記録ID: 24089
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
槍・穂高・乗鞍
北ノ俣岳・黒部五郎岳・雲ノ平 黒部源流の山々を一巡り
1995年08月01日(火) 〜
1995年08月05日(土)


- GPS
- 104:00
- 距離
- 47.9km
- 登り
- 3,892m
- 下り
- 3,878m
コースタイム
8月1日 東京の西多摩・自宅発(4:17)→神岡・打保の登山道起点(10:05、10:52発) →水ノ平(12:30、イワナと遊ぶ、13:02発)→飛越新道分岐(14:10)→鏡池平(14:50、尾根筋は湿原、池塘が続く)→寺地山(15:10)→北ノ俣避難小屋(16:12) 〔避難小屋泊〕
2日 避難小屋(6:25、ニッコウキスゲ、ワタスゲ、池塘ののびやかな斜面)→ 北ノ俣岳の稜線・神岡新道分岐(8:25)→北ノ俣岳(8:35、8:55発)→赤木岳→小ピーク(9:50)→中俣乗越→黒部五郎岳の肩・分岐(12:15、高山病が出て、頭痛、倦怠感がひどく動けず、食事はとれる。12:40ごろ発。いっしょに登りだすが動けなくなり、10分ほど横になる。遥子らは先に山頂へ)→黒部五郎岳(13:15、13:25発)→肩の分岐(13:40、カールへ下る道で吐き気も出て、子どもたちを先行させて休む) →黒部五郎小屋・キャンプ場(16:35) 〔幕営〕
3日 黒部五郎小屋(7:20)→三俣分岐(9:06、トラバース・ルートをとる。大きな雪渓を渡る)→三俣山荘(10:15、昼食。11:12発)→黒部川の渡渉点・岩苔乗越コースとの分岐(11:42、11:50発)→雲ノ平キャンプ場(17:00) 〔幕営〕
4日 雲ノ平キャンプ場(6:40)→薬師沢小屋(9:55、食、釣り。11:05発)→太郎兵衛平(14:20)→薬師峠キャンプ場(14:43) 〔幕営〕
5日 薬師峠(5:52)→太郎兵衛平(6:20)→太郎山→北ノ俣岳の分岐(7:42、7:52発)→北ノ俣避難小屋の上の草原(9:02、食。9:13発)→寺地山(10:04、食、10:28発)→飛越新道との分岐(11:26)→水ノ平(12:10、イワナ捕り、12:40発)→神岡新道・登山口(13:30、14:05発。林道で伐採作業のため15:00まで道をふさがれる)→福地温泉(15:55) 〔宿泊〕
6日 福地温泉を朝8時すぎに出て、乗鞍スカイライン経由で、15時40分に自宅着。
2日 避難小屋(6:25、ニッコウキスゲ、ワタスゲ、池塘ののびやかな斜面)→ 北ノ俣岳の稜線・神岡新道分岐(8:25)→北ノ俣岳(8:35、8:55発)→赤木岳→小ピーク(9:50)→中俣乗越→黒部五郎岳の肩・分岐(12:15、高山病が出て、頭痛、倦怠感がひどく動けず、食事はとれる。12:40ごろ発。いっしょに登りだすが動けなくなり、10分ほど横になる。遥子らは先に山頂へ)→黒部五郎岳(13:15、13:25発)→肩の分岐(13:40、カールへ下る道で吐き気も出て、子どもたちを先行させて休む) →黒部五郎小屋・キャンプ場(16:35) 〔幕営〕
3日 黒部五郎小屋(7:20)→三俣分岐(9:06、トラバース・ルートをとる。大きな雪渓を渡る)→三俣山荘(10:15、昼食。11:12発)→黒部川の渡渉点・岩苔乗越コースとの分岐(11:42、11:50発)→雲ノ平キャンプ場(17:00) 〔幕営〕
4日 雲ノ平キャンプ場(6:40)→薬師沢小屋(9:55、食、釣り。11:05発)→太郎兵衛平(14:20)→薬師峠キャンプ場(14:43) 〔幕営〕
