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富士山の山頂・山体を主役とすれば近景・人物は脇役として、とても効果的に配置されています。
遠近法を使った描き方なので、カメラの視線と大きな矛盾もありませんし、主役(山頂・山体)からの距離と脇役(近景・人物)の状況から、それぞれの画面枠内での位置と大きさが絶妙な構図なのです。
添付画像の例では山頂を上辺に中央をほんの僅か右に外して配し、荷を背負う牛と人足達の全身を千切れる事なく下辺に配しています。
天と地は上下画角一杯に配置し、画面枠内に余計な空間はありません。
例示の1作品を含む 富嶽三十六景 の36作品と、後発追加10作品の全てが富士山の写真撮影の参考になると思います。
*Wikipedia 富嶽三十六景 全46作品一覧 画像クリック → 拡大(右クリック続行でスライドビュー可能)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B6%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%99%AF#%E5%9B%B3%E7%89%88
拡大した画像一枚一枚を順に眺めていると、いつしか富士山を写す早春の旅へと誘われます。ainakaren
この牛何を運んでいるのだろう?今の人には想像もつかない当時の暮らしぶりがさり気なく入っていて、それがまた同時代の西洋人にも今の私と同じくらい異国情景として響いたそうで。本人はそんなに遠い場所遠い時代の人が見ると思っていたのか居なかったのか。
この電信柱も広告看板もない遠景が、いまはどれほど貴重なものか、なんてことまで北斎にはわかるまいな。
近景にごちゃごちゃ野暮なものを入れない純な風景は、今の時代、山の上からでなければみられませんね。
yoneyamaさん、こんばんは。
コメント深謝です。
そうですね〜
全く同感!
よく見れば、馬ではなくて牛でしたね〜
鹿でなくてよかったぁ〜
早速、字句訂正します。ren
ainakaren さま
北斎、好きです。
もう一回り以前の2005年10月から12月に東京国立博物館で開催された北斎展で一日遊んだことがあります。
その際に購入した全作品を掲載した分厚いカタログが本棚の美学として鎮座しております。
人物、植物、動物、風景、お化けに、それはすさまじいほどの創作意欲に圧倒されます。
観察力の違いなのでしょうか。
人だけではなく動植物にも「生」の勢いを感じさせるものばかりです。
ほのぼのする京都の徳力版画も好きな私です。
下絵から何枚も版木を彫って、何回も重ね刷りする根気のいる木版画の世界。
でも、集中できるので時が止まった感覚を味わえます
この絵は0富士のスタート地点、田子の浦に近い今もその地名を残す大野新田ですね。
今年も0富士チャレンジしたくなりました。
77ms1ksbさん、こんばんは。
コメント深謝です。
北斎、いいですねぇ〜
古いのに、新しい〜
今年の冬は富士山が遠望出来る日が多く、山行記録に綺麗な富士山写真が沢山投稿されていました。
それらを見ていると、北斎の『富嶽三十六景』を彷彿とさせるような素敵な構図の写真が沢山目に留まりました。
北斎の板画集を見直せば、遠近法により描かれた絵の構図が写真構図のようなパースペクティブなので、そうした写し方も有りかなぁ〜なんて考えました。
確かに北斎は、写真構図のヒントになりますね。
私は写真の撮影技術が下手なので、せめて構図だけでも北斎をヒントに少しは向上したいと思いました。
もはや老いて、0富士登山は夢となり果てました。ren
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