今回の地味にすごい下越の縄文時代の講演者は、阿賀町社会教育課の阿部泰之さん。数年前にある考古学サークルで新潟と南東北の遺跡巡りをした時に阿賀町でお世話になった方。講演前に挨拶にいったら覚えていて下さった。左手が自由に使えるであろう八月の講演会のと期に阿賀町を訪ねることをお知らせして連絡先を確認。
講演は阿賀町の主要な縄文時代遺跡を縄文ムラの変遷という視点で第一幕の草創期から第二幕早期前期の定住ムラ誕生、第三幕中期の大規模なムラの成立、第四幕後期晩期のムラの小規模化までストーリー仕立てで解説された。要所要所に、見所の遺物の解説も挟んで中々分かりやすい話だった。
早期定住ムラ大谷原遺跡の常世式土器と大量の磨石など、いかにも定住ムラらしい出土遺物の写真が写し出される。中期の大規模なムラでは北野遺跡の大木7b.8a式土器(会津の影響)と大型長方形たてものと土坑の逆さの浅鉢は土器被り葬ではないかという。とすれば被葬者は何者だろうか?ムラは環状集落と予想されるが半分しか調査できておらずもし同様の集落が北側半分も続くとすれば百軒以上になりそうだが中期の九百年間の出来事とすると一時期ではさほどの住居数にはならないか?
また中期の土器の装飾の変遷や土偶、装身具などの話もあった。中でもキンカ杉遺跡の土偶は巨大だ。また腹遺跡から出土した靴形土製品は、珍しい。縄文時代でも冬用の毛皮の靴はあったに違いない。最後に後晩期のムラの縮小、石棒祭祀などの話で第四幕も終わりフィナーレ。講演に出てきた県埋蔵文化財センター展示の北野遺跡の浅鉢や炉の埋め甕の実物を阿部氏に尋ねた。阿部氏に再開できて話を聞けて実り多い1日だった。
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7月10日日曜日 2 阿賀野川上流域の縄文ムラー新潟県埋蔵文化財センター講演会
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