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今日のお天気は午後から雨・・・。
帰るころには黒い雲が出てきた。
連休だというのにコロナ禍で自宅謹慎(-_-;)
ちょこっとお勉強!
以下京都検定テキストと過去問から・・・。
■妙心寺
(右京区花園妙心寺町)
本尊 釈迦如来
臨済宗妙心寺派の大本山。山号は正法山。
建武四年(一三三七)、花園法皇の発願で花園離宮を禅寺として開創。開山は関山慧玄。一時、応仁・文明の乱で荒廃していた諸堂を、住持の雪江宗深が細川勝元らの援助により再建。
その後、雪江の弟子たちが、景川宗隆の龍泉派(本庵龍泉庵)、悟渓宗頓の東海派(本庵東海庵)、特芳禅傑の霊雲派(本庵霊雲院)、東陽英朝の聖澤派(本庵聖澤院)の四派となって禅風を挙揚した。
従来妙心寺への入寺は、まず大徳寺(↓123頁)への入寺を必要としたが、永正年間(一五〇四〜二一)にこの慣例を破り、大徳寺の末寺的存在から独立、江戸時代には白隠慧鶴ら多数の禅傑を輩出、その法脈は臨済禅の本流となった。
本坊には主に十七世紀中頃に造営された堂宇が揃い、また四十六もの塔頭が東・北・西をとり囲み、大徳寺とともに禅寺の良好な寺観を保っている。
三門(重要文化財)は慶長四年(一五九九)の造営。仏殿(重要文化財)は文政十年(一八二七)に新しく造り替えられたもので、禅宗仏殿の典型。法堂(重要文化財)は明暦二年(一六五六)の造営で、それまでの法堂・仏殿兼用から独立した。内部
の鏡天井には狩野探幽による「雲龍図(八方にらみの龍)」が描かれている。
浴室(重要文化財)は、天正十五年(一五八七)に明智光秀の叔父密宗和尚が、光秀を追善するために建立したといい、明智風呂とも称する。のち、明暦二年に改建された。内部は設備がよく残る。
その他、大方丈・小方丈・庫裏・経蔵・直使門(いずれも重要文化財)などの建造物がある。
庭園は国の名勝および史跡。また山内の塔頭を含む境内一帯は国の史跡に指定されている。
寺宝は、宗峰妙超(大燈国師・大徳寺開山)墨蹟二幅(ともに国宝)、関山慧玄墨蹟、花園天皇像(ともに重要文化財)など数多くが文化財に指定されている。三幅対「達磨・豊干・布袋図」(重要文化財)は、達磨を中幅として、左幅に布袋、右幅に豊干を配したもので、左右の布袋と豊干は南宋末期の画家李確が描いた唯一の現存作として知られているが、中幅の達磨の作者は不明。
この他、海北友松の描いた「三酸・寒山拾得図屏風」、同じく「琴棋書画図屏風」、京狩野派の祖となった狩野山楽の描いた「文王呂尚・商山四皓図屏風」(いずれも重要文化財)などの絵画がある。
また、黄鐘調の鐘として知られる「戊戌年」(六九八年)の銘のある梵鐘(国宝)がある。
□以下過去問から
〇妙心寺法堂(はっとう)(重文)の天井には、狩野探幽の筆による( )が描かれている。
〇狩野探幽による「八方にらみの龍」と呼ばれる雲龍図で知られる妙心寺の開山は、( )である。
〇妙心寺法堂の天井に「雲龍図(八方にらみの龍)」を描いた人物は誰か。
〇日本最古の紀年銘を持ち、美しい姿とともに「黄鐘調」と呼ばれる音色が有名な梵鐘(国宝)は、俗に「算盤面」ともいわれる寺院( )にある。
〇室町時代の水墨画の傑作で、如拙作「瓢鮎図」(国宝)は、妙心寺の塔頭である( )が所蔵している。
■龍安寺
本尊 釈迦牟尼仏
臨済宗妙心寺派。山号は大雲山。世界遺産(文化遺産)。
細川勝元が妙心寺の義天玄承を招いて宝徳二年(一四五〇)に創建。玄承の師である日峰宗舜を勧請開山とした。
有名な枯山水の石庭は、国の史跡および特別名勝。虎の子渡し、五智五仏、七五三の石組、心字の象形などと呼ばれ、自砂だけを敷き詰めて十五個の石を配置する。作者・作庭年代などは不明。鏡容池を含む庭園全体は国の名勝に指定されている。
方丈(重要文化財)の北東にある茶室蔵六庵の前には、徳川光圀が寄進したという「吾唯足知」(吾唯だ足るを知る)の手水鉢が置かれている。
□以下過去問から
〇龍安寺にある( )は、平安時代の庭園遺構として貴重である。
〇禅宗を篤く信仰し、妙心寺の義天玄承を招いて龍安寺を創建した武将は誰か。
〇大徳寺の塔頭である大仙院や龍安寺の庭に代表される庭園様式を何というか。
〇円融天皇の御願寺である円融寺の跡地にあたり、山門を入って左手にある( )は、その園池といわれる。
〇一本の草木もない白砂敷きの中に大小( )の石を配置している。
〇方丈の北東にある茶室「( )」の前には、「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」の手水鉢が置かれている。
〇細川勝元が創建した( )は、15個の石を配置した枯山水の石庭で知られている。
〇特別名勝に指定されている( )の庭園は「虎の子渡しの庭」とも称され、白川砂を敷き詰めた中に大小15個の石が配置されている。
〇敷き詰められた白川砂に、15個の石を配置した枯山水庭園で有名なのは、( )の方丈庭園である。
〇「虎の子渡しの庭」とも称される15個の石を配した枯山水の方丈庭園が有名な寺院はどこか。
〇龍安寺の境内南側には( )を中心とした回遊式庭園がある。平安時代、この場所は徳大寺家の別荘であり、公卿が龍頭船を浮かべて楽しんだことが文献に残る。
〇龍安寺の境内南側には( )を中心とした回遊式庭園がある。平安時代、この場所は徳大寺家の別荘であり、公卿が龍頭船を浮かべて楽しんだことが文献に残る。
〇龍安寺の茶室「蔵六庵」の前にある、水戸光圀が寄進したといわれる手水鉢には、漢字四文字で何と書かれているか。
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