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昨日もそんなわけで家からタクシーに乗り、「円山公園駅まで」と運転手に言うと、父が「何行ってるんだ、ヘルベチア・ヒュッテまで行ってください」。えっ、何でまた。「金かかるからやめようよ」「金がかかったっていい」。まあ、とりあえずは円山公園駅までということでなだめ、着いた時にはもう忘れていたようなので行かずにすんだが、もし、どうしてもというなら、行ってもいいかと思い始めていた。父の気を紛らせて時間つぶしにはいいかも。しかし、誰もいなくて鍵も開いていないだろうし、1時間じゃ行けないから、途中で、遠いから止めようということになっていただろう。
今朝も父は、「ヘルベチアぐらい連れて行ってくれよ」と言っていた。そういえば、この間は「ヘルベチアは最近ははやってるようですか?」と敬語で訊いてきた。父にとっても、ヘルベチア・ヒュッテは思い出の場所なのだな、と改めて思う。車の免許を持っていれば、連れて行けるのだが(車の中で二人きりというのは怖い気もするが)...。誰か連れて行ってくれる人はいないかなあ。
今日は、母(本人の妻)が出たまま帰ってこないと言い出し、去年死んだことを説明して、葬式の写真も見せるとそれは判るのだが、それでも警察に連絡すると言う。何とか思いとどまらせようとすると、今度は家から母方の伯父に電話して「息子と、女の人と3人で山の方に来たのですが、女の人がどこかへ見えなくなってしまって。警察に連絡した方がいいでしょうか?」。そして「おい、この山小屋は何て名前だ?」。
この騒ぎが落ち着いた後、また円山公園駅までタクシーで往復したことは言うまでもない。
素敵なヒュッテですね!外国かと思いました。親父さんは、昔の話を話してくれるのでしょうか?
kennさん、はじめましてそしてこんにちは。
ヘルベチア・ヒュッテは山岳愛好家や北海道ではよく知られているのかもしれませんが、私は初めて聞きましたのでネットで調べました。
北海道大学の学生向けのページで見つけました。
以下引用です。
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Helvetiaとはスイス国の古名です。
白樺の処女林にかこまれたロマンチックなヒュッテです。
昭和2年本学教授山崎春雄氏,スイス人建築家マックス・ヒンダー氏,本学講師アーノルド・グブラー氏らによって建てられました。
定山渓より2時間,銭函,朝里川温泉よりそれぞれ5時間,冬期の余市岳,朝里岳,白井岳登山の根拠地です。
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一度訪れてみたくなりました。
良い情報ありがとうございます・
また、北海道大学山岳部・山の会というグループのページにもヘルベチア・ヒュッテの情報が掲載されていました。そして、そのグループがヤマレコに登録されていて、リンクが貼られていました。
お父様のこと大変でしょうが、今まで通りに大事にして差し上げてください。
私の父も最後の5年間は脳血栓性の認知症でしたが、本人の若かりし頃のことに関して突然覚醒したように話し始めることがあり、驚かされたことを思い出しました。
Helveticaは スイスの古名というより
現在の実際的なスイスの正式名称は
Confoederatio Helvetica(Helvetii族の国の連合)です
ドイツ語、フランス語、イタリア語、ローマンシュ語
の四カ国語混在のスイスでは角を立てないように
ラテン語で国名を表記することにしたとのこと
ラテン語の読みでは コーンフォエデラーティオー ヘルウェーティカ
でも当のスイスではどう発音しているか不明
アクセントを持たない”C"は脱落しやすいので
Helvetia と表記されることもあり それが定着しつつあります
kennさんへ
私も母がいろいろな記憶がないまぜになる時期を、ときどき介護で帰省してつきあってきました。
でもその期間は短く、あっという間に、母は亡くなりました。
お父様のことを思う気持ちと、現実の厳しさと、お気持ちをお察しいたします。
ヘルベチア・ヒュッテは、いまでこそ札幌国際スキー場ができて、年中、入りやすくなりました。1980年以前は、冬のこの小屋は、札幌の山人の聖地の一つでした。
きっとお父様にも、仲間たちとの忘れがたい思い出があるのでしょう。
もしかしたら、この件、kennさんにはコメントをしたことがあったように思います。
大きな改修がされる前、1970年代の、この小屋の内部の見取り図をメモした、私の記録です。
