毎年この時期は、雪が締まってないので、「ラッセル泥棒」を話題にする記事を見かけることがある。
私は、自分でラッセルする時もあるし、遠慮なく「ラッセル泥棒」もする(あえて狙って盗みに行くことはしないが)。もっとも私のラッセルは、諸先輩方のような凄まじいものではなく、こんな私が述べるのもおこがましいことはお許し願いたい。
早朝の雪山に登るときに、トレースがなければ、自分で開拓できる喜びと裏腹に、大変だな〜という気持ちが交錯するし、逆にトレースがあると、ラッセルしないで済んだ、という安心感とともに、最初にトレースを作れなかったというガッカリ感の入り混じった複雑な気分になる。
もちろん、ラッセルの後追いをする時はトレースをつけてくださった方に感謝の気持ちをもって歩くし、追い着けば、お礼の気持ちを伝えて、「代わりましょう!」と言って先頭にたつようにしている。ただし、そんな時は交代した方の後方からのプレッシャーを感じて、意識的に頑張るラッセルとなってしまい、結局すぐに疲れて再度交代してもらうなんて場面が自分的には一番ツライ。そんな思いをするくらいなら、最初からフルラッセルした方がツライながらも精神的には気楽なので、なまじトレースがない方がいいかもしれない。もっともルートについては、後の方に迷惑をかけられないという思いもあるので、かなり気を遣うことは確かである。そういう意味では、私はまだまだ修行が足りないであろう。
いずれにせよ、普段から「ラッセル泥棒」している私に言わせれば、他人の「ラッセル泥棒」に対して不満はないし、むしろ自分のトレースの後をついて来てくれるという意味で、高村光太郎の「道程」ではないけれど、ちょっとした嬉しさもある。登山には様々なスタイルがあるので、SNSの情報と天候情報を駆使し、他人のトレースをフル活用する登山も否定しない。
しかし、こんな私でも、「ラッセル泥棒」に対して、気分を害したことが一度だけある。
それは、2年前に釈迦ヶ岳(高原山)に登った時のことだ。この時は、鶏頭山まではトレースを利用させてもらったものの、鶏頭山直下から釈迦ヶ岳までの稜線はノートレースでラッセルを必要とした。私たち夫婦がラッセルする数十メートルあとからついてくる後続者がいた。もちろん、私たちはラッセルなので、歩みは遅いし、疲労による休憩も頻繁にとる。
一方、後続者は私たちに追い着くことなく、私たちが止まると微妙な距離で休憩か停止するという状況が繰り返された。当時、ヤマケイ登山学校の「雪山登山」72頁の「ラッセル泥棒」に関するコラムをすでに読んでいたので、この状況で私は、「これがラッセル泥棒か!」と思い、私は、意地悪であることはわかっていたが、あえて進行を停止した(当時、ルートをロストするなどしてラッセルがキツかったということもあろう)。
停止してから10分以上経過したところで、後続者は業を煮やしたらしく、ようやく私たちに追い着き、追い越すところであった。後続者は、その際、私たちの横を無言で通過し、わずかに進んだところで「なんだ!トレースないじゃないか!」と吐き捨てるように言って、そのまま進むでもなく、引き返して帰ってしまった。私たちの前では終始無言のままであった。
その後、私たちは、ラッセルを進めて、午後1時前にようやく釈迦ヶ岳山頂に立ち、そこで長めのコーヒーブレイクとして、ピストンで下山したが、その後は後続者を含め誰ともスライドすることはなかった。
大したエピでもないのであるが、こんなくだらないことで気分を害する私のような心の狭い者もいるので、気を付けましょう。山登りは助け合い、特に、この時期は、お互い声を掛け合って励まし合いましょう、というだけのつまらない日記です。お目通し頂きありがとうございます。
せめて一言感謝の言葉が有ればいいのにそれすら無く完全楽チン雪山登山を楽しもうとするモノは放置して宜しいかと思います
共感くださってありがとうございます。
そなんです。その一言があれば、なんとも思わなかったと思います。こっちは夫婦だし、相手はソロでしたので、状況はなんとなく理解できたので・・・
ただ、「トレースないじゃないか!」の一言にはカチンと来ました。まあ、私自身も大人げない所だったな〜とは思い返しましたが、この時期の風物詩?でもあるので、自戒の念を込めて。。
