたいい天気になりそうだ。5時50分、鏡池を発ち下山開始。シシウドヶ原、イタドりヶ原、秩父沢、そして小池新道を一気に下り、左俣谷を下る頃になると上空を荷物をぶら下げたヘリが行ったり来たりするようになる。わさび平小屋でひと休み。ここまで来たらもういいだろうと、缶ビールを1本。そして再び林道を足早やに歩く。河原に小屋へ運ぶ荷物が積まれ、そこへヘリがやってきてホバーリングしたまま小屋から運んできた荷物とこれから持って行く荷物が交換され、あっと云う間に飛び去る。10時半、新穂高に着いて、ホテルの風呂に入ろうとするもまだオープンしていないとの事。バスで平湯まで行き、停留所の温泉で汗を流した。
5泊6日の長旅、前半は雨で予定を変更する場面もあったが、その代わり薬師岳にも登ることが出来、後半は青空の下、北アルプスを思う存分ゆっくりと堪能することが出来た。
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