外部の大手ブログ・サイトにも複数の日記ブログを開設していますが、ヤマレコ以外の日記ブログには日記一覧の掲示システムがありません。
ですから日記への来訪者数がとても少ないのです。
ヤマレコ日記に来訪者が多いのは日記一覧システムの優れた特徴ですので、皆さんがそれを活かせるよう譲り合って日記一覧への同日重複投稿と同日連続投稿はマナーとして遠慮しています。
ヤマレコ以外の外部ブログで一番困るのはユーザー以外のゲストがコメントに自由に書き込めるので、質の悪いコメント書き込みが多いことです。
多い時には毎日のように卑猥な落書きをされます。
私は見つける度に削除していますが、更新や削除のされなくなった日記のコメント欄は悪質なゲスト達によって落書き帖として使い回され、酷い状態のまま公開され続けているのです。
更新や削除がされなくなって久しい日記の中には、それまでの闘病の記録などの文脈から亡くなられて主亡き日記となったものがあります。
残念ながらそうした日記に禿鷹のように群がって卑猥な会話をする心無い人達が居るのです。
ヤマレコ日記にはそうした心配が全くありません。
これは将来の事が安心で、とても有り難い事です。
ヤマレコ日記が主亡き日記になったらどのように扱われるのか気になっておりましたので、管理人さんに問い合わせてみました。
頂いた回答によれば脱退の手続きがユーザー側から行われない限り、長期間更新が無くとも、仮にユーザー本人が死亡してもヤマレコ・サイトが存続する限り、記録は全て保存されユーザーネームもマイページも維持され続けるそうです。
言い換えれば、死去してもユーザーで居ることが出来るのです。
一方、脱退手続きをすると、記録は全て保存されますがユーザーネームとマイページが削除され、そこからの記録へのアプローチが出来なくなります。
だが記録そのものは残っていますので一覧などから探し出して読むことが出来ます。
但し、ユーザーネームは無くなりますからゲストの記録として扱われる事になります。
私は死後もヤマレコユーザーでありたいと願っております。
それはヤマレコサイトが信頼できる素晴らしいサイトで、記録の全てを安心して託すことができるからです。
だがそのとき他のサイトの日記をどう扱うか悩んでいます。
遺言で遺族に綺麗さっぱりと削除して貰うようにしなければと、その具体的方法を考慮中です。
誠に寂しいことですが、私のそれらの日記が主亡き日記になる日までには解決しておきたいと思っています。ainakaren
携帯電話やパソコン時代になって、死んだ人が残すものも様々になりましたね。僕は友人を山で亡くすことが多いので、しばしば自分の死後のことを考えます。その人の事を覚えている人が一人もいなくなるまで、人は誰かの心の中で生きていますからね。
記録をデータにしておいても電気が絶えれば見られない。紙にしておいても津波が来たらさらわれる。けれども今のところヤマレコは、大切な記録の一番安心な保管場所ですね。matoyanさんがご無事なうちは。
yoneyamaさん・こんにちは。
本当にその通りですね。
私の昔の山仲間も、その殆んどが故人になってしまいました。
その人たちの痕跡を匿名性を維持し、ご遺族に支障のない様に残したい願いがあります。
それが私が世を去ったあとまで、少しでも続くなら有り難い事なのです。
私の死後、それを叶えられるのはヤマレコ・サイトしか有りません。
日記と山行記録に昔の仲間と山を書くことで、私は心の安らぎを得ており、救われます。
有り難い事です。相仲
山小屋など昔の山の記録や登山道の記録を資料から調べるのが好きです。今の山の条件が、先人たちのどんな苦労や、チャレンジの積み重ねのなかで、築かれてきたのか。それを知ることで、現在の山の様子もより深く見えてくるものがある。
本を通じて得られる場合がおおいそれらの足跡は、ほとんどは、今は世を去られた方々の、貴重な記録です。
登山には、そうやって受け継いだり、残したりしてゆく面がある。