登山道は一本道だからその人の後をついていった訳では無いのですが、向こうはそう思っていたフシがあり月夜野山手前の月夜野第二駐車場で休憩していました
私は休まずそのまま歩き続け、私が月夜野山頂に着くと直ぐ後からその人も到着しました
その後も同じ方向でしたが、わかりずらい分岐点では逆にこっちであってるかな?と訊かれたりしました
まぁ難しいところでもありますね
追い着くつもりでも、追い着かないときもあるので、そういう誤解もありえますよね。200〜300m先なら、それなりの距離もあるし、仕方ないと思います。それでも、washiokenさんの場合は、協力されて登頂でしたので、素晴らしいと思います。
私も今年1月、面白山で、私の前を歩く方になかなか追い着かず、結局、登りでは追い着けず、結局ピストンの一本道なので、下山途中の先行者と出会ったので、感謝を述べました。すると、その方は、「私は二番手で、もっと前にいる」とのことでした。一番手の方はかなり奥に行ってらしたようで、山頂で出逢い、感謝を述べて、しばらくお話しました。その方とは別のアプリですが、相互フォローの関係で、お互いに情報交換する関係になってます。
大した経験もない私が述べるのも憚れますが、大事なことは、やはり声かけにあるのではないかと思います。
失礼なヤツですね。
washiokenさんがおっしゃっているように、「トレースを使わせていただきました。ありがとうございます。」くらいの言葉があって然りだと思います。
他人のトレースだけ利用して雪山に登ろうだなんて、虫がよすぎますね。
そういった輩は、たとえば先行者が道間違いしたとしても「お前のせいで迷ったじゃないか!」と文句を言うんでしょうね。
先行者に勝手に付いていった自分自身が悪いのに・・・。
もし自分なら・・・、
・挨拶&感謝の声掛け
・(先行者の許可が得られれば)ラッセルの協力を申し出る
くらいは最低でもしますね。
できれば、先行者と山頂までご一緒し、登頂の喜びを分かち合いたいものです。(これも先行者の許可が得られればになりますけど)
こんな人は、先にも後にも、そのときだけだったので、例外中の例外だったのかな〜って思ってます。そのときは、本当に「トレース泥棒」っているんだ!とさすがに目が丸くなりました。
ホントラッセルは苦しいので、感謝の一言があれば、それだけで十分なんですよね。まあ、表現が苦手な方もいるので、一概には言えませんが、「トレースないじゃないか!」は流石に酷いと思いました。
なるほど、ラッセルで追い着いた場合も、先行者が自らラッセルを欲している場合もあるので、先頭に立つにも了解を得るのがマナーなんですね。ホント、お互いに先頭を交代しながら、登頂の喜びを分かち合う。そういう雪山登山もいいですね〜東北だとそういう場面は滅多にお目にかからないけど、関東甲信越だとそういう山も多いのでしょうね。
私は幸運なことに そんな目にあったことはないんですが
体力に乏しく、ラッセルしてる前の人らに追いつけないことも よくあり、「ラッセル泥棒て思われてたら嫌やなぁ」と思ったりもしますが、それより しんどいのが勝ってて結果、あんま気にしてないですwww
こんなことが本当にあるんだ、と思いました。
意図的なそういう人のことを「ラッセル泥棒」というのであって、普通にトレースの跡を歩く方は、そういう言い方はよくないですよね。私もラッセルしているときは、あとの方のことを「ラッセル泥棒」とは全く思っておりませんし、そもそも私自身も、追い着けないこと多々あります。仰るとおり、あまり気にする必要はないかと思います。
何も言わないし張り付いてうざいなーって思ったら、後ろは休憩取れない場所を狙って、先を行く道だけしっかり開けてガッツリ休憩したりとか。
銃社会のアメリカなんかでやたらとフレンドリーなのは別に国民性でもなんでもなく、単純に私は敵じゃないよーってアピールして撃たれる可能性を減らすという側面もあるそうで。
山でも度合いはともかく意味合いはほぼ同じで、親切、フレンドリー、ここら辺は安全確保の技術の一つだと思ってます^^:
張り付いて離れない人ってやはりいらっしゃるのですね。休憩取れない場所を狙って先を行く道だけしっかる開けるとは、さすがの対応ですね。今回は疲れてて、そこまで考える余裕はありませんでした。私の事案の場合は、簡単に諦めちゃったからあっけなかったですが。
