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いろいろ気になったので、帰宅して調べてみると、深山のすぐ南にある鷹討山から北側は、山元町の管理区域で、鷹討山から南は私有地だそうです。なるほど、深山(鷹討山)の北側と南側を実際に歩いて比較するとわかりますが、その植生も管理具合も全く異なるのを実感します。南側はササ(アズマネザサ)が大量に群生し、刈払いがなければ私のような素人だと歩くことは大変難しいことがわかります。
そんな猛烈な笹薮地帯を、地権者の許可をもらって、剪定鋏一丁で、なんとか人が通れるような状態にした人がいたそうです。その人の名前は富沢薫さん・・・なるほど「カオル」とはここから来てたんですね。
ただ、残念なことに、富沢薫さんは、2009年9月に北アルプスの奥穂高岳付近で、帰らぬ人となったそうです。この時、富沢薫さんを救助しようとして、岐阜県の防災ヘリが墜落して乗組員3名も亡くなった痛ましい事故があり、この事故自体は多くの方がご存知かもしれませんね。
富沢薫さんが亡くなった後、その奥様が、「カオルの見晴台」のある場所の切り株に供物をお供えして、薫さんを供養されていたそうです。その後、薫さんを知る人がこの地を「カオルの見晴台」と呼ぶようになりました。ただ、この場所は藪などに埋もれることがあったようですが、薫さんの思いを知る方を中心に、刈払いを行い、2021年には関係者の許可を得て、写真にあるような看板を設置したとのことです。
もちろん、稜線の道も、薫さんの志を継ぐ方が毎年のように整備されなければ、あっという間に藪に覆われてしまうでしょう。こういった先人の皆様のおかげで、私のような素人でも、薫さんが目標にしていた馬船峠、さらには小斎峠までの峰道を辿ることができたわけですね。
カオルさんが亡くなってから15年、3.11から13年、登山アプリのの普及もあり、このカオルの見晴台から馬船峠の峠道を多くの方が歩くようになったようです。美しい太平洋と震災を経て変貌していく山元町をはじめとした沿岸部を見晴台から眺めながら天のカオルさんは、何を思うのでしょうか。
参考
https://blog.canpan.info/asitano-hibiki/archive/628
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