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軍歌を歌い教育勅語を暗唱した学童、学生でも、学徒動員の対象外の6歳から15歳の子供達である。
因みに赤紙の来た学徒動員対象者達の年齢層は、戦中派と呼ばれるようである。
開戦前に成人に達し就職していれば戦前派だが、今はもう生存者数も少ないだろう。
私は、どうやら戦中派と戦後派の狭間に存在する闇市派世代という事らしい。
終戦直後の音楽は、並4と呼ばれた真空管式ラジオから細々と聴こえていた。
5球スーパーラジオが家庭に出現するまでに”りんごの歌”や”東京ブギウギ”、ひばりちゃんの歌う”東京キッド”が流れていた。
家には手巻きゼンマイ式蓄音機があり、クラシックのSP盤レコードが何枚かあった。
片面4分程度で、その都度針交換を必要とする蓄音機とSP盤で聴くヨハン・シュトラウスの”美しき青きドナウ”やロッシーニの”ウイリアム・テル序曲”などポピュラーなクラシックが、我が音楽への開眼であった。
5球スーパーからやがて電蓄の時代になると、モノラルだが驚異的に音の良いLP盤レコードが出現する。
すると手製のオーディオ装置を使うレコードコンサートが、大流行して人気を集めた。
私もオーディオ道楽に嵌り、手造りに熱中した。
私の音楽趣味は、この頃に手造りオーディオ道楽と共に歩んできたのである。
当時LPレコードで得られる限りの音楽を、ジャンルに拘らず聴いた。
クラシックとジャズの他には、当時流行していたムードのマントバーニ楽団、マンボのペレス・プラド楽団、アルゼンチンタンゴのホアン・ダリエンソ楽団などのLPがクラシック盤と共にオーディオチェック用に使われて、次第に耳に馴染んでいったのである。
そしてステレオレコードの出現以前に、私の音楽趣向は決定されてしまっていた。
プレスリーや、ビートルスが大ブレークする以前の事である。
プレスリー、ビートルス、そしてロックのグループサウンドが流行している頃、LP盤がステレオ化され、モノラルの手造りオーディオ装置は事実上死んでしまった。
ステレオ再生用として、手造りで同一装置の片方を新たに造ることが難しかった事情があった。
オーディオの世界は家庭用一体型ステレオを経て、コンポーネントステレオの時代へと進行していた。
当時、私にとって音楽を聴く楽しみは、ハイファイ音を聴く楽しみでもあった。
そこに急速に出現、発展、大流行したのが、エレキ音楽であったのだ。
だが、オーディオチェックやチューニングに、エレキギター、キーボード、シンセサイザーなどのエレキ楽器の音は全く不向きだったのである。
オーディオマニアの私はアコースティック楽器に拘り、エレキ楽器を聴こうとしなかった。
残念なことにハイファイ音への拘りが、新しい音楽文化を受け入れることを結果的に拒否していたのである。
近年、加齢による聴力低下が進行し、音響装置を全て処分してオーディオ道を引退した。
近頃では音質を気にせずに、音楽が楽しめるようになった。
倅が所帯を持ち家を出て以来、初めて残していったCDを探ってみた。
その殆んどがロック系やフォーク系のグループサウンズである。
その2枚組CDの冒頭をCDラジカセで聴いてみた。
あぁ〜、"CARPENTERS"〜 倅の部屋から聴こえていた懐かしい歌声である。
倅と音楽の話などしたことが無かったが、新しい音楽文化を理解していれば楽しく話ができただろうと思うと心残りで、ちょっとばかり寂しい気がする。ainakaren
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