さらに仕口や継ぎ手のコーナーを見るが、縄文時代や弥生の展示はない。現代とそれに通じる古代の技術ーーそれと縄文の木工技術との関係は??ボランティアの解説院に尋ねると、別の学芸員を呼んでくれた。20年前には桜町遺跡の建築を調査した学芸員もおられて、いろいろな資料やビデオを残されているという。さっそくそのビデをを何本か見させていただく。ビデオでは桜町で出土した部材や丸太の伐採加工を石器だけでどのように行われたのか、石器づくりから始めて復元実験を行い、貫穴の加工や部材の加工を行って、それを組み立てて住居を作る作業を行っていた。手間をかけ、体力を使い、頭を使い、縄文人の技術と考え方を再現しようと試みている。可能なことはわかった――。それらの技術がどこから来たのか?自前で考え出したものなのか?先行する中国の河姆渡遺跡などで発展した建築技術(を身に着けた人が)が漂着して、技術を学んだのか?謎は多い。
少なくとも石器だけでは縄文時代の巨大な栗の木などを使う場合に採れる材は限られている。鉄器時代の大工が精密、正確な作業を行い、一つの松田からより多くの材を取るような状況にはなかった。もしかしたら、北陸や東北の栗の巨大建築が、クリの大木の森を枯渇させてしまったかもしれない――など、いろいろな想像をめぐらす。佐渡では早い時期にすぎ林が出現し、その大木を使って船を製作したが、他地域の需要にも答えるような船づくりの中で杉の良材を失ったかもしれないということを思い出す。色々なことを考えさせられる大工道具館だった。また来ようーー大工道具館を後にして大阪府立弥生文化博物館に移動する
写真1)磨製石斧の切味ーー繊維を断ち切ることは難しいので大変な作業で、体力も要する
写真2)鉄器のチョウナとヤリガンナの違いーーヤリガンナは後代のカンナの初期携帯で、手斧では表面が凸凹になるが、ヤリガンナはさざ波程度でなめらか
写真3)仕口・継ぎ手のコーナー
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