第二章では乾山の作品ー定家の和歌を描いた角皿12セットーしかも狩野派風の絵付けと琳派風の絵付けの二種類を作っている。京都の呉服商に生まれた乾山は、初代雁金屋を創立した曽祖父は義兄に琳派創始者の本阿弥光悦、乾山の兄は尾形光琳という幻術化を輩出した家系で、乾山は漢詩や書画を良く学び、父の死後、25歳で遺産を相続して隠居、30台になってから焼き物を始めることになった。仁清と出会って、押小路焼きや桃山から続く志野焼き。美濃焼、織部焼や中国明国などの大陸由来の陶磁器にも学んで、独自の境地を築いた。漢詩や和歌、琳派や狩野派の絵などを取り入れ、仁清が焼き物に絵を描くのとは異なり、乾山は焼き物全体を書画の舞台としてのびのびとした作風を築いたようだ。第三賞は得意の写しの作品、第4章で蓋物、、第五章で懐石具、最後に晩年の江戸や佐野での作品とその後の後継者の作品を展示。
講演では、元芸大美術館長で永青文庫館長の竹内順一氏による、乾山の研究史・観賞の歴史など興味深い話しだった。
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