県立博物館ではまず軽食喫茶で腹ごしらえ。牛丼とアイスコーヒーで一息つく。講演会の受付時間と場所を確認して資料コーナーで鉄器に関連した企画展の資料や博物館で出している論文資料を探す。コピーをサービスカウンターにお願いしたり写真にとるなどして、途中受付を済ませギリギリまでねばる。
講演は三陸展関連で東大の大槌町にある「国際沿岸海洋研究センター」からサケの生態と民俗について二人の研究者から話があった。
まず生態の先生はサケ科の魚の分類に始まり、「塩ふき臼」の日本昔話にあるように上閉伊郡では米に次ぐ重要さんぶつであり、かつ貴重品だったようだ。常陸風土記や出雲風土記にも出てくるように古くから知られていたが誰でも食べられるものではなかった。国家の無い時代は縄文人をはじめ沿岸や遡上するサケを食べていたが国家が資源を管理独占すると庶民の口には入りにくくなったようだ。
次に回游の話で産卵後孵化した後、8月から11月にオホーツク海にでて次の年には北大平洋からベーリング海にでて翌年母川に帰ってくる。北アメリカのさけもアラスカ海からベーリング海にでて戻るらしい。
さけますの名称に関しては海外からのサケ科の魚紅鮭、ニジマス、ギンザケ、カラフトマスなどが入り、またサクラマスはヤマメと区別するために命名されたようだ。サケの放流が開始されて漁獲高が拡大し次第に庶民も食べられる魚になったが、6ー70年前は三陸沿岸でも正月だけとか病人用や贈答用など特別な機会しか食べられなかったらしい。
面白いのはサケは水温の高い場所を避ける傾向があり帰還する際、水温が高いと下に潜って水温の低いところで体力の消耗を避け、台風などの大雨が降ると海水が混ざりあって水温が上昇しその際は湾内にでてきて冷たい川の水を求めることが最近のバイオロギング調査でわかったという。サケの生態もまだまだ知られていないことが少なからずあるようだ。また三陸沿岸ではサケは河口から余り遠くないところで産卵するが北上川水系では遠くまで遡上ししかも支流に入って産卵することが多い。これは産卵には新鮮な湧水と砂利が必要で三陸沿岸の川は河口近くでもその条件に適した場所がある一方北上川水系では砂泥が多く湧水も少ないため遠くの支流に入っていかないと産卵できないと言う。
最近では温暖化の影響で海水温度が上昇し、回游できないサケが増えて漁獲量が激減しているらしい。それは深刻な話だ。そのため養殖に乗り出すところが増えているようだ。普段当たり前のように紅鮭おにぎりをコンビニで買っていたがサケの世界の奥深さに感銘を受けた。
一方サケと民俗のはなしでは三陸など沿岸や遡上する河川周辺の人々にとつてサケは重要な食料であり経済資源であったが、その一方で庶民にとって身近なようで遠い存在だったという。サケに関しては様々な民俗が残されているが江戸時代には初鮭はまず藩に献上し、それを江戸の将軍に献上して初めて一般のサケ漁が可能になった。これは幕府による土地支配、資源支配を確認する意味で深い政治的な意味があったらしい。また田野畑村の古い記録から明治時代にサケは盛岡の中野源助商店に売られることが多く、それらは何故か函館に転売される不思議な流通をしているという。サケの生態も経済も民俗も不思議なことが多く知らないこと未解明な分野も少なくないようだ。今日はサケについて学ぶことが多かった。感謝
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