写真2.青苗貝塚の出土貝類
写真3.残された貴重な海岸ブナ林の解説
航空自衛隊奥尻駐屯地にある奥尻島最高地点の三角点などの見学が早く終わり、一端フェリー港に立ち寄って冷えたコーヒーを飲んで時間を潰し、稲穂研修センターに向かう。
9時半過ぎに到着し、考古展示を見始めると学芸員の稲垣さんが出てこられたので挨拶し展示を見た後お話を伺うことにした。
最初に縄文遺跡などの立地について質問、道すがら見た遺跡地図と地形を確認したが、大方は海岸段丘の緩斜面が大半で急斜面の崖には遺跡はない。仏沢や東風泊遺跡は比較的低地に遺跡がある。ところがいくつかの川の河口両岸の低地周辺には現在の集落はあっても遺跡はないのはなぜか?他に遺跡のあった場所はほぼ例外なく現在も集落が存在している。これに関しては稲垣氏はこれまでの入植者による田畑や宅地開発で度々掘り返されて遺跡が失われた可能性を指摘された。
次に土器文様の変遷について縄文前期からオホーツク文化、擦文文化までお話を伺う。青苗遺跡と青苗砂丘遺跡の道指定について伺うと青苗遺跡は貝塚を含め出土品の一部が北海道の有形文化財に指定され、青苗砂丘遺跡の場合は遺物ではなく遺跡歩のそのものが道指定文化財となるが出土品は指定されていないとのこと。青苗砂丘遺跡は、ごく一部しか調査しておらず出土品も多くはないがオホーツク文化の最南端として、重要他であることから遺跡全体を保護することになったようだ。また、展示されている土層は青苗中学校の背後辺りの場所で津波関連の過去の土層の記録を震災後に確認するために地質学者らが作成したもののようだ。
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