写真2最新研究で明らかになったネフライト(軟玉)製石斧ー従来、蛇紋岩製と考えられていた。蛇紋岩も産地は限られるがネフライトは、更に限られるようだ
写真3. 百目木遺跡出土土器など
滝沢市埋蔵文化財センターから、上記催し物の葉書が届いたので予約して出掛けてみた。同センターで企画展、同市ふるさと交流館で講演会があるが、交通の便があまりよくない。前回はタクシーとバスを組み合わせたが、今回はどうするか同センターに電話したら、全く雪はないという。これは珍しい。冬場に盛岡を訪ねると市内は余り積雪がなくとも滝沢市にはあることが多い。
新幹線の車窓から那須連山を見ると標高の高い所にはさすがに雪が見えるが、雪の無いスペースが多い。そこで今回は駅のそばの駐輪場で電動チャリを借り、遺跡の学び観と埋蔵文化財センターまで11キロ強をチャリで走ってみることにしてヘルメット持参で盛岡に向かった。
荷物の一部を北口ロッカーに収納し、駐輪場でシェアサイクルを借りて遺跡の学び館に向かう。歩道の一部や日陰には雪や凍結箇所がある。予報では晴れだが早朝と午後に雪マークがある。湿気の多い雪のようだ。早朝の降雪が滝沢市でどうなっているか、少し心配になる。
館に到着して、さっそく「盛岡を発掘する」の展示をみる。冒頭の落合遺跡は盛岡駅から北東へ四キロのなかつがわと支流の米内川の合流点な位置し、縄文後晩期の配石遺構で知られる遺跡らしく、今回は第22次調査て、縄文時代と古代の竪穴建物跡、縄文後晩期の土坑群などが見つかった。土坑群とともに、配石遺構、土坑墓も見つかり、中期から晩期の土器、石器などの他多くの遺物が出土し
石棒、土偶、軟玉製石製品など、祭祀に関わる遺物が多いようだ。
次にパンフレットには触れていない手代森遺跡、縄文晩期の土器、石棒、装身具などが並び、晩期から、弥生時代の石器や、小形壺など。 次に百目木遺跡第45次調査で奈良、平安時代を中心とした遺跡。今回は竪穴建物跡11基、土坑13基、古代以降の建物跡などが見つかり、竪穴建物跡からは、土師器高坏、球胴甕、土製紡錘車などが出ている。また、竪穴建物跡からは、カマド遺構も検出されたようだ。
また、戦前に国指定史跡となった盛岡城跡では残された北側城壁の解体修復作業が行われ、建物の礎石などが発見された。
午後に滝沢市で開催される平泉と北方世界に関連する図録を購入し、滝沢市に向かった。途中道路のチョイスを間違え、凍結した小さな交差点に出てしまい、チャリを降りようとしたが間に合わず、というより歩いても滑るような凍結箇所で転倒、何とか怪我なく立ち上がり後の車も少し遠かったので事なきを得た。
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