5日 薬師峠(5:52)→太郎兵衛平(6:20)→太郎山→北ノ俣岳の分岐(7:42、7:52発)→北ノ俣避難小屋の上の草原(9:02、食。9:13発)→寺地山(10:04、食、10:28発)→飛越新道との分岐(11:26)→水ノ平(12:10、イワナ捕り、12:40発)→神岡新道・登山口(13:30、14:05発。林道で伐採作業のため15:00まで道をふさがれる)→福地温泉(15:55) 〔宿泊〕
6日 福地温泉を朝8時すぎに出て、乗鞍スカイライン経由で、15時40分に自宅着。
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
家にある子ども用の登山靴は、もう4足にもなってしまった。サイズは小さい方から、16センチ、22センチ、25センチ、26・5センチ。夏の縦走登山の前になると、足や体がぐんぐん大きくなる息子たちに、毎年のように新しい登山装備を買い入れてきたが、今回も、足のサイズが215・5センチに育った長男の岳彦(中学1年)のために、4足めの26・5センチの登山靴を購入した。この大きさは、私の足と同じで、実際に、靴下1枚だけならぴったり合う。どうせ、2年もすれば、また履けなくなるのだから、そうしたら私が使おうという腹づもりだった。 長男には、もう1つ、65リットルまで容量を拡張できる、やや大型のザックも購入した。なにしろ今回の登山は、4泊5日の幕営縦走。これまでの家族登山のなかでも、初めての挑戦になる。サッカー・クラブで鍛えた長男に、しっかり荷をかついでもらわないと、山行そのものが成り立たない。もちろん、2男の峻二(小学4年)にも、これまで岳彦がかついできた35リットルほどのサブザックを使ってもらうことにし、毎日の昼食・行動食、それに水筒などを背負わせることにした。2男が履くのは22センチの登山靴である。 8月1日、午前11時前、荷づくろいを終えた私たち4人は、登山口に車を止めて、神岡新道の登りにかかった。ここから北アルプスの縦走路の一角、北ノ俣岳にとりつき、黒部川の源流を囲む峰々を一周するように縦走して、5日の午後には、またこの登山口に降り立つ計画である。登山道の起点は、神岡市山之村の打保(うつぼ)の集落から4キロ近く林道を登ったところにある。凸凹道に角ばった砕石が散らばるひどい悪路だったから、タイヤがパンクしないかとひやひやさせられた。 今日は、標高差700メートルをつめて寺地山(1996メートル)に登り、鞍部へ下降して、北ノ俣岳の取りつきにある避難小屋に入る。道は、沢にそったり、尾根を急登して、湿原をすすんだり、と変化があるが、とくに前半は能率よく高度をかせぐ、樹林帯のほど良い登りが続く。こういう山道では、草や笹が繁っていると夏場は閉口させられるところだが、登山道の両側はしっかりと草が払われていて、歩きやすい。木もれ陽の下でひと休みすると、汗がほおをつたって落ちるほどなのに、気分は爽快だった。 登山口から1時間半ほどで「水ノ平」とよばれる場所に出た。澄んだ水が流れる沢(双六川の支流・北ノ俣沢の枝沢)があり、「どれ試しに」とのぞいて見ると、なんとイワナが1つの淵に2、3匹ずつも遊んでいた。手づかみで1匹生け捕りにしたあと、また沢にもどしてやった。 その沢を越すと、オオバギボウシの淡い青紫色の花が咲きみだれる湿原に出て、道はもう一度、尾根の急登にかかる。根曲がり竹が両側を埋める。「初夏のころなら、タケノコがたくさん採れるだろうなあ」。足元が湿っぽいところでは、背丈が5、60センチほどに伸びたミズバショウが行く手をふさぐ。ときには蹴飛ばさないと進めないので、仕方なく、踏んだりもした。 急登が終わると、寺地山の肩にあたる平坦な尾根上に出る。ここに「飛越新道分岐」の道標があって、「えっ、そんな道ができていたのか!」と驚かされた。