スキー板の形が機能優先の決まりきった形状だけに、色彩の選択と配置をデザインの中心にせざるを得ないのだろう。
子供用にはキャラクターを描いた楽しいスキー板や花模様もあるが、何れも本格的なデザインと呼べるほどのこともない。
例外的に唯一、著名芸術家の素晴らしいデザインのスキー板の記憶がある。
「藝術は爆発だ!」で有名な岡本太郎氏がデザインした ”カザマ 太郎モデル” である。
氏は後年(1970年)大阪万博の「太陽の塔」を制作しているが、この ”カザマ 太郎モデル” の発売は、その10年前の1960年頃ではなかったかと記憶している。
カザマスキーのブランドは現存しないが、昔は有名なスキーブランドだった。
太郎モデルはグレードの高い板であったから、それなりに高価なので憧れるだけで手が出せなかった。
当時、店頭で垂涎の眼差しで眺めたことが幾度かあったが、ゲレンデで遭遇したのは唯一台だけである。
志賀高原の法坂スキー場(現サンバレースキー場)のゲレンデで太郎モデルを履いた人を見掛け、偶然にもスキー宿が同じで後に乾燥室で再会し二言三言、言葉を交わした。
スキー板の印象が強過ぎて持ち主の記憶が薄いが、三十代の越後訛りの男性であった。
スキー慣れした上級者らしく、カンダハー締具ではなくロータリー式のラグリーメンを取付けていた。
過去に何台ものスキーを履き潰したが、はっきり記憶しているのはデザインの殆んど無い地味な札幌・秀岳荘の山スキー1台の姿のみで、他のスキーは全部忘れてしまった。
だが、憧れだけで手にすることのできなかった ”カザマ 太郎モデル” の素晴らしいデザインは、鮮明に記憶に残っているのである。ainakaren
*追記関連記事 https://www.joetsutj.com/articles/52012791
http://club-alpine.blog.jp/archives/1601986.html
ainakaren さま
まいどです。
お気に入りは誰にでもありますね
昔はゲレンデ使えるようにするにもみんなで板履いたままでラッセル。
汗びっしょりになりました。
それでも着たまま乾かしたような記憶が。
カザマも素敵な板でした。
77ms1ksbさん、こんばんは。
カザマも芳賀もスキー板のブランドは殆んど現在消えてしまいましたね。
昔、高嶺の花だった輸入スキー板が今は安価ですからね。
寂しいですよ。
当時はダウンウエアーも高価でしたから、皆綿入れのキルテイングウエアーを着てましたね。
装束は山スキーとゲレンデスキー共用でしたから山登る人の装束は地味で格好も悪かったです。
ゲレンデでは長いスキーが好まれ、173センチの身長に対し最長210センチのスキー板を履いたこともありました(写真)。
年々短いのが好まれ、終いにはゲレンデでも190センチを履くようになり、山スキーと同じくらいになりました。
最近はもっと短いんだそうですね。
板の性能が上って安定性が増したのでしょうか。ren
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