ainakarenさんのお話は、広い意味で考えると、そういう大切な積み重ねを構成する努力だと思います。
ヤマレコの今後は個人ではわかりませんが、山の記録、そのなかに残される山道や小屋やいろいろな体験、登山形態、装備、行動時間などの記録そのものは、電子媒体の記録とネットという新しい手段を得て、いままでには考えられなかった形式で残されていくことになるのだと思います。
これは、ヤマレコに記録をアップしている人が、どこまで意識しているかにかかわらず、登山というものの性格から、そのように後々に受けとめられていくものではないかと思います。
ainakarenさん、こんばんは。
重い話題ですが、読んでいてふと「永遠のスカウト」というボーイスカウトの歌を思い出してしまいました。
日記はともかく、山行記録のある部分は残しておいていただきたいなあと思っています。死してのちもヤマレコで生きていられたら、それは(少なくとも私に取って)嬉しいことだと思います。
ainakarenさん、いつも感心しながら見させてもらっています、
どこかのコラムで山本一力氏が書いてあったのをまた思い出しました、
山本一力氏の小学校の若い先生がオールドブラックジョーの歌詞を読んでいる時に涙を流しながら、
今はわからくてもいいが、いつかわかる時が来ると先生がいっていた、
何で泣いていたのかわからずにいたが、この詩の言葉の意味を今この歳になって理解出来るようになったと、
確かに、この詩の内容を理解できるまでには自分がその歳になってみると理解できますね、
子供の時、楽しく野山で遊んだ友も今は誰も亡く、気がつけば自分の過去の事を知っている人はこの世の中に誰もいない、
何が悲しいかといえば楽しかった昔話も出来ず、自分だけがこの世の中で残された事ですか、
私も残念ながら段々その区域に近づいています、近所で私の子供の頃など知っている人も少なくなっています、
ainakarenさん、自分や友人の歴史を誰かに知っててもらいたいという気持ちはよく理解できます、
私には残す記録などないですが、それでも昔を思い出しながら遠い青春時代をヤマレコの中で探していますよ、
tanigawaさん、こんばんは。
昔の山と仲間達の想い出を、何か私の記憶以外に少しでも残したいし、私が居なくなって総てが消滅するのは寂しすぎるような思いがあるのです。
昭和30年代の登山がどんな状況だったか、どんな道具といでたちだったか、文章に書いて仲間の写真を記録する。
その情景の喜びと悲しみも、感じたまま記録しておく〜。
いいサイトを見つけることが出来て本当に幸せでした。ainaka
fireboltさん
naiden46さん
こんばんは。
このような重いシリアスな話題には、いつもコメントが付き難いのです。
そしてメッセージでコメント下さる方がいらっしゃいます。
今回は皆さんにコメント頂いて本当に有り難く思っています。
老人の心情を押し付ける気は無いのですが、昔語りにはどうしてもそうした側面が出てくるのです。
仲間達の着ている服、履いている靴を見て頂けると思うだけでも、私の遺恨の思いが軽くなって行くのです。
ヤマレコ・サイトとユーザーの皆さんを大切にしたいと思います。ainaka
ainakarenさん、おはようございます。
当面は大丈夫だと思いますけど、30年、100年サイトを残そうとすると大変なことだと思います。
yoneyamaさんがおっしゃる通り、matoyanさんがご無事なうちは大丈夫でしょうけど、お金の問題、災害対策、・・・。
しかるべき時期に全国ネットでヤマレコのBCP協議会を立ち上げる必要がありそうですね・・・
dari88さん、おはようございます。
私の希望は更新のなくなった記録に悪質な落書きがされないことです。
その観点から大手のブログ・サイトは駄目です。
管理する会社は大きくて安定していますが、サイトそのものが長期間維持されるのかも知れませんし、採算が合わず廃止されるのかもしれません。