事前に神岡町役場に問い合わせたときには、打保の集落まで私たちも利用させてもらった「大規模林道」が開かれ、この舗装道路が富山県側の有峰まで伸びていることは教えてもらっていたが、その先の県境の「飛越トンネル」から新しい登山道が開かれたことなど、まったく知らなかった。「きっと、打保からのコースよりも、登りが楽なんだろうな」。そんなことを考えて歩きだしたら、今日、最初で最後のパーティーとすれちがった。聞いてみると、やはり飛越トンネルへ下るという。リーダーの男性は、「こっちのルートも結構きついよ」、道が単調なうえに、長くて、「打保からのコースより30分くらい短縮できただけかな」と話してくれた。そういわれると、湿原あり、沢あり、イワナありの打保のコースが、俄然、見直されることになる。ちょっとくらい登りがきつくとも、まあ、いいか。 分岐点からの道は、ほとんど傾斜がない尾根筋を行き、湿原や池塘が連続する。マイペースでゆっくり登ってきた遥子は、長い登りから解放されて、元気をとりもどす。岳彦も重荷のザックがようやく体になじんで、快調。峻二は「ワタスゲの歌」で名前だけ聞いていたワタスゲの実物を初めて見て(本当は一昨年の朝日岳・雪倉岳についで二度めのはずなんだが)、大喜びしている。みんなスタミナがあるのに、私は、さっきから頭痛が始まった。2000メートル近い高度で、最初の高山病症状が出始めたか。今回の山行も、選挙と1連の行事が7月末まで続いて、なんのトレーニングもしてこなかったからなぁ。 やっと着いた寺地山から、避難小屋までが、思ったよりも長く、1時間以上もかかった。もう、完全にバテバテ。ガイドブックなどのコースタイム(登山口から小屋まで2時間)は、この神岡新道にかんしては、まるであてにならない。だけでなく、下調べも不足しているよと、遥子に指摘された。とにかく、小屋の分岐の標識を見つけて4人とも歓喜の声を上げてペースを上げた。16時12分、着。 北ノ俣避難小屋は、予想をはるかに下回って、小さかった。屋根の下は6畳ほどの床面積の1間だけ。けれども、「ほらね、やっぱり赤い屋根だった」「きっとそうだと思っていたんだ」と子どもたちがいう、その外観は、針葉樹に囲まれてなかなか素敵だ。軒先には、冷たい水が引いてあり、ドラム缶をタテに半分に切った水槽に勢いよく水が落ちて、渦をつくっている。峻二は、笹舟をつくって、水槽に浮かべて遊び始めた。 結局、この小さな避難小屋は、この夜は、わが家の貸切りだった。 ガス・ランタンに火を入れる。夕食のメニューは、みそ漬けブタ肉(厚切り)の野菜炒めと、山菜おこわ(アルファ米)。冷たい水を使って、水割りもうまい。 小屋のノートには、神岡町が作った「北ノ俣岳・黒部五郎岳と山之村の山々」と題する冊子もはさみこんであった。中をめくると、神岡新道のコースの紹介が地図入りであり、「花のプロムナード・コース」とある。所要タイムは、起点(登山口)から避難小屋まで4時間40分とのこと。私たちは休憩を入れて5時間20分だったので、重荷を考えればまあまあ標準というところか。冊子には、神岡新道について「苦しい町財政ではありますが、神岡町、北ノ俣岳を訪れる人のために精一杯整備をおこなっております」と記してあった。ほんとうに歩きやすく、変化のある楽しいルートで、関係者の努力がしのばれた。 8月2日。日が昇る時刻を過ぎても、外が明るくならない。小屋の戸口(鍵はなく、夜でも、外からいつでも開くしくみ)を押し開けると、案の定、濃い霧がたちこめていた。ホットケーキを焼いて、朝御飯をすませ、6時25分、出発。 北ノ俣岳への登りは、始めは湿原のなかにルートが開かれていた。なるほど花が多く、とくにニッコウキスゲ、コバイケイソウ、ワタスゲが目立つ。