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Yamareco

記録ID: 24423
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
剱・立山

剣岳と立山縦走

1998年08月20日(木) 〜 1998年08月24日(月)
 - 拍手
tanigawa その他3人
GPS
104:00
距離
21.7km
登り
1,865m
下り
2,855m
アクセス
コース状況/
危険箇所等
 八月二十日、お盆をはさんで国会が続くなどしてようやく休みがとれるようになり、私、遥子、峻二(中学一年)の三人は北アルプスへの登山に出発した。未明(午前三時前)に八王子から中央高速にのって豊科インターへ、そして国道を糸魚川へ出て北陸道で立山インターへと、車を走らせる。北陸と東北はついに梅雨明け宣言がなしになるほどの雨ばかりの今年の夏………。山はお盆も毎日、雨だったが、その天気がこの日から晴天続きに変わるという予報が出されていた。

http://trace.kinokoyama.net/nalps/tateyama98.htm
予約できる山小屋
別山乗越から剱岳
別山乗越から剱岳
地元のテレビがこの夏に取材した剣岳の山小屋の番組
地元のテレビがこの夏に取材した剣岳の山小屋の番組
双六谷の枝沢にあたるこの沢は、イワナの魚影が濃い
双六谷の枝沢にあたるこの沢は、イワナの魚影が濃い

感想

 アルペンルートの富山側の登り口になる立山駅には、午前八時二〇分着。ここからケーブルカーとバスを乗り継いで、午前一〇時すぎに標高二四〇〇メートルの室堂に到着した。

 一〇時三〇分発。あたりは霧と冷たい風、それに雨粒も落ちてきて、寒いくらい。雨具を着込んだ。視界はほとんどない。雷鳥沢へと向かう石畳の道は、滑って歩きにくく、「何のために滑り台みたいに石を傾けて並べるんだ」と、歩く人のことを考えない造作に腹が立った。

 雪のない立山、黄色に染まる山肌
 雷鳥平のキャンプ場を過ぎて浄土川(称名川支流)を丸木橋で渡るあたりで、雲が割れて日が差しはじめた。雷鳥坂の電光形の登りにかかると、ときおり雨がぱらつく程度で、天気が好転しはじめたのがわかる。その分、視界も開けてきて、まず何といっても、今年の雪の少なさには驚かされた。見渡すかぎりの幾筋もの沢の源頭は灰色のガレ場が露出していて、雪渓や雪田はほとんど見えない。十四年前に岳彦を背負って登った雷鳥沢沿いのこの道も、あのときには学生たちがスキー合宿をして雪渓を滑り降りてきたものだったが、今日は沢筋は灰色の荒涼とした光景が展開している。雪が早く消えた分、高山植物の生長にも季節のズレが及んでいて、花は皆なとうに終わり、実をつけたり、葉や茎が黄色に変色しはじめたものがほとんど。山肌が黄色に染まって見えるくらいで、初秋の装いだ。中腹まできたら、ブルーベリーの仲間のクロマメノキがしっかりした実をつけていて、峻二と二人で味見してみたら甘酸っぱかった。

 室堂から五回休んで、三時間かけて剣御前小舎(二七五〇メートル)に到着した(午後一時三五分)。岳彦たちは、支配人の豊田さんに率いられて霧と雨の中を剣岳に登山しているとのこと。「朝九時に頂上に着いたと連絡がありました。いまごろは剣山(けんざん)荘で風呂にでも入れてもらっているころでしょう。もうすぐ帰って来ますから、待っていて下さい」と、豊田さんのお父上が説明してくれた。

