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最近のカラフルな寝袋を見ると外布に新素材を使った製品ばかりで、綿布の寝袋など見ることも出来ません。
今でも私の所有する寝袋は大昔、最初に入手した難燃処理された綿布製の進駐軍放出の寝袋です。
秋葉原のジャンク屋で、たぶん1957年頃買いました。
でも、ここ10年以上点検していませんから、もう駄目になっているかも知れません。
アーミー色という軍用ジープの色と同じ暗いモスグリーンです。
当時、極めて大量に放出され値段も馬鹿安だったのです。
仲間達も皆、競ってこの寝袋を買いました。
何故こんなに安く、大量に放出されるのか、考えもしませんでした。
朝鮮戦争当時に戦死者の遺体を冷凍して清掃作業のため、一時日本に運んだあと不要になった寝袋でした。
それを業者が一括して買取り、クリーニングして保管して置き、登山ブームに合わせて一挙に販売した寝袋だったのです。
あることからそれが判明したのは、買ってから一年半以上の後です。
それを知ったとき仲間達の殆んどが買い替えましたが、私は使い続けました。
羽毛の品質がダウン100パーセントで軽量で小さく収納でき、保温性が抜群だったからです。
買い替えた仲間達が寒がる中、ぬくぬくと暖かく寝ていました。
背の高い欧米人用ですから大きく、靴を履いたままで頭の先まで入って眼と鼻だけ出して、厳冬期のテント内で寒さを感じませんでした。
後々、性能の良さだけは評判になり、新たに販売用に製造された新品の米軍寝袋は、著しく性能が悪くなり評判を落としました。
当時、そのジャンク屋で米軍放出の軽合金のハーケンとカラビナも安価に沢山買いました。
ハーケンは縦横兼用型、カラビナは安全リング無しのO型でした。
山では惜しむことなく、後に続く登攀者に必要、と思えば残置したのも懐かしい想い出です。ainakaren
ainka renさん 始めまして 一筆申し上げます。
死体袋と判っていても使う、当時の人々の度胸に頭が下がります。物不足の時代、ものが無い分、不便な分、使う人は使う努力と工夫を惜しまなかった。ものばかり溢れる時代に登山者が失っている物はあまりにも多いと存じます。
登山者ではなく消費者でしかない、それではなんの為の登山か?自戒といたします。
jinzaemonさん・コメント深謝です。
地下足袋の日記、拝見しております。
私も沢ではとび職用の地下足袋に草鞋を併用しておりました。
米国では死者は土葬ですから、日本人のように荼毘にできないんですね。
軍用寝袋は人形型ですから、遺体袋に最適だったのでしょうね。
遺体を洗う氷水の張った大きな水風呂の作業場があり、沢山の日本人作業員が従事していたそうです。
洗い終えると傷を修復し納棺、化粧してドライアイスを入れ、輸送機で本国に送っていたそうです。
寝袋は大陸の冬用ですから保温力は高かったようです。
私も多少気持ちが悪いと思いましたが、同じ性能の寝袋が無かったので我慢して使いました。
だが使っているうちにすぐ慣れてしまいました。
後で製造された軍用寝袋はフェザーばかりで性能が悪いものでした。
割り切れば、いい買い物だったのです。
秋葉原にはジャンク屋が沢山在りましたが、中には今では大きな電気店やスポーツ用品店になっている店もあるようです。
もう半世紀も前の話です。ainakaren
追伸・jinzaemonさんのご意見に賛同です。
現代は使い捨ての大消費社会、私もそれに適度に付き合いながら、山に登ってきました。
死体の運搬に使われたものを、忌み嫌うのも又、自然なことでありましょう。
生きるもの達の死者に対する敬いの心が少しでもあれば、凡て許されるのではと思っています。ren
9月11日午前11時・追記
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