ハイ松とガレの登りになるとシャクナゲやアオノツガザクラなども。けれども、私たちを悩ませたのは、歩をすすめるたびに水滴をたっぷり着けたハイ松から水がふりかかり、ズボンがびっしょりに濡れてしまうことだった。途中で棒きれを1本ひろい、これでハイ松の枝をたたいて、水を落としながら進路を切り開いた。寒いので雨具を着用。 コースタイム通り、ちょうど2時間の行程で主脈の縦走路へ出る。稜線の北側は、雪田がつらなり、ハクサンイチゲが大きな群落をつくっていた。冷たい風がガスを運んでくる。そのガスが切れると、縦走路の前方に大きな岩のかたまりのようにそびえる黒部五郎岳が見え、左手には黒部川源流をはさんで、雲ノ平と水晶岳も眺められた。学生時代から登りたかった山々、2年前には登山届まで出しながら、記録的な冷夏と長雨で縦走の計画を断念した山々。その山々が目の前にある。 北ノ俣岳の山頂(2662メートル)には8時35分着。 北アルプスの主脈の縦走路とはいっても、このあたりは日に6〜7時間の行程をかせがないと小屋へ行き着かない地域だけに、登山者は思ったよりも少ない。20〜30分ごとに1パーティーとすれ違う程度か。前線が東北南部まで下がってきた影響が出たのか、ときおり小雨もまじる天気になって、見通しがきかなくなってきた。稜線は小さなピークを連続させながら続いているが、先が見えないなかの、長い登り下りは、心理的にも疲れてしまう。けれども、縦走路の左手には、雪田、お花畑、岩とハイ松が、暗い空の下で精1杯の造形美を見せている。 赤木岳(2622メートル)を過ぎ、中俣乗越(2450メートル)の鞍部を上下すると、いよいよ黒部五郎岳へ標高差390メートルの登りにかかる。小さな高まりを二つ越えると、勾配はぐっと急になった。 黒部五郎岳は、氷河の浸食で東側が深くけずりこまれ、山体全体の3分の1にも及ぶような大きなカールが形成されている。そのカールのふちは断崖となって切れ落ち、とくに北東方向に張り出した尾根は、高く鋭くせりあがった恐竜・ステゴザウルスのおどろおどろしい背筋のよう。巨大な岩が累々と積み重なって尾根が形成され、そのエッジ状の尾根の両側は、カールに落ち込む側も、黒部川本流へと落ち込む側も、スッパリと切れ落ちている。縦走ルートは、頂上から北東方向に張り出したその尾根の根元(「五郎の肩」とも呼ぶべき地点、標高2750メートルほど)に達し、ここからいよいよピークへと最後のひと登りが始まる。 この「五郎の肩」の直下まできたところで、「持病」の高山病が、また悪さをし始めた。頭痛がまたもやひどくなっただけでなく、ひどい倦怠感と寒気も出てきた。肩の分岐点までは、なんとか達したけれど、体を休めても動くのがおっくうでならない。それでも、ビスケットやミカンを食べることができるし、水分もとれた。これは、いままでと比べたら、ずっと症状が軽い。昨日、2000メートルまで高度を上げていた効果も出ているようだ。ひと休みして、荷物をデポし山頂をめざす。 4人で50メートルばかりすすんだところで、ふたたび動けなくなり、「ごめん、お父さんはここで待っているから、登ってきて」。仰向けになって5分ほど休んだら、ふっと頭痛と悪寒が軽くなった。「この山に登るために、やってきたんだ」と思い直して、ゆっくりと山頂へ体を持ち上げていった。 黒部五郎岳の山頂(2840メートル)に13時15分着。「あっ、お父さんがきたよ」と、子どもたちの声が迎えてくれた。ガスに囲まれて何も見えなかったけれど、うれしかった。 「五郎の肩」のデポ地点までは4人でいっしょに下り、ここから、北東方向に張り出した「恐竜の背中」のような尾根を下る。いくらも進まないうちに、またひどい頭痛が始まった。今度は吐き気も出てきた。まずいなぁ。