ラッセルのような苦しい時こそ、フレンドリーに接することができるといいですね。今回も大人になって、こちからフレンドリーに接するべきでした。もう張り付かれている段階から半分気分が悪くなっていたので、大人げなかったので、その点は反省してます。
素晴らしい経験をお持ちですね。白毛門は行ったことはありませんが、その立地や急登具合から厳しく大変なラッセルであったとお察しします。そこを皆さんで気持ち良く、交代でラッセル・・素晴らしいですね。本当に厳しいときこそ、協力が大事ですよね。そういう経験があると、山に対する向かい方も人に対する向かい方もとても大きくなるような気がします。とっても勉強になります。ありがとうございます。
追いついたら一言お礼しても良いのにね。
残念な人でしたね。
BCではラッセル泥棒されたあげく、ファーストシュプールまで盗られたらまた腹が立ちます。
そんな時も一言有れば、どうぞと言えるのに
仰るとおり一言あると全然違いますよね。別に「感謝」でなくていいんです。
以前、ある山でラッセルしていたんですが、後ろから身軽なトレランの方が追い着いてきて、
私たちが「遅いんでお先にどうぞ」と伝えたところ、「すいません、私はこんな装備なんで・・・(ラッセル)お願いします」と言われ、その方が後を追う形でラッセル続けましたが、別に気分は悪くなかったです(むしろ、こんな雪の時に貧弱な装備でこちらが心配になったくらい)。
辛いときほど、ほんの一言が大事ですよね。
ラッセル、トレースはあるのが当然じゃなくて誰かが誰かがつけたものと認識出来てれば、交代やお礼は当たり前のことと感じられるでしょうにね。
私は今年、数度、ラッセルして、ラッセルしろという私より年齢的、性別的に体力があるであろう方に命じられることがあって、さすがに腹が立ちましたね。
自分自身ラッセルして、その厳しさが分かっているからこそ、自分のたどるトレースについては、自然と感謝の気持ちが沸いてきます。言葉はその延長で自然に出てくるものだと思ってます。
ところで、最近、山を歩いていると、心・技・体いずれの面からも、性別とか年齢とかはあまり関係ないと実感してます(笑)それでも、ラッセルは、人に命じるもんではないですよね。腹が立つのは当然だと思います。むしろ、人がラッセルしているのを見ると、役に立つかは別として、黙っていても、自分から手伝いたくなる、もしくは交代したい、と思うのが自然だと思うのですが・・・
皆さん多数コメント寄せられていて、ラッセル泥棒に対して関心高いのだとおもいます。
少し気になりましたが、ラッセル泥棒の定義とは?
私の認識は、既存のトレースを辿るだけなら泥棒ではない。
先行してトレースを作っている人に追いつかないようにわざとペースダウンしてラッセル回しに参加しようとしないのが泥棒。
そのように認識しています。
追い付いたら「トレースありがとうございました。回しますのでトップ出ます。」と後ろから挨拶するのが当然と思っています。
先行者がラッセルを楽しんでいるのなら「まだトップやりますよ。」と返事あるはずですし、トップが疲れたら「回して下さい」と脇に避けると思います。
何にせよ助け合いの精神は大事にしたいですね。
私も、こんな駄文分に、これだけの反応に驚いています。
さて、定義ですが、今回あえて、land-raiderさんの仰る前者も含め「ラッセル泥棒」と表現しました。これは、多くの記録で、「ラッセル泥棒で山頂へ」など表現されていることもあって、あえて広義の意味で使わせてもらいました。厳密にいえば、land-raiderさん仰る後者が「ラッセル泥棒」だと認識しています。まさに「故意」で人のトレースを盗もうとしているわけですから。。
仰るとおりですね。ラッセルに対し、お礼を言ったり、交代を申し出たり、声かけするなどは、山を歩いていれば当然だと思うし、意識するまでもなかったです。特に2年前は、まだ「山に悪い人やズルい人はいない」という幻想を信じていました。そんなこともあって、私自身、余計驚いてしまったのもあると思います。季節柄、ラッセルした直後もあって、ちょっと日記に書いてみた次第です。
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