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というのも、芳賀さんの話は登場人物が豪華なのだ。三田幸夫に桑原武夫に加藤泰安にボナッティ。さらに槇有恒や板倉勝宣、ヘルマン・ブールにまで話が及ぶ。私にとっては本で読んだだけの、言ってみれば伝説上の人物ばかりなので、話に引き込まれてしまう。何しろ日本山岳会の副会長も務めた芳賀さんは、学習院大学の山岳部出身で、チョゴリザに初登頂した1958年の京大隊にも参加した方。それに、これは今回初めて知ったのだが、奥さんのお父さんが三田幸夫なのだという。
芳賀さんが特に熱心に語っておられたのが、カナディアン・ロッキーのアルバータ峰に槇、三田らが1925年に初登頂した際に頂上に残してきたピッケルとその石突きを巡る物語。アメリカ人登山家が第2登の際に持ち帰ったピッケル本体と、その時頂上に残された石突き部分を、芳賀さんらの尽力もあって、初登頂75周年に合体させることができたのだという。
しかし、こうした過去の“ビッグネーム”にまつわる登山史のこぼれ話も、最近はあまりウケないらしい。日本山岳会北海道支部などでこういう話をしても、年齢層こそ高いものの、登山歴は割と浅く、登山史に関する知識も興味もあまりない最近の会員の多くからは「難しい話をされてもわからないから」と敬遠されてしまうのだという。山屋がみんな登山史に通じていなければならないとは思わないし、これは仕方のないこととも感じられるが、その点、中途半端な知識と興味を持つ半可通の私は、聴き手としては最適の、語り甲斐のある相手だったのかもしれない。
※2枚目の写真は、奥さんが描かれたマウント・アルバータの絵
※3枚目の写真は、芳賀さん自ら編集された36pの“博物館”のパンフレット。表紙の絵は、父上の芳賀藤左衛門が履いていた250cmの距離用スキー
あっ、ぼくも生半可な聞き手としてこのお話堪能しました。
アルバータって、結構難しそうな山ですよね。カナダと日本のアルピニズム黎明期はほぼ同時期の100年前でした。あちらでも、開拓地の鉄道が通ったばかりの内陸都市から、未踏の山脈を探査した時代です。そのピッケルのドッキングに芳賀さんが尽力していたとは知りませんでした。
難しい話(別に難しくなくて、知らないだけの話)をちょっと無理して聞くから進歩ってものがあると思うのですけどね。
こんばんは
私が買った、山スキーはハガの板ですが、当時というか、それ以前、以降?国産で山スキーと歌っていたのは、ハガだけだったような気がしますが?どうなんでしょうか?ショップオリジナルはわかりませんが
私の手元に、1955年8月1日と発行日が記してある「岳人」があるんですが、その17ページに「芳賀スキー店」の囲み広告があります。
住所は、神田小川町3の16
「山とスキー専門
門田、岳友、森谷ピッケル、アイゼン・・・」
などと書いています。
本人か、お父上が、東京に出店を出していた時期があったのでしょうね。
この古い「岳人」は、去年、松本市の古本屋で広げて、昔あった山道具店がずらりと出ているのが懐かしくて、購入してきました。
70年代には、神田の芳賀スキー店は、あったかどうか、記憶してません。
アラゲンさん、国産メーカーは長野県飯山のスワロウスキーとか、青森のブルーモリスとか、僕のいた県だけでも二軒ありましたよ。
スキー場専用
>yoneyamaさん
1997年に日本山岳会報「山」に芳賀さんが書いた原稿がきっかけで、1965年の長野高校山岳部OB隊がアメリカ隊のものと思って持ち帰っていた石突きが日本隊に初登時のものとわかった、ということだそうです。
山に限らず、古い話をすると、それだけで拒絶反応がある人というのはいるんですよね。
>アラゲンさん、yoneyamaさん
あまり記憶にないですね。山の店オリジナルも、どこかのメーカーでつくっていたわけでしょうが。
ただ、「山スキー」の定義にもよりますが、最近のブルーモリスの短いウロコ板などは、明らかに山での使用を前提につくられているものですよね。
また、ヴェクターグライドなど最近出てきたメーカーは、かなりバックカントリー寄りのラインナップになってますね。
スワローは三浦雄一郎ですね。私の子供の頃は、小樽のアジアスキーなども健在でしたが、現在、古くからのメーカーで残っているのは、あと小賀坂ぐらいでしょうか。
近いうちにヤマレコ博物館の博物館に投稿します
>tanigawaさん
この場所=明治大学の裏、錦華小学校の隣りは、昭和29年に東京直売所を開いた場所だそうです(戦前にも東京に進出したことがあるようです)。
私が大学生の頃、ここがどうなっていたか記憶にないのですが、1986年からは「ブラッセルズ」というベルギービールバー・チェーンの1号店になっています。私もよく行きましたが、3階建てながら間口一間という感じの狭い店です。
「ブラッセルズ」は現在は芸能プロダクションのアミューズの子会社となっていますが、元々は、ワールドミュージックなどのプロモーターをやられていた芳賀さんの弟・紹八郎さんが経営していた店で、日本におけるベルギービールブームの先駆け的な存在でした。
紹八郎さんもときどき客として店に来られ、私は高校(札幌西高)の同窓生だったこともあって何回かお店でお会いしてお話ししたこともありました。気さくで、話して楽しい方でしたが、惜しくも数年前、ガンで亡くなられました。
そんなわけで、芳賀さん宅を訪問する際に、手みやげとしてブラッセルズで輸入しているベルギービールを持参しました。
「岳人」のバックナンバーは、70年代前半の五百澤智也さんのヒマラヤ山岳図が綴じ込みになったものを集めたいと思っているのですが、札幌ではあまり見かけません
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