尾根を離れて、右手、カールの底への電光形の下降が始まったところで、ふたたびダウン。「荷物を替えよう」という遥子に甘えて、食糧がぎっしりつまった背負子を、遥子のザックと交換する。「きっとひどい顔色をしてるんだろうなぁ」。お父さんが元気がないといって、峻二がめそめそし始め、お母さんに「峻二、お父さんは大丈夫だからね。しっかり歩きなさいね」と叱咤されている。と、そこで、カールの底のガスが吹きはらわれ、岩と雪と花とで埋まった雄大な光景が目の前に現れた。白っぽい巨岩が、頂上の下の岩壁から崩れ落ち、カールの雪渓の急斜面を雪を削りながら滑り落ちて、途中で止まっているのも見えた。その岩も、そしてカールのそこかしこを埋めている岩も、みな白っぽく、人の家の何倍もあるほどすばらしくでっかい。 ガスはさらに吹きはらわれて、カールのから流れる沢の下流、はるか遠くに、はっきりした緑色の草原と、赤い屋根の小屋とが視界にとらえられた。「あ、あれが、きっと小屋だよ。鞍部の草地に見えるのが、五郎の小屋だよ」。子どもたちも、それを見とめて、「あそこで、きょうはキャンプするんだよね」と、俄然、元気になってきた。 子どもたちを先に行かせて、カールの底近くまで下って、また大休止。遥子と2人で、自然がつくりだした、雄大な「庭園」に見とれた。動くのがおっくうなので、かわりに遥子がシャッターを押す。ここの風景を写真に撮るのを楽しみにしてきたのに、ちょっと残念。それでも30分ほども体を休めて、ガスと光とで刻々と表情を変えていく黒部五郎のカールを眺め続けた。 黒部五郎小舎には、大幅に遅れて、16時35分着。手続きをすませて、200メートルほど離れた幕営場へ行った。テント場はぬかるみ、すでに25張りほどのテントが、水気をさけて、斜面や高台を占領している。ぬかるむ場所の1角に、水が流れてこない平坦なスペースをようやく見つけて、テントを設営した。昨夜の避難小屋とは違って、今夜の寝場所は湿気がすごい。断熱マットやポリ袋などで、テントの床面をせっせとおおった。うなぎ御飯の夕食のあとは、子どもたちはすぐ眠ってしまい、私たちもすぐあとに続いた。夜は、何度も雨が降り、テントをたたいた。 8月3日。出発の荷作りをしていたら、「お父さん、すごいよ。鳥がいるよ」と峻二が大きな声を上げる。テントのすぐわきにある大きな岩の、ちょっとした窪みに、小鳥が巣をつくっていて、まだ目が開かない3羽の雛がいた。親鳥は、幕営場をぐるぐると低空で飛び回り、「チチーッ」と幾度も鳴いている。急いでカメラを取り出し、巣と雛を接写で撮影して、巣を離れた。五郎の小舎を7時20分、出発。 予想通り、三俣蓮華岳へは灌木とハイ松のなかの急登になる。登り終えると、明瞭な尾根をたどって、緩い登りになった。この山は北ノ俣岳や黒部五郎岳にくらべても、花の種類が多い山で、ツガザクラやコイワカガミの淡い朱色、シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲなどの黄色、そして北ノ俣岳からずっと姿を見せてきたコバイケイソウやハクサンイチゲ、チングルマの白など、彩りもいっそう豊かになってきた。 山頂への分岐を経て、鷲羽乗越の三俣山荘へ、山腹のトラバース・ルートをとる。ここは、思いのほか残雪が多く、幅100メートルほどの大きな雪渓も残っていた。幕営場を過ぎて、三俣山荘へ10時15分着。雨がときおり降りかかり、風も冷たい。小屋のトタン屋根が唸っている。食堂で、早めの昼食。サイフォンでいれたコーヒーとケーキのセットも頼んで、なんだか久しぶりで街の雰囲気も味わった。 お腹を満たすと、みんな元気一杯になる。沢沿いの道をぐんぐん下って黒部川本流に達し、今度は雲ノ平への登りにかかった。