 従業員を大事にする山小屋
 うどんをごちそうになりながら、小屋の従業員の男性(名古屋大学卒で立山一帯の残雪の研究をしてきた)に話を聞いた。「岳彦は、ご迷惑をかけていなかったですか?」と聞くと、「いや、けっこうよくやってましたよ。こるタイプで、鍋でもストーブでもすっかりきれいに磨いて"みがき職人"というあだ名がつけられたくらいです」「最初見たときは、高校一年とはとても思えませんでした」と、親にとってはまったく意外な話。食堂にあった小屋の従業員用の「ファミリーノート」を読ませていただくと、アルバイトの学生さんらが、小屋から去るにあたって、思い思いの言葉を綴っている。「従業員を大事にしてくれる」「豊田さんみずから、なんでも率先してやるので、雰囲気がいい」「豊田さんのもとに若い未知子さん(保母さん)が嫁いできてから、トイレなど小屋の中がとてもきれいになった」などの内容が書かれていて、遥子と二人で読んで「いい小屋のようで岳彦はよかったね」と話し合った。あとで岳彦が話したことだが、この小屋では食事も従業員に残り物を出すようなことはせず、別のメニューでつくり、ご飯も圧力窯で別に炊き上げるとのこと。ときにはスイカなどのデザートもつくし、午後のお茶タイムにはケーキが出たりもするとのことだった。

 そうこうしているうちに豊田さんらが小屋にもどった。岳彦も帰ってきたが、久しぶりに会う姿は、ぐっとたくましくなったよう。豊田さんは三十三歳と若い方だが、カナダなど各地にスキーに出かけ、その地域のスキーロッジで働いてきた経験がある。北アルプスの太郎平小屋,薬師沢小屋、高天ガ原山荘などで働いたこともある。「剣御前小屋は稜線の小屋で水不足でたいへん。それに、支配人の立場では、いまある施設を造りなおすということも簡単にはできない。けれども双六山荘や常念小屋など、登山者によろこばれる小屋の水準にぜひもっていきたい」と抱負を語ってくれた。従業員を大切にするのも、「小屋のレベルは従業員の質で決まる」という考えからのよう。「ぜひ、小屋に泊まってください」と豊田さんに引き止められたが、新装備のテントを剣沢で試してみたいことや、明日の晩はお世話になることを話して、三人で剣沢の幕営場(二五一〇メートル)へと下降した。(幕営場には午後三時三五分着)



 快晴、絶好の展望の朝。剣岳をめざす
 八月二十一日、日の出。シュラフにすっぽり入っても、寒くて何度も目を覚ましてしまった夜が、ようやく明けた。黒々とした岩稜を幾筋も集めた剣岳が、明るみの中で次第に全容を現していく。前回来たときと同じように、すばらしい天気だ。テントの入り口のジッパーを開けて、この最高の展望に見とれながら、夕べ水場で汲んでおいた二リットルの水を鍋にあけて沸騰させ、今日の行動用の飲み水を作った。水は前とちがって煮沸しないと生では飲めない。午前六時前には岳彦が降りてきて、いっしょに朝食(パン、スープ、梨、プラム、チーズ、カルパス、コーヒー)を取る。

 午前六時二〇分、テントを出発。剣沢の源頭の雪渓はわずかしか残っていなくて、トラバース道はガレ場ばかりをたどる歩きにくい道になっている。リードするのは、今日で二日続けて剣に登る岳彦。三〇分で取り付きの剣山荘前を通過し、一服剣で小休止。前回、残雪をバックにハクサンフウロなどの花々にカメラを向けた稜線は、今回は黄色がかった草ばかりだが、一服剣の先の鞍部にはトリカブトの濃い青紫の花が夏の終わりを告げていた。

 岩稜をつたって、大展望の山頂へ
 前剣(二八一三メートル)には、午前八時前に着く。行動食をとって、いよいよ本峰の岩場の登りが始まる。

 最初に緊張させられるところは、幅一〇メートル、傾斜が七〇度くらいのスラブ状の岩場のトラバース。足元が切れ落ちているが、足場はしっかりしている。目の下の平蔵谷は細い雪渓が源頭部まで残っている。

