1982夏合宿 南ア台風直撃(塩見岳〜広河原〜自衛隊ヘリ)【ワンゲル時代】
- GPS
- 248:00
- 距離
- 65.2km
- 登り
- 6,129m
- 下り
- 5,934m
コースタイム
●7/23:伊那大島9:05〜(予約済みマイクロバス)〜10:35塩川小屋
●7/24:起床2:30〜塩川小屋4:20〜10:05三伏峠10:25〜10:45三伏小屋
●7/25:起床2:30〜雨でチン(停滞)
●7/26:起床2:40〜三伏小屋5:30〜7:05本谷山7:25〜9:55塩見小屋10:10〜11:40塩見岳11:50〜12:45雪投沢
●7/27:起床4:20〜雨でチン(停滞)
●7/28:起床2:00〜雪投沢4:30〜7:20安倍荒倉岳〜8:45熊ノ平小屋9:45〜12:45農鳥小屋14:00〜15:05農鳥岳15:20〜16:00農鳥小屋
●7/29:起床3:30〜農鳥小屋5:55〜7:30間ノ岳8:10〜9:20北岳山荘10:30〜11:50北岳12:25〜16:55両俣小屋
●7/30:起床4:00〜両俣小屋6:00〜7:45横川岳7:55〜9:20伊那荒倉岳9:50〜13:30仙丈ヶ岳14:15〜14:25仙丈小屋14:45〜17:35北沢峠
●7/31:起床5:00〜北沢峠6:40〜7:35仙水峠7:40〜8:35駒津峰9:55〜10:00甲斐駒ケ岳11:15〜11:50駒津峰12:00〜12:30仙水峠12:40〜13:25北沢峠14:00〜16:25広河原!
(これ以降は記録・写真が無く、日程も不確か)
●8/1:遅れているパーティを待つため?に、もう1泊。その晩に台風直撃。
●8/2:広河原〜(自衛隊ヘリ)〜山梨の小学校校庭?〜甲府駅前のビジネスホテル
天候 | 曇や雨や晴、最後に台風直撃 ●1982年 台風10号 http://agora.ex.nii.ac.jp/cgi-bin/dt/single2.pl?prefix=GMS282080203&id=198210&basin=wnp&lang=ja |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
飛行機
●下山:自衛隊ヘリコプターで山梨の小学校グラウンドへ。 災害特別救助法が適用された m(__)m |
予約できる山小屋 |
|
写真
感想
●ヤマレコに昔のレコも記録・閲覧できると知り、ワンゲル時代の資料を引っ張りだしてみた。この夏合宿では、コースリーダ(先頭)・記録・気象だったので山行記録を手帳に細かくメモしており、NHKラジオで記録した天気図も出てきた(台風10号が日に日に大きくなって近づいてくる怖さを、天気図を見て改めて思い出した)。せっかくなので、覚えている範囲でレコに記録してみた。
●この夏合宿では、5パーティが10日ほどで各ルートを縦走し、最後に広河原へ集結する計画。雨が多く行程も遅れがちな中、我がパーティは、途中で何とか遅れを取り戻し、計画どおり広河原へ到着した。
●8月1日は広河原でテン泊。夜中にテントを叩く激しい雨音の中で、ゴロゴロと雷のような音がずっと続き、何だろうと思いながらも熟睡していた。深夜に「撤収!」の声。それでも眠くて、周りに浮いている食器を裏返して、ひじの下に置いていた。豪雨で傾斜地のサイト場が川のようになっていたのだろう。皆、小屋へ逃げこみ、椅子に座って暗い中で夜を明かしたと思う。
●8月2日の朝、小屋を出ると、なんと小屋の前の大きな吊り橋が、への字に折れているではないか。夜中のゴロゴロ音は、大岩が川を流れていく音だったのだ。南アルプススーパー林道も寸断され、完全に閉じ込められてしまった。
しかし台風一過の快晴で、いろいろ干したり、たまに来る取材ヘリに手を振ったりと、意外に気分は明るかった。予備食料を食べ尽くさないよう細々と食べ、とにかく暇だった。前日、吊り橋を渡って広河原ロッジで買っていたウィスキーが貴重になり、よくぞ買ったとチビチビやっていた。そんな中、広河原山荘のおやじさんはラーメンの値段を上げていた。
●一度、自衛隊のヘリが来たが、スコップやツルハシを降ろしていった。自力で林道を下山せよとの事のよう。夕方にヘリに乗れるとの情報がありヘリが来たが、若い男性以外を優先にとのこと。撤収しかけたテントをまた張り直していた時、やっぱり乗れるとなり、慌てて下の河原からヘリに乗って山梨の小学校グラウンドへ届けて頂いた。ヘリはプロペラが上に2つ付いているタイプと、普通のタイプに分かれて乗った。その夜は山梨のビジネスホテルで宿泊。
●台風は全国的に被害をもたらし、実家の奈良も床上浸水だった。
電車の移動もままならぬ中、松本の先輩の実家へ。先輩のお父さん曰く、「ワンゲルだったら税金使わず、自力で帰ってくるべき」と。
その後、入れていたゴミ拾いのバイト(上高地を美しくする会)で上高地へ。各自で編んだ金網のカゴを背に、奥又白池や天狗原などに連れて行って頂けた!