黒部川は渡渉点のすぐ上に大きな雪渓がスノーブリッジとなって残っていて、やはりことしは残雪が多いことを実感した。 登りのペース・メーカーは、昨日から遥子になった。「男どもは始めが速いだけで、すぐばてて休むからダメ」とかいって、15〜20分ほど、ゆっくり登っては小休止し、また登るということを反復する。最初の急登は3回の登りで終わり、あとは祖父(じい)岳の山腹をまくように、ゆるい登りになった。雪田があらわれ、さきにすすむと、さらに大きな雪田があらわれた。「第1雪田」と「第2雪田」だろう。ここらあたりからは、槍ケ岳や薬師岳 黒部五郎岳 三俣蓮華岳の稜線など周囲の山々が存分に眺められるはずだが、稜線をおおう霧はいっこうに消える気配がない。昨日の疲れがまだ残る足を黙々と前へすすめた。 祖父岳の尾根を3〜4本ほど越すと、目の下に赤・黄・青の色の散らばりが目に飛び込んできた。テントだ。雲ノ平(祖父沢)の野営場だ。その向こうの尾根の上には、白っぽく光るカマボコ型に近い山小屋(雲ノ平山荘)も見えた。いつものことで、泊まり場が見えると、子どもたちは元気が出る。祖父沢の源頭の足場の悪い道を、とっとっとっと下り、遥子も後を負う。その姿をカメラに収めながら、私も後を追った。 13時45分、雲ノ平野営場に到着。今日は、もともとの予定にあった鷲羽岳や水晶岳のピストン登山をすべてとりやめて、休養をとることにし、最短ルートで雲ノ平をめざしてきたので、ひと休みしたらみんな元気いっぱいになった。子どもたちはスケッチ・ブックを手に雲ノ平山荘(往復60分)へ向かい、私も後に続いた。遥子はテントでのんびりする。 日がかげりだしたころ、ガスが切れ始め、水晶岳や黒部五郎岳が初めてその姿を見せてくれた。日没の太陽に照らされて、金色の雲を背景に、薄いガスをまといながら、そそり立つ水晶岳(2986メートル)。頂上も尾根の上部も、黒々とした岩が屏風のように屹立し、視界いっぱいに広がっている。中腹以下は緑に覆われた尾根だが、そこには、荒くれだった枝ぶりのダケカンバがひしめきあっている。のびやかなすそ野には、水晶池と岩苔小谷の沢。その下流には、高天原(たかまがはら)の湿地と小屋が見えた。なんて大きな山だろう。テントに帰って、子どもたちは「お母さん、ぼく、1生忘れない景色を見たよ」と話しかけていた。 夕食は、マーボ・ナス、御飯、スープ。 雲ノ平野営場の夜は、天気が回復した分、とても寒かった。重量の節約で、私の分のシュラフは今回の山行でもカットされ、シュラフカバーだけ。寒さで20分おきくらいに目を覚まし、子どもたちの雨具まで使って、足、腰を包んでから、初めて、まとまって眠ることができた。 8月4日。明け方にはテント場はガスに包まれたが、朝食(クッキー、サラミ、チーズ、スープなど)をとっている間に外が明るくなってきた。テントの入口を開けると、正面に、朝陽をうけて山頂が輝く黒部五郎岳が見える。空は青い。急いで食事をすませて、6時40分、野営場発。 晴天の朝の雲ノ平は、すばらしかった。岩とハイ松と高山植物とで自然の庭園が形づくられ、さまざまに姿を変えるその風景を縫うように木道がのびる。水晶岳、祖父岳、祖母(ばあ)岳も、朝陽のなかで、それぞれに精一杯の装いだ。左手、黒部川の対岸には、三俣蓮華岳、黒部五郎岳、赤木岳、北ノ俣岳とのびる稜線が、残雪を輝かせている。「ずいぶん、長い稜線を越えてきたんだなあ」と感慨深い。右手前方の薬師岳は、まだ山頂部はガスに包まれているが、縦走するのに8時間もかかる北アの巨人にふさわしく、圧倒的な量感がある。でも、個性的な山容という点では、やはり黒部五郎岳かな。濃い青空のもと、輝きを増していく黒部五郎岳を何度も眺めた。 