 小さな岩峰をまき、ザレ場をたどると、目の前には剣岳の山頂部がいよいよ大きくたちはだかった。大きな岩の衝立のよう。その基部は正面からは垂直に近い角度に見える岩稜が幾本かせり上がっている。そのうちの小さな一本の岩場に、先行する登山者たちがとりついていた。「カニのタテバイ」だ。高度差二〇メートルほどの傾斜のきついタテバイの後、さらに一五メートルほど上まで岩溝状のルートが続いている。「タテバイ」の岩場の下は、平蔵谷が急角度で落ち込んでいる。前に見たときにくらべると、高度感はそれほどない。やはり、背中に子どもがいない気楽さだろうか。

 落石がいやなので、先行のパーティーが岩場を抜け出してから、岳彦を先頭に登り出す。遥子、峻二の順で取りつき、私はカメラをぶら下げつつ、何枚もシャッターを切りながら後を追う。足場もホールドもしっかりあって、峻二や遥子も難なくやりすごせた。これも気のせいだろうか、前回来たときよりも、足場やホールドが登りやすく設定されているように感じた。

 「タテバイ」を抜けると、あとはやや急なガレ場の登りとなり、剣岳の山頂(二九九八メートル)に到達した(午前九時二七分)。

 一四年前とまったく印象がちがう、峰々の眺め
 剣岳は、北アのどの山から眺めても、特徴のある山容を指呼できる山だけに、その山頂に立っての展望はすばらしい。たどって来たルートをふり返ると、剣沢の源頭部とそれを囲む別山(二八八〇メートル)の真上に、立山の富士の折立、大汝山(三〇一五メートル)、雄山の山頂が立ち上がっている。その右手に独立した峰々を連ねている薬師岳、さらに黒部五郎岳。はるか遠方に笠ガ岳。立山と浄土山の間には水晶岳も黒い頂を見せていた。「槍ケ岳は?」と探すと、立山(富士の折立)から小さく穂先が上に突き出ているのがそれだった。

 東へは、針ノ木岳から爺ケ岳の後立山の峰が連なり、とくに美しいピラミッド型の峰を重ねた鹿島槍ケ岳の二つのピークが印象的。隣の五竜岳は対照的にがっしりした岩山だ。白馬岳から旭岳、清水(しょうず)岳の稜線の後ろに雪倉岳もガスの中で見え隠れしていた。

 登る途中で、剣沢の管理事務所付きの学生さんが「この夏一番の展望です」と話してくれたけれど、今年のような雨ばかりの夏に、これだけの展望に恵まれたのはほんとうに幸せだった。

 十四年前も、同じような快晴の登頂だったはずだけれど、あのときは目にした山々が何であるのか、名前も一部しか確認できなかったし、すべてが登ったことのない山ばかりで、印象も薄かったのだろう。今は、多くの峰がすでに頂上に立った山だし、いろいろな角度からこの剣岳を望見もしていた。山頂に立った実感がそれだけ違っている。遥子も「こんなにたくさんの山が見えていたのね。あのときはほとんど初めての登山で、岳彦も気になって、何も景色がわからなかった。岩場だって無我夢中で、あんなたいへんなコースだったなんて、ほとんど覚えていなかった」と話すくらいだった。

 テントの撤収のため、子どもたちが剣沢へ先行
 午前一〇時すぎ、剣岳の山頂を後にする。私は三〇〇〇メートル前後では、ほぼ必ず、高山病の症状に襲われるが、今回は頭痛も倦怠感も、まったく異常はでなかった。去年は二五〇〇メートルでも苦しめられたのに………。峻二が付けてきた高度計付きの腕時計では、山頂の標高は二八九五メートルで一〇〇メートル以上も指示値が低い。高気圧に覆われたことと、前年並みのトレーニング(二宮神社の階段登り降りや、畑の鍬仕事)を積んだことが幸いしたようだ。

 山頂からの下降の難所は「カニのヨコバイ」。ここは、前回はいつ通過したか、ほとんど記憶にないところだ。岳彦が先に取りつくが、トラバース部分は七、八メートルと短い。足場を見極めつつ、下降した。