http://trace.kinokoyama.net/hokkaido/mukade-ski76.htm
お父様は私よりかなり前の時期に、この初代のヘルベチア・ヒュッテに通っていたのだと思います。
kennさんへ
お父様の中には、すてきな山の風景が息づいているんでしょうね。
大変だとは思いますが、kennさんの暖かな気持ちが伝わってきました。
ヒュッテもすてきなまま、残っていきますように
私も親の介護では苦労して来ました。
介護は本当に大変です。
くじけないで頑張って下さい。
今、精一杯お父様を介護をすれば、後になって悔いは残らないと思いますが、
いくら親孝行をしても、しきれないのが親孝行です。
ストレスを抱えないように、息抜きも上手に工夫して介護出来ますように。
皆様、コメントありがとうございます。
ヘルベチア・ヒュッテの過去の写真は、
山のデータに上げてあります。
http://www.yamareco.com/modules/yamainfo/photoedit.php?mtid=1175
モノクロの写真は、たぶん私が2歳ぐらいのときのものですが、記憶にありません。
大げさに言えば、私は、ここほど居心地のいい場所を知りません。何より、ベッドというか寝床の数が12という広さが絶妙なのです。
父はたまに(酒を飲んだときなど)昔のことを語ります。こちらからも訊いて記録しておこうかとも思うのですが、
「もう、みんな忘れてしまった」などと言われるもので...。
Helvetiaは、ローマ帝国時代の名残のラテン語国名ではないでしょうか? Hibernia(アイルランド)とかCaledonia(スコットランド)とかと同様の。このiaで終わる国名には現在でも使われているイタリアとかアルバニアとかリトアニアとか、さらにはアジア、アフリカ、アラビアまで。
スキー・ジャンプのワールドカップのスイス大会では、
シモン・アマンをはじめ選手たちのゼッケンにHelvetiaの文字がありました。
http://www.swissinfo.ch/jpn/index.html?cid=7943286
よくわかりませんが、Helveicaは形容詞形なのでは?
ところでHelveticaといえば、サンセリフ体のローマ字フォントが有名ですが、それは、この無機質で洗練された現代的なフォントが、1950年代のスイス・タイポグラフィの精華として生み出されたからです。
私の高校時代までは、札幌国際スキー場もまだなく、
銭函峠を越えて小屋に入っていました。
あの銭函峠をわかんで越えたとは...。
スキー場造成地?の調査のためにスノーモービルで山に登ってきた人に会ったこともあります。
小屋も当時は改修前で、台所の窓から入ったりしてました。その後、薪ストーブから石炭ストーブにかわったりして、80年代に改修されてきれいになりましたが、
鍵がガッチリかけられて“侵入”できなくなってしまいました。近くにスキー場ができては仕方がないのでしょうが。
父は今日は、「大学の同級生から香典を送ってきた(妄想)ので、送り返さなければ。困った」と騒ぎ出して、私にその人の電話番号を同窓会名簿から探し出させて電話しました。止めてもきかないし、ますます荒れるので止めませんでしたが、たぶん数十年ぶりに電話をもらっただろうその方は困惑されており、申し訳ないことをしました。
その後、夕方になると今度は沖縄かどこか南の島にいると思って、「珊瑚礁はどこにあるんですか?」とか何とか訊いてくるので、本人の言うことを否定してはいけないという原則?を忘れて、「ここは札幌だから珊瑚礁はない」と言ってしまったのですが、それでもしつこく「珊瑚が何たらかんたら」と訊いてきて、いつまでも止めないので、ついつい激昂してしまい、反省。いつまでたっても対応に慣れない自分がいやになります。
ショートステイにもいかなくなってしまったので、ヘルパーが短時間来る月・水・金以外は、朝から晩まで二人きり。どうしてもストレスがたまります。ヘルパーが二日続けてこない土日はちょっと恐怖です。
Kennさんこんにちは
北大山岳部OBのyoneyamaです。
僕もぼけたら娘に連れて行ってもらいたいです。
今ヘルベチアは現役の学生が少ないので昔のように、行けばあいている状況ではないのですが、お父上と是非一泊二泊してみてはいかがですか?
現役に事情を聞いてみます。いま旅行先なので少々お待ち下さい。
私も遠い昔にスキー場が出来る前に通った記憶があります。
場所が分かったので行ってみようか。
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