散歩のような木道歩きが終わると、いよいよ黒部川の谷底に建つ薬師沢小屋へ、一気に下ることになる。苔のついた足、樹木の根が足元をおびやかす。膝を傷めぬよう、2時間かけて、ゆっくり下った。雲ノ平をめざすパーティーとも8つほど、すれちがった。そのうち、小学4年の娘さんと父母の3人は、2日前に北ノ俣岳の稜線ですれ違ったパーティー。わが家とは逆回りで、1周登山に挑んでいるようだった。 透明な水流、川底の石までも太陽が明るく照らす黒部川本流に、9時55分着。ルアー竿を出して、子どもたちと釣りをするが、イワナの魚影はまったく見られない。ここから太郎兵衛平へ登った薬師沢の枝沢には、ポイントごとにイワナの姿が見られた。 昼食のあと、花が美しい沢沿いの道をゆるやかに登って、太郎兵衛平をめざす。クルマユリ、ハクサンフウロ、食虫スミレの仲間も、加わって、花の種類が増えた。薬師沢小屋から3時間あまりかかって、14時20分、太郎兵衛平の太郎平小屋に到着。薬師岳の方向に20分あまりすすんで、薬師峠の幕営場にテントを張った。 夕食は、カレー・ライス。これで米もおかずもほとんどを食べつくし、食糧ボックスはほとんどが空になった。 8月5日。夕べは7時前に就寝したので、今朝は早起きだった。予定した最後の食事である餅入りラーメンをつくり、昼の行動食と非常食だけをパッキングして、テントを撤収。5時52分にキャンプ場を出発する。 今日もいい写真をと期待していたのに、歩き出してすぐにガスがたちこめてきて、稜線をおおってしまった。道は歩きやすく、荷も軽くなって、太郎山(2373メートル)を順調に通過し、7時42分に北ノ俣岳の稜線上の分岐(神岡新道分岐)に着く。北ノ俣岳の稜線は、ハクサンイチゲやコイワカガミ、そしてツガザクラなどの大きな群落がつづき、雪田もつぎつぎと現れて、なるほど花がいっぱいの山だ。 風が強まって、体が冷える。さぁ、4日前の避難小屋へ、そして車を置いた神岡新道の起点へと、下りにかかる。ハイマツ帯では、シャクナゲとトウヤクリンドウ、そして雷鳥が私たちを元気づけてくれた。「草地」とよばれる湿原の1帯までおりてくると、登りに見たときはまだつぼみだったニッコウキスゲが満開で、ワタスゲも白い糸を伸ばして形が崩れ始めている。点在する池塘をつつみこむように花々が咲き乱れ、風に揺れていた。 寺地山、飛越新道分岐とすぎて、急な下りをひと頑張りで、行きに遊んだ水ノ平へ。また、しばしイワナと遊んだあと、ふたたび下りに下って、登山口に到着した。13時30分(避難小屋から4時間15分ほど)。 この日は、奥飛騨の平湯温泉にちかい湯治場、福地温泉の小さな宿に泊まって、ゆったりと湯につかった。 水晶岳に登れなかったのは心残りだったけれど、岳彦はあの夕映えの山稜を見たときに、「ぼくは、この山に、こんどはきっと登るんだ」と話していた。もう中学生になって、そろそろ親といっしょの山登りは敬遠し始めるかもしれないけれど、子どもたちはこれからもずっと、山登りを続けるのではないかと思う。5足めの山靴は、高校時代の私がそうだったように、自分の小遣いを貯めて、買うだろうか。 http://trace.kinokoyama.net/nalps/kirobe-issyuu.95.8.htm |
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家族の山旅5)黒部源流の山々をテン泊一周 長男小6、二男小3
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北ノ俣岳避難小屋――加藤文太郎も泊まった、北アで希少な無人小屋
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