 左手には登りコースの「カニのタテバイ」が見えてくる。朝に、一服剣の登りで追い越した中高年のツアーの団体(三十人近く)が、タテバイの下で順番待ちをして渋滞している。引率の三人のガイドのお兄さんがザイルを下ろし、一人一人にハーネスを装着して、順に確保しつつ登らせる態勢だ。これではタテバイを越えるだけでも二時間以上はかかるだろう。

 一方通行の下降ルートをたどる私たちは、何でもないようなところでの転倒やスリップが命取りになるので、互いに声をかけあって高度を下げた。立山川(東大谷)を見下ろす下りコースは、稜線の下がすっぱり切れ落ちていて、落ちたら止まらない。谷底が見えないほどの断崖になっている。崖と深い谷の向こうには大日連峰の丸みのある山がつらなっている。

 山頂から一時間少しで前剣を通過。さらに一服剣まで降りて、「早く、下降したい」という岳彦と峻二を先行させることにする。テントをたたんで待っているように二人に頼み、ゆっくりと下降する。剣山荘前では冷やしたビールにつられたが「御前小舎に着いてから」といいきかせて、がまん、がまん。一二時三五分、剣沢の幕営場に帰りつき、荷物をパッキングして御前小舎へと登り返した。

 夕食はバーベキューの歓迎を受ける
 剣御前小舎に着いてから飲んだビールのおいしかったこと。
 岳彦は先に着いて、さっそく着替えてバイト仕事に戻っていた。この日は久しぶりの晴天で飛び込みの登山者がたくさん押し寄せ、五十人以上が宿泊した。バイトの方はすでに二人、三人と下山しはじめているので、残った人たちで結構忙しそう。

 その夕食も一段落してから、豊田さんらは、小屋の外で、私たちを歓迎し、明日以降つぎつぎと山を下りるバイトの人たちを慰労し、合わせて名古屋大学系の先の従業員(長田さん)の二十五歳の誕生日を祝う「大バーベキューの会」を催してくれた。ビールも、スイカもついて、これが二七〇〇メートル余の稜線の山小屋の食事だなんて、夢のよう。泊まり客も、二階の窓から「なんだ、なんだ」という顔をかわるがわる出して、見下ろしている。大日岳の向こうに夕陽が沈むと、空はすばらしい夕焼けに包まれる。しかし、「夕焼けより肉だ」。バーベキューの煙と熱気が、その美しい夕空に立ち昇った。

 山小屋の世界も、世間は狭い
 メンバーの中で、従業員の一人のテンバーさんは、ネパールから来た三十二歳。部屋では岳彦の隣でいつも寝てきた人で、故国には奥さんと一男一女がいる。エベレストには毎年行っているという、ベテランのシェルパで、九月になると忙しくなるので、またネパールに帰ると話していた。

 みんなが焼き肉を一通り食べたところで、「私はまだ食べたりない」と一キロ余りの肉をドバッと鉄板に追加した坂本みどりさんは、大学のワンゲル(?)出身で、ご主人は南アルプス・甲斐駒ガ岳の仙水小屋で働いているという。このご主人が、剣御前小屋の豊田支配人の奥さん(未知子さん)のお兄さんである。山小屋の世界も、世間は広いようで狭い。

 その未知子さんのお兄さん(坂本さん)は、昨年、山小屋で働くと宣言して公務員を辞め、この御前小舎で働きはじめた。家族は反対したそうで、後で、心配するご両親と未知子さんとで、小屋で働く彼の様子を島根県から見に来たという。そこで未知子さんは豊田支配人と知り合い、そのとき一週間、あとでも追加で一週間ほどしかいっしょにいないまま結婚を約束した。ようするに、お兄さんに続いて、山小屋の生活に飛び込むことになったのである。結婚式や披露宴を上げる暇なく、今シーズンの山小屋暮らしが始まったので、秋になって山を下りてから、披露宴をおこなうとの話だった。

