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あれは、いつ頃の事だっただろうか。
山に倅を連れて行き始めた頃だから、70年代の末だったかも知れない。
仕事が忙しく常に過労気味で、山に行く回数も少なくストレスが溜っていたのだろう。
睡眠が浅くて夢見ることが多く、そこに亡くなった山友や肉親が現れる事があった。
「夢枕に立つ」とは、この事なのだろうか。
夢の中で懐かしくも短い時間を過ごし、手を振って別れ去り其処で目が覚める。
気がつくと頬が涙で濡れていたりするが、決して不快な気分ではなかった。
そのとき、夢の中に出逢いと別離を見るように現実も又然り〜、と思ったりしたものだ。
当時、テレビ番組の時代劇に「必殺商売人」と「必殺からくり人」が相次いで放映されていた。
二つとも人気番組であった。
どちらの主題歌か覚えが無いが、小林 旭の唄う「夢ん中」という歌を不思議にも良く憶えている。
その一節が「逢うも別れも 夢ん中」であった。
自分の見る「夢枕」とは場面想定が異なっていたが、この一節が不思議にも頭の片隅に今まで残っていた。
パソコンを始めたので「夢ん中」をユーチューブでいつでも聴く事ができる。
聴いていると「夢枕」を見ていた時代が思い出され、懐かしく寂しいが悲しくはない不思議な気分である。
残念ながら近頃は、夢を見ることが殆んど無い。ainakaren
ainakarenさん、こんにちは。
まさに、現実が夢だったのか、夢のような現実だったのか・・、ですね(笑)
残暑厳しき折、ご自愛を。
pokopenさん、こんにちは。
コメント深謝です。
夢のような現実があって、それを失なった補償が夢となるのでしょうか。
自分は年々年老いてゆくのに、夢の中の若者はいつまでも若く、幼児はいつまでも幼いのです。
夢見ているときには、その事を少しも矛盾には感じません。
見たい夢が、録画を見るように自由に見られればいいですね。
それこそ夢のような話ですかねぇ〜。ainakaren
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