【関連ページ】
●南アルプス登山史年表
https://www.minamialps-net.jp/post_detail/1202
●両俣小屋から難を逃れて下山された方ほか
http://shimakokoko.blog.fc2.com/blog-entry-24.html
http://bookmeter.com/b/orgf24e226205
http://blogs.yahoo.co.jp/cordonjpfs/61781456.html
こちらにコメントします。
昭和57年8月1日、私たちは夏合宿初日で折立とわさび平にいました。
台風が過ぎるまで各隊停滞でしたが、折立隊の方がひどかったようでテント潰して折立のコンクリートの建屋に避難したとのことです。
私は、わさび平からだったので、ポールを抱えて一晩過ごしたような記憶しかありません。とにかく、夜行疲れで眠かった。
南アの方が、大打撃だったんですね。
前にchinbo-さん(二学年先輩)の大学の山行に参加させて頂いた時に、同じ日に上高地に入山するはずだったけど、沢渡から歩いて入ったとお話されてました フランスパンが濡れて、カビを取りながら食べたとも話してました。
昔の事を思い出すと、本当によくやっていたなと思います。
合宿の後半は、絶対栄養失調だったと思います
ひょっとしたら同級生でしょうか?
1年の全日合ワンは、戸隠でした。
あのとき現役で、しかも山におられたとはビックリです!我々もそうでしたが、まだ登山口辺りで、まだマシだったんでしょうね。別の京都の大学も南アルプスの北沢峠?にいて、テント流されたとか聞きました。
初日だと食料も、テント持つ人も大変だったでしょうね。若いからできたのかな。
全日合ワンなんて、あったんですか〜。我々は京都の大学の集まり(岳樺)で、琵琶湖のほとりで混合グループ毎にテント張って、歌やゲームなどしてました。
懐かしいですね。歌が特に。
●当時の天気図
http://agora.ex.nii.ac.jp/cgi-bin/weather-chart/search_day.pl?lang=ja&year=1982&month=8&day=1
もう年齢気にすることもないので、削除しなくても大丈夫ですよ
そうか、cbcさんとコメやりとりした時に、水色の歌集の話になったから、
てっきり関西WV連盟(うちは関東WV連盟)なのかと思いました。
大学によっていろいろあったんですね。
今ほど情報がなかったので、関西方面の大学とはこの全日合ワン(2年に1回)でしか、
交流がありませんでした。
たぶん、武器(スプーン)で缶開けるのは、関西だけかと
大阪の人が見せてくれて、関東組はびっくりしました。
本当に懐かしいです。
武器での缶開け、大阪の人もやってましたか!
我々もそれが特技と思い込み、私の結婚式で余興として披露してもらいました。いろいろ懐かし話出てきそうですね。
ニッカ、キスリング、三角テント、そして武器!あー懐かしい。
写真とお二人のコメントを読んでいて、若かりし日々を思い出しました。
私も1年の時、夏合宿で南アへ。畑薙から入り、聖から北岳まで縦走。途中、どこのテン場か忘れましたが、夜中、暴風雨でテントが飛ばされそうになり、CLの「撤収!」の言葉で、近くの小屋に大急ぎで避難。暗闇のテントの中、恐怖でテントも心もつぶれそうだったので、山小屋のありがたみをしみじみと感じたことは鮮明に覚えています。折れたポールを補修しながら縦走を続け、予定通広河原に下山したはず・・・?たぶん??? だいぶ記憶が飛んでいます。
ちなみにうちの部は、縦走中、1年が自分のポンチョをグランドシート代わりに提供することになっていました。
momijijayaさん、コメントありがとうございます。
あの時、南アルプスにおられたんですね!