 豊田さんは、シーズンを終えて山を下りると、冬は毎年、ネパールやインド、カナダなどなどへ長期に旅行する。未知子さんは、遥子に、「夏は山、冬は外国。これからはどういう暮らしになるのか」とも話していたそうだ。それでも、地元のテレビがこの夏に取材した剣岳の山小屋の番組の中では、豊田さんのことを「いっしょに働く人を大事にし、小屋の仕事をなんでもすすんで自分からやっていく。その様子を見て惚れなおしました」と語り、「私は田舎の出身ですから、不自由な山小屋の暮らしも気になりません」と答えていた。



 急患に総出で対応する小屋のメンバーら
 この剣岳の山小屋の番組は、小屋の食堂で後で見せていただいた。剣沢小屋、剣山荘、御前小舎の三つの小屋が登場したが、水のない御前小舎では、従業員が力を合わせて下の雪渓までポンプを下ろして雪解け水をくみ上げる様子などが紹介されていた。

 岳彦も一瞬だけ、この番組に映し出された。深夜二時に宿泊者に狭心症の症状が出て、剣沢の夏期診療所からお医者さんを呼んだり、室堂まで患者を担ぎ下ろす場面でのことだった。岳彦は、患者のために水筒などを持って同行するように指示され、ヘッドランプを着けて山靴をはく。そのシーンがテレビで流された。結局は、山岳警備隊員が搬送をおこなうことになって、岳彦は同行下山はしなかったのだけれども、山小屋をきりもりしていく人たちの仕事は、なかなか大変だなと感じさせるシーンだった。

 夜、私たち三人はこの小屋で一、二番に、眺めのいい部屋に眠らせていただいた。岳彦は翌朝の仕事のため、この晩も「タコ部屋」と呼ばれる従業員部屋に泊まった。夜中に遥子と二人で目を覚ますと、窓の外がいやに明るい。「月が三つも四つもある」と思いながら、夜露に曇った窓ガラスを開けると、月だと思ったのは明るい星ぼしで、すばらしい夜空が広がっていた。

 一七〇〇年前の「化石氷体」が埋まる雪渓
 二十二日、岳彦といっしょに、小屋とそして剣岳にさよならをする日がやってきた。今日も快晴で、小屋では朝御飯の片付け、部屋の掃除、ふとん干しと午前中から忙しい作業が続く。私たちもほんの少しだけ、ふとん干しを手伝ってみた。屋根は滑りやすく、そこで体をかがめて布団を動かすのは、けっこう腰にも腕にもくる。一〇時すぎに一段落して、一休みのお茶会を外でした。解凍したばかりのチーズケーキがふるまわれる。また、こんなものを、山でいただいちゃって 。「こんどは、秋にでもきてください。岳彦君はいつでもよこしてください」と豊田さんがいう。

 午前一〇時四五分、剣御前小舎を出発。未知子さんが屋根に上ってずっと手を振っている。
 立山の最高峰、大汝山が今日の目標。別山、真砂岳、富士の折立はみな、ピークの近傍をかすったり、トラバースしたりして進む。

 途中、真砂岳と富士の折立との鞍部に突き上げる「内蔵助(くらのすけ)カール」は、このコースで一番、楽しみにしていたところだ。というのも、夕べの焼き肉パーティーのときに、名古屋大学系の長田さんと、もう一人の雪の研究をしている都立大の福井さん(院生)に、このカールの残雪深くに眠る「化石氷体」の話を聞いたからだ。その大昔の氷は、カールの雪田を十数メートルの深さにまで掘っていったところにあって、澄んだ青い色をしているという。夏が何回めぐってきても解けることなく保存されてきた化石の氷 。年齢は、一七〇〇年前のものであることがわかっていて、炭素の同位体で年代測定もおこなわれているという。

 雪の少ない今年、化石の氷はちゃんと消えずに残っているのか? 内蔵助カールが見渡せる真砂岳の鞍部まできて見下ろすと、山体をスプーンで削り取ったようなカールの内壁に張りつくようにして、縦八〇メートル、横一五〇メートルほどの雪田が残っていた。表面には豪雨で流れだした土砂が二筋、汚れた茶色のラインを引いている。その雪田の下端近くに、銀色に光るポールがまとまって差してあるあたりが、ドリルの穴から化石の氷を観察している場所のようだった。

