事件から既に50年になりますが、二人の遺体が数百メートルの岩壁を落下する光景がいまだに悪夢のように甦ります。
9ヶ月の短い間に、私の周辺で3件の山岳遭難事故が起こり、4人の若者が命を落としました。
谷川岳のザイル宙吊り事故と正月富士の滑落事故は何れも他会の会員でしたが、一ノ倉沢の歩行転倒墜落事故は私の相棒でした。
後輩と話しながら歩いていて突然つまずき、ほんの4,5メートルの小さな滝壺に転落したそうです。
足ごしらえの草鞋を履く前でした。
三件の遭難者全てのご遺族のお話を伺いました。
皆さん「好きな山で死んだのだから本望」と悲しみに堪えるようにお話になりました。
だが、山が好きだったのは家族ではありません。
そのために命を落とした本人なのです。
そして家族を奈落の底の悲しみに突き落としたのです。
この理不尽にその時初めて気付きました。
以来、私は臆病になっていました。
ハードな登攀時に必要な思いっ切りのよさが消えてしまったのです。
それを説明し難いのですが、ハード登攀の経験者には解って頂けると思います。
例えば、穂高の屏風岩には潅木の林を垂直にしたような場所を通過するルートが多く存在しますが、上の木の枝に手が届かないと、体操の鉄棒競技のように飛びついたりしました。
下が良く見えませんから、高度感は余りありませんが落ちれば百メートル以上です。
ジッへル(確保)があるとはいえ思い切った行動です。
一ノ倉沢のような細かいホールドが多いゲレンデでは普段ビレイせずに通過するところでも、ビレイを採りたくなりスピードが格段に落ちるのです。
南北アルプスの岩場は腕力で登りますが、一ノ倉沢はホールドが細かいので腕よりも指先が疲労します。
するとそれが気になって弱気になってしまいます。
数ヶ月思い悩み、ハード登攀を引退する決心をしました。
自らの伴侶となる人にめぐり逢い、婚約した時期に重なっていたことも心理的に影響していたのでしょう。
会長に退会届けを出すと後輩達にもすぐ伝わり、何故だろうと噂になりました。
送別の呑み会の席で後輩の一人が記念にと私のピッケルを所望したのです。
私のピッケル、門田炭素鋼鍛造尺一寸は私の手を離れ後輩に託されました。
そして色々なことがあり、今は行方不明です。
少し長い日記になりました。
行方不明の経緯は次の機会にお話したいと思います。(つづく) 相仲 廉(ainakaren)
門田ピッケルの歴史と詳細
http://www.nirayama.com/~suwabe/Pickel/Kadota/K1.htm
「想いで ピッケル」日記冒頭
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-9237
renさん、おはようございます。
珍しくコメントが1件も入っていませんが、小生のように何度もコメント記入までしながら「投稿する」のボタンを押せずに閉じられてしまった方もおられるのでは・・・・
大切なザイルパートナーを山の事故で失われた時のお気持ち、想像に難くありません。
renさんが、遭難者のご家族の話を聞いて「山が好きだったのは家族ではない」とのお考えを持たれた事に驚きを禁じえません。
若くしてそこまで気が回るとは・・・・お人柄を垣間見る思いです。
そして、勇気ある撤退。
心残りはおありだったのでしょうが、人生にはこういった転機がつきものなのですねぇ。
「想い出のピッケル」続編に期待しております。
kenpapaさん・お早う御座います。
ヤマレコ日記にはシリアスなテーマを扱うと、コメントが少なくなる傾向があります。
そしてメッセージを頂くことが多いのです。
そうしたときに自分の心情をご理解頂ける方が一人でも居られることを、本当に嬉しく思います。
例えば私の日記、カテゴリー「登山靴の革命」の最終編ではメッセージ一通のみでコメントはありませんでした。
日記の内容をツイッター風の軽い内容にするとコメントが多くなります。
例えば私の日記では「山ボーイ始めました」は皆さんから沢山のコメントを頂きました。
もう一つ面白い現象があります。
日記の中に有名な固有名詞があるとゲストの訪問者が多くなります。
先日「エンゲルべルト・フンパーディンク」と題した日記を書いて、その文中に更に「越路吹雪」と「ちあきなおみ」という有名芸能人名を書いたら、ゲストで数字だけが急増しました。
一昨日実験で「戦国38人の武将を列挙する」なる題目を大文字のローマ字でアップしたら、ものの30分ほどで100件近いゲストのアクセスが集中し、怖くなってすぐ消去しました。
ビックネームとは凄いご利益がありますね。
驚きです。
さて話を本題に戻します。
勇気ある撤退などと言われるとお恥ずかしい限りです。
実は勇気が失せて臆病になってしまったのです。
登り慣れたルートで怖さを感じるようになったら、もうハード登攀は出来ません。
私は腰抜けになってしまったのです。
必要以上にビレイの状態を気にするようになり、限界を悟ったと言うのが正直な気持ちです。
そうした心の揺れはすぐにザイル・パートナーに伝わり相手を不安にさせます。
続けるべきではないと悟りました。
不思議なことに後悔はありませんでした。
ただ一つだけ思う事があります。
もしも私の乏しい実力でハード登攀を続けていたら,40代の技量も体力も落ちる頃に命を落としていたに違いないと思うのです。
亡き相棒達が身を呈して私を守ってくれたとの思いを忘れることはありません。ainakaren
あけましておめでとうございます。
先日、息子が先行する私に「撤退する」と叫びました。
私が怒ったように「それは命令か?」と尋ねると、少し躊躇した後に「命令だ!!」と叫びました。
冬の午後の日差しが立ち枯れの木立の間から差し込み、見ようによっては踏み跡にも見え、道に迷った直後でした。
別ルートで車道につき見上げると、迷った尾根の先は少し崖様になっていました。
「臆病さ」は才覚であると思いました。
卑近な話ですみません。
fuararunpuさん、謹賀新年です。
この日記への2年ぶりのコメントに、書いた当時を思い出しています。
そして改めて読み返すと感無量です。
この未完の日記を完結させるには、未だ時間が必要な気がします。
山に逝ったった仲間には返しきれない負い目があるように思えて、それに触れずには先に進めません。
海外の山に消えて還らぬ者と亡くなった者達には、彼岸で思いを伝えるべきなのでしょうか。
思い悩んで時ばかりが過ぎて行きます。ainakaren
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