同じように、登山者にも不可抗力の事故がある。
火事と親父は人災だから 普段から火の用心、親父用心でリスクコントロールも可能だが、天災は如何しようもない。
然し乍ら、不可抗力を理由に飛行機には乗るな〜、山には登るな〜では話にならない。
登山での不可抗力には唯、用心と覚悟あるのみと思っていた。
幸いなことに、登山中の大地震や大噴火には遭遇した事がなかった。
それは単に、運が良かっただけの事だ。
登山では、雷と雪崩が遭遇機会の多い事象だろう。
雷について正直に述べれば、遭遇してしまったら対処法は無いように思う。
下界では建物や車の中への避難や、高い木の下を避けて身を低くするなどと言われるが、山稜の岩場では避難場所もなく稲妻が横からも下からも飛んで来るのだから、運を天に任せて岩に伏せ、身を張り付けているより無いだろう。
金属製品を身から遠ざけろなどとも言われるが、落雷時の超高電圧に対しては金属も人体も同レベルの良導体だから全く意味が無いだろう。
岩陰に身を隠しても、その岩に落雷すれば却って落命する事もある。
用心は天候を留意したスケジュール管理だが、それでも遭遇すれば覚悟あるのみである。
昔、草津白根火口から弓池への途中、約7メートルの至近落雷に遭遇した。
下半身に電撃が走り、視覚と聴覚が一瞬吹き飛んだ。
2メートル程の背丈の岩に落雷していたが、もしその岩陰に避難していれば間違いなく落命していたろう。
雪崩に巻き込まれれば、助かるチャンスはベテランも素人も同じ確率だと思う。
昔、雪の流れに浮くように泳ぎ、停止寸前に顔前に手と腕で呼吸空間を作れ、などと教えられたが巧くゆくとも思えない。
用心は天候と行動時刻を留意したスケジュール管理と、巻き込まれて埋没した場合の探知器機や雪崩紐だろうか。
新雪の斜面でのワッフ音は雪崩の切迫前兆だが、それを聴いての回避行動が却って雪崩を誘発する事もあり、最善策への答は無い。
そんな時、運を天に任せる心境にもなるが、それが覚悟というものだろう。
昔、幽ノ沢出会い付近から湯檜曾川側へ、100メートル以上も雪崩に飛ばされた。
スキーを履いた両足脛が雪上に出た状態で止まり、這い出すことができたが顔面をスキーで打っていて、唇を切り上前歯3本に入れ歯をする羽目になった。
いざ吹飛ばされれば無我夢中で何かをする余裕など、ありはしない。
雪山には常に雪崩の危険があり、登山者には用心と覚悟あるのみである。
雷と雪崩は、遭遇してしまえば当に不可抗力だと思う。
だからこそ、用心と覚悟が肝心なのである。ainakaren
*写真は北穂高岳 撮影1958年夏
地震や噴火には遭遇した事はないけど、雪崩に流された事はあります。
泳ぐとか、呼吸空間を作るとかは、あの状況ではなかなか上手く行かないです。
それでも、諦めずにもがいて、助かる確率を上げるだけですけど。
雷も、電撃を感じる程の至近距離ではなかったけど、落雷した鉄塔のそばにいて、暫く耳が聞こえ難かったり目がチカチカした事があります。
バットレスの4尾根の取り付きのテラスで遭遇したときは、壁に背中を張り付けて縦横に走る稲妻を見ていると、上部の岩角に落雷して岩くずが降って来て、パラパラとヘルメットに当たった、なんて事もありました。
とにかく、雪崩、雷、地震、噴火、これらに遭遇したら、その時に出来うるだけの対策はして、あとは運を天に任せるしかなくいですね。
山登りとは、そいういう事もありうる遊びだという認識は持っておくべきでしょうね。
ただ、最近はそういうのでも訴訟になったりするからなぁ・・・
guchi999さん、こんにちは。
コメント深謝です。
雪崩と雷は、ベテランも初心者もありませんね。
用心と覚悟はあっても、対抗手段は殆んどありません。
生死の確率は乱数骰子を振る如し〜、です。
遭難死は登山者自身に覚悟があっても、悲しむ遺族は本人の覚悟とは無関係ですから、訴訟沙汰にする心情もよく理解できまし、同情もできます。
だからこそ岳人は、山で死ぬ事のないよう最善を尽くし、そして幸運を天に祈るのです。ren
残念ながら、この日記の投稿後間もない27日朝、栃木県那須町のスキー場付近で雪崩事故が発生し、8名もの若く尊い命が失われました。
遣り切れぬ思いで、いっぱいです。
誠に残念です。
今は、申し上げる言葉もありません。
ご冥福を祈り、心より哀悼の意を捧げます。相仲 廉
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