 「構造土もあるんでしょう?」と聞くと「立山でもあちこちで見つかっています」という彼ら。その研究と仕事と山暮らしはうらやましい感じがした。

 内蔵助カールは、カールボーデンの岩屑の堆積も顕著で、稜線から見ると小屋跡のような石積みも残っている。雪の多い年に、あそこで寝ころがってみたら、いい気持ちだろうな。一度、黒四ダムから内蔵助平、内蔵助沢のルートで急な雪渓をたどって訪れてみたいところだ。

 立山最高峰は霧の中
 富士の折立(二九九九メートル)からは大きな岩が堆積するような地形になる。霧が出てきた。日差しが強かったので、かえってほっとする。ほとんど登ったような感じがしないわずかの行程で、最高峰三〇一五メートルの大汝山へ(午後一時一三分)。針ノ木岳や槍・穂高の遠望を期待して来たのだけれど、霧の中。

 次いで通過した雄山(三〇〇三メートル)はハイカーや観光客で一杯だったけれども、黒部側を見下ろすと、うねって落ち込む御前沢カールには残雪がたっぷりと残っていた。雲の中に浄土山(二八三一メートル)から獅子岳(二七一四メートル)へとつらなる稜線も眺めることができた。

 室堂に戻ったのは、午後三時すぎ。高原バスとロープウェーを乗り継いで立山駅に下りたのは午後五時前で、この日のうちに神岡町から打保(うつぼ)まで移動して野営することは、むずかしくなった。北アルプスのガイドの発祥の地で「日本のシェルパ村」といわれる芦峅寺の宿坊を電話帳でさがし、一泊した。



 双六川で、岩魚をとる
 翌二三日は、有峰林道が土砂崩れでいぜん、不通のために、富山市へ出て、神通川沿いの国道を岐阜県神岡町へと走った。双六渓谷から打保(うつぼ)地区へ大規模林道を走り、打保川本流でルアー釣り。峻二が放流サイズのヤマメを釣り上げた


 ついで、悪路の林道を、タイヤが破裂するのを気にしながら移動し、さらに車をデポして山道を登る。「昨日、下山したばかりなのに、今日も登らせるなんて」と家族からは非難めいた声が出されたが、道がやっと下り始めると目的地はすぐそこで、足は軽くなる。

 やがて標高一五三〇メートル、山を一つ乗り越えて下った小さな湿地に出た。オオバギボウシやカンゾウなどが小さな草原をつくり、その一角を幅三〜四メートルの小沢が流れている。双六谷の枝沢にあたるこの沢は、イワナの魚影が濃い。遥子が昼食(タラコ・スパゲッティ)を作る間に三〇分ほど手づかみ取りをしただけで、七匹のイワナが取れた。赤い斑点が特徴的な、純天然の地付きのイワナだ。

 お昼を食べて、上流に一時間ばかり逆上って、イワナを追う。人に気づいたイワナは近くの石の下に隠れて、手を差し伸ばしても、石の奥へ行くだけで逃げ出さない。だから、滑り止めの綿手袋をしていれば、簡単に捕まえられる。小さなイワナは、また何年かしたら来るからね、と声をかけて放流。とれたイワナは小さなクーラーボックスに入れ、冷たい沢の水で冷やしながら、登り口の車まで持ちかえった。

 登りのときには気がつかなかったが、カラ松まじりの登山道脇の林には、もうキノコが顔を出している。ハナイグチ、ヤマイグチ、ヌメリイグチは食菌で、毒ありのツルタケの仲間も。そうだ、もうキノコ狩りのシーズンに入ったんだ。夏の始まりはいつだかわからないような今年だったのに、秋はもうそこまで来ていることを感じながら、山を下った。

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