以前の日記で、学生の頃「メッチェン」と呼ばれていた話を書いたのですが、うちの学校だけじゃなかったようです。
山と溪谷2023年4月号に上野千鶴子先生の「山ガール今昔」というエッセイが掲載されていました。
(上野先生ってワンゲルだったんだ!)
その中で、女学生は少なかったから名前で呼ばず「メッチェン」と呼ばれていたことが書かれていました。
あ、やっぱりそうですよね!そういう時代があったんですよね。
涸沢のテント村にいる20代の上野先生の写真は、背景に写っているテントがダンロップの6テン。まさに私も学生時代に背負ってたやつで懐かしいです。
私のところは女子は少数ながらメッチェン・パーティを作れるくらいにはいたせいか、化粧直しする女子を許せないとかいうのはよくわからなかったけども。
じゃりがかかったご飯を「ふりかけ、ふりかけ」と言うのもなかったかな。
口に入った虫を「タンパク質、タンパク質」と言うのはありました。
私はボーッとした学生でしたので「メッチェン」と呼ばれることに特に感想はありませんでしたが、すごく嫌がってる女子もいましたし、逆に誇りを持って「私たちはメッチェン!」という感じの女子もいました。
ただ飲み会でお酌をさせられることだけは「ク◯が!」と思っていましたので、自分たちの代でしまいにして、後輩にはお酌なんかせんでもいいよ、と言っていました。
以前の日記「山ヤという言い方」
https://www.yamareco.com/modules/diary/181745-detail-311175
私もメッチェン世代です。
当時の仲間は今までもメッチェンという言葉を使います。
他の人には使いませんが。
今そのサークルの同期会に向かっています。最近のやり取りで頻繁にメッチェンを使っています。
タイムリーな話題なので反応してしまいました。
こんばんわ。
メッチェン仲間ですね!
同期会うらやましいです。楽しんでらして下さい!
新人哀歌の2番の歌詞にもあったりして、随分昔から使われていますね。
アイゼンやザイル、ピッケルのように、登山文化はドイツから入って来ているから、
戦争前後あたりに学校山岳部の学生が使い出して広まったのかも知れませんね。
そう言えば、金はドイツ語でゲルド、転じてお金の無い事をゲルピンなんていう事もありました。
今はほとんど使われず、ほぼ死語ですね。
新人哀歌、知りませんでした。なんだか辛そうな歌詞ですね。
「なんで(あたしらが)少女やねーん!」とは、メッチェンと呼ばれていた当時から仲間内では言っておりました。
戦前頃から流行ったのだとすると、半世紀以上は使われていた言葉なんでしょうか。今は、もしかしたら山ガールも死語かもしれませんね…。
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