そのことよりゲストが自由にコメントを書き込めるシステムなのと、ヤマレコのような専門サイトではないので、いろいろな人がアクセスすることが問題なのです。
ヤマレコは、登山専門サイトであること、ユーザ登録者しか書き込めないこと、管理者と管理委員が健全なサイトを目指していること、幸いなことにユーザーの皆さんが健全であること、素晴らしいサイトであるのはこれらの相乗効果の賜物と思います。
100年の保存を望んでいるのではなく、更新されなくなった記録が冒瀆されない事を望んでいます。
自分の死後に少しでも長く残ると信じられる記録に、山と山仲間の事を書き残す、画像も残す〜、アルプスの岩壁に仲間により打ち込まれた残置ハーケンのように無名の山仲間の痕跡を残す〜、そのことで私自身が癒されているのです。ainakaren
全く面識はありませんが、ヤマレコ・ユーザーで亡くなった人(がいるの)を知っています。2007年11月に十勝連峰の上ホロカメットク山の雪崩で遭難した方で、日記はありませんが、山行記録がその時点で途切れたままで、いつまで経っても最新の記録が2007年11月です。
例えが適切かどうか判りませんが、まるで、死んだ子供の部屋を親が片づけられずに、生きていたときのままにしている、そんな感じです。
最後の記録を読むと(読まなくても)、よもや自分が2週間後には死んでしまうとは思ってもいなかったのだろうなと、無常を感じます。
どこかに「この人は亡くなってしまったのですよ」と、知らない人に向けて書いてあげたい気もしますが、あるいは余計なことなのかもしれません。
私は大した山登りをしていたわけではないので、山で死んだ知り合いはほとんどいません。それでも、二人だけで山に行ったことのある高校や大学の同期や先輩の中には、若くして亡くなった人もいます。すると、その山行のときの彼らのことを知っているのは自分だけになってしまったのだなあ、とは以前から感じていました。少しでも、その時のことを憶えていてやりたい、とも思うのですが、実のところ、一緒に山に行ったということ以外にはほとんど何も思い出せないのです。
kennさん、こんにちは。
約半年前にも富士山でユーザーの方が遭難され亡くなりました。
其の方は今でもそのままヤマレコユーザーです。
遭難に限らず、主亡き日記、主亡き記録が複数あります。
どれもそのまま記録は生き続けています。
一方、脱退となった記録は手続きを本人がしているので殆んど現在生存している人です。
自分の消したい記録を削除してから手続きをしていますので、記録が少なくなっているケースもあります。
でも本人が自分の過去の記録を見たいときに、ユーザーネームとマイページが無いので簡単には辿り着けません。
他のユーザーやゲストが脱退者の記録を見るのも同じように大変なのです。
そこで私の結論は、死んでも脱退はしない、普段から残したくないような記録は登録しない、この2点です。
記録主の生死について印を付けない方がいいと思っています。
この人は忙しくて更新できないが、お元気でご活躍と思いたいのです。
人の心の中で生きていれば、その人は生き続けているのですから〜。ren
こんにちは。 重いですねぇ・・・。 曰く云い難しです。
この歳になると少し前が見えて来る様になるので、本当に深く感じます。
最近と言っても3年前、山友が鬼籍に入りました。 昔の記録を見ては、当時の事を
想い出し感無量に浸ったりしてました。いまだに住所録から削除出来ずに、そのまま
残してあります。
我が身を振り返って見ると何をどうするか、全く分っていません。
諸々の山道具・無線機器・高価な測定器等私にとっては未だに宝物、知らない人は、
ただのゴミの山にしか見えないと思います。
せめて後世に残せるなら、古い山行記録くらい哉とも思ったりもしますが、
50年も60年も昔の現実離れした記録を読んでも、あまり意味が無い様な気がして
投稿をためらって居るのが現実です。
大分本筋から外れたコメントになってしまい申し訳有りません。