そうならプロフィールの登山経験は、もう少し前からですね〜笑。
懐かしいでしょ。夜中に撤収とは同じですね。もし稜線だったらさぞひどかったかと。
でも山小屋はありがたいですね。今年はコロナ騒動で大変なようで、元々インフラ整備などでご苦労なさってた上に。
ポンチョをグランドシート代わりは、我々もやってました。でも1年のとはひどいですね〜。2年で使うときには相当汚れてますよね。我々は団体装備でした。たぶん。記憶って曖昧です。武器もご存知とは、関西でしたか。
お返事、ありがとうございます。
今までコメントしたことなかったのですが、つい懐かしくて ・・・初コメントでした(笑)
「武器」は関西? 関東の大学でしたが「武器」でした。
またテント泊で南アルプス!と思いながらも、夢かなわずでしたが、子どもたちが山に興味をもってくれ、母に付き合ってくれるかも???
昨年は台風、今年はコロナで思うように動けなかったのですが、ぼちぼち近くの低山でも、というところです。
momijijayaさん、貴重な初コメントだったんですね。ありがとうございました。
jikyoonさん、おはようございます。おっちゃんゆっくり打ってたら先越されちゃいました笑。
武器を検索すると、確かにアウトドア全般で言ってたかもですね。でもそれで缶詰開けるのは、少しでも軽〜くしたい関西人だけかな。またそれを得意げにやるし。ワンゲルあるあるや各学校の文化まとめたら面白そうですね。
お子さんと南アルプス行けたらいいですね。うちは子供が小さい時に、上高地から西穂山荘ピストンしました。アルプスを見せた最初で最後でしたが笑。なかなか思うようにはなりません。日曜は天気良さそうなんで、2ヶ月ぶりにサクッと行ってみようかな。
●4コマ漫画
https://note.com/kyoco/n/n58f77faa6f06
●【武器】
ナイフ、スプーン、フォークなど食卓用刃物を総称して、俗に武器という。これさえあれば命を永らえるからか。ロシア語のビューキ(フォーク)からきたという説もある。
http://campingtour2.web.fc2.com/cn23/pg58.html
おはようございます。
ワンゲルに限らず、武器(フォーク・スプーン)と呼んでいるのかも?
前に、ボーイスカウトを長年やっている友人と話している時も、『武器』と言ってましたから・・・
でも、スプーンで缶詰開けるのは関西だけじゃないかと
合宿中、食器を洗わないと言った大学はあった
ま〜うちも、最後にお茶飲んでペーパーで拭くぐらいでしたが、水場のあるところでは洗って(洗剤なし)いた気がする。
何にせよ、あまり衛生的ではなかったですね
食器はうちもjikyoonさんとこと全く同じでした。今も変わらず衛生的ではないですけど笑。皆さん除菌ペーパーとか使われてるのかな。当時でも洗わないはないわ〜。
こんな時間にすみません。
さすがにスプーンで缶詰開けるワザはなかったです 。スゴイですね。
食器は同じです。少量のお茶とペーパーできれい(?)にしてました。
極力節水で、!飲むとバテるとか言われながら、飲用水もかなり制限ありました(´;ω;`)
あの頃の大学ワンゲルは何処も同様ですかね。
いまってどうなのだろうう・・・。
スプーンで缶詰開けるのは、実は山でほとんどやった記憶がなく(重く高価な缶詰をあまり持って行かなかったか)、もっぱら下界での話しのつかみに使ってたような笑。
やはり水制限ありですね。他のスポーツの根性論だけではなく、高山など水がない状況もありますしね。飲むとバテるは、たぶん根性論ですけど。今は安全や健康第一で、適度に水分取ってると思います。検索すると、食器掃除方法は変わってないような。ただガタガタの金属食器より、ツルンとした樹脂の食器の方が明らかにこびりつきにくいですよね笑。
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