1993年に雪倉・朝日縦走をやって、94年は知床・羅臼岳、95年にこの黒部周回ルートに挑みました。
http://trace.kinokoyama.net/nalps/kirobe-issyuu.95.8.htm
8月1日 神岡新道を使って入山。飛越新道はできたばかりで、難路のため、神岡から入ったのは正解でした。
現在はこのルートは難路に。
泊まったのは、北ノ俣避難小屋。ちょうど森林限界の高度にあり、水がおいしい! タタミ3畳分ほどの小屋を家族4人で使いました。
(写真1枚目)
8月2日。北ノ俣岳・黒部五郎岳へ縦走して、黒部五郎小屋・キャンプ場泊。雨まじりのなか、小3の峻二は、持病?の高度障害が出た私をおいて、とっとっとと、キャンプ地へ進みました。
8月3日、三俣蓮華岳をトラバースし(写真2枚目)、雲ノ平野営場へ。(写真3枚目、キャンプ地の正面に黒部五郎岳)
日没の太陽に照らされて、金色の雲を背景に、薄いガスをまといながら、そそり立つ水晶岳(2986メートル)。なんて大きな山だろう。テントに帰って、子どもたちは「お母さん、ぼく、一生忘れない景色を見たよ」と話しかけていました。
(このとき割愛した水晶岳には、3年越しのアタックをかけて、98年にようやく家族で登りました。)
8月4日、薬師沢小屋へ下降。再び黒部川を渡って、太郎兵衛平の先の薬師峠キャンプ場で幕営。
8月5日、最後に残った食料を食いつなぎ、稜線を周回して北ノ俣岳に登り返し、神岡新道で下山。
おやつ、果物などを十分に持ち、雨具・山靴をしっかり身につければ、小学生でもけっこう担ぎます。
翌年からの水晶岳アタックへ、自信を深めた幕営縦走でした。
コンニチハ、tanigawaさん。15年前とのことですので、ご令息は26、27歳と23、24歳になられてますよね。立派な山男になられていることでしょう。だって小学生で黒部周回ルートを歩き、一生忘れない景色を見てしまったのですから。
そして、小学生のお子さまに家族一緒で「一生忘れない景色」を見る機会を作ってあげたtanigawaさんご夫妻に拍手。
素晴らしい家族です
山屋の子は山屋・・・そうやって代々受け継がれて行くのですね
奥様の内助の功とtanigawaさんの背中を見ながら育ったお子様は,
きっとどんな困難も乗り越えて行けるでしょう。
良いお話をありがとうございました
junyamash さんへ
息子たちのその後のことは、もう少し、内緒にさせてください。たいしたことはないのですが、連載シリーズがまだ続きますから。
あのとき4人で、雲ノ平から仰ぎ見た、夕陽を受ける水晶岳は、絶対わすれない共通の思い出になったことは確かです。
kayo-pi さんへ
子どもたちは、荷担ぎ、テント設営、風よけの石積みなど、なんでもやってくれます。その雰囲気が、日常の家での生活にもそのままつながっているように、家事は我が家は全員参加でやってきました。
長男の嫁さんは、そこが気に入ったといっています。この嫁さんは、あと2、3回後に、登場しますが、昨日今日、ヤマレコ日記で話題になっている、剣岳の山小屋に縁のある娘さんです。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する