yamakatoさん、こんにちは。
重い話題でごめんなさい。
にもかかわらず皆さんに真摯なコメントを頂けて本当に幸せです。
殆んど同年輩のyamakatoさんには、たぶん私の心情が一番お解りいただけるのかなぁ〜、などと勝手に考えてしまいます。
固有名詞としての会、仲間、自分を歴史として長きに渡り残したいのではありません。
私の心のなかで想い出としてあまりに大きいので、はみ出してしまい、かえって苦しく、吐き出して他の頭脳や記憶媒体にも私の分を受け持ってもらい、楽になりたい〜、うまく言えませんがそんな気分です。
書いていると涙が出ることもあります。
書くと楽になり、少し癒された気になるのです。
上手く表現できないなぁ〜。
私の記録は50年以上前の現在では意味の無いものばかりですが、それを見て拍手を下さる方も居られます。
yamakatoさんも写真があったら記録なさっては如何でしょうか。
私も拝見したいです。ainakaren 73 and 88
ainakarenさん、重い話でもいいですよ、
主が亡くなっても記録が残っているのは言い方は悪いけどその人のお墓だと思えば良いと思いますよ、
共通の想い出を持っている人がいるんだ、ア!そうだあの頃はそうなんだと思うだけでも良いんではないですか、
深く考えずに自分の好きそうな日記や山行記録だけ見て楽しめば良いと思います、それがヤマレコの良いところしょう、
私みたいな年齢と病気で山など行けずに、それでも何処か心の隅に未練たらしく思っているくらいです、
yamakatoさんの言う通り、もう履くこともない山靴やザックなどは捨てきれずに残していますよ、
ヤマレコの人も皆んな自分の山の足跡を何処かに残し、誰かに見て貰いたいと思っているんだと思いますよ、
だから書き込みなどしているんではないんでしょうか、
主亡き日記を見、そう云えば亡き姉の山岳会の会報は確かワープロで出来ていたのを思い出しインターネットで検索したらありました、
その会報から姉の名前を検索したら出てきましたよ、
40代頃からのでしたが、記録を見たら山岳会の先輩や仲間達から◯◯のお母さんと呼ばれて愛されていたようです、
こういうことも出来る時代に感謝しなければと思っています、
naiden46さん、「主亡き日記はその人のお墓」ですか〜。
なるほど!そうすると「拍手」だけでなく「お線香」なんてアイコンを作ってもらわないと〜。
私が在籍中の会報は謄写版刷りでした。
謄写版はガリ版と鉄筆で蠟紙を使う手刷り印刷器です。
検索で何でも調べられる便利な世の中ですが、何故侘びしいのでしょうか。
便利さに感謝はするものの、それが遺恨を埋め合わせてはくれません。
微力でも自分で何かをするしかないのでしょうね。ren
ainakarenさんコンバンワです。
プロフィールの画像が変わりましたね。
昔の人は良い事を言いました。
『トラは死して皮を残し、人は死して名を残す』。
今は昔と違って色んな形で残って行きますね、この日記を読むまでは考えも思いも付きませんでした。
人の山行記録で有っても一度は訪れた山で有れば、何故か登った様な気がしてきます。私も自分の山行記録が他の人の色んな意味で役に立てればと思って書いています。
そして、無事な顔と姿を自宅で待つ家族に見せる為に、何時も山へ登っていますよ。
kintakunteさん、お久しぶりです。
プロフの写真はメインがコアラちゃんですが時々、他の画像に期間限定で変えて楽しんでいます。
少し重いけれど平凡な日記を書きましたが、皆さんから真摯で感動的なコメントが寄せられ、おかげ様でいい日記にすることが出来ました。
ヤマレコはこのように真摯なコメントばかりが書き込まれますから「主亡き日記」になっても安心なのです。
皆さんがご無事な山行を続けられて、何時までも記録の更新が続きますように祈っております。相仲
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