弥生時代に渡来した青銅器とその製造技術、朝鮮半島からもたらされた銅剣、銅矛、銅乂、小銅鐸などとは異なる青銅製品が列島に出現し、また銅鐸の石製鋳型や土製品、送風管の破片などが出土しているので、日本で製造された青銅器があることは疑いえない。しかし、青銅器製造に関する遺構や遺物の出土例は少なく、不明な点が多いらしい。銅鐸や銅剣などのレプリカがよく博物館で展示されているが、これは現代の技術で作る場合が多く、弥生時代の技術そのものはよくわかっていないのが実情らしい。講師の清水邦彦氏(茨木市立文化財資料館学芸員)も、これまで現在の工人に弥生の青銅製品の復元に現代の工人、職人に依頼して技術復元研究をしているが、鋳型や中子の膨張率など複雑な問題があり、失敗例が多く技術復元には至っていないようだ。なによりも石製であれ土製であれ送風管であれ出土例が少なく、未解明な点が多いらしい。東奈良遺跡では石製銅鐸鋳型が36点、ガラス勾玉鋳型が4点、送風管が143点も出土し、一大生産拠点だったようだ。またお隣の兵庫県でも青銅器制作工房があったらしく、鋳型や送風管などの遺物が出ている。大阪湾から瀬戸内海東部にかけて青銅器の一大生産基地があったのかもしれない。こうした状況の中で清水氏は送風管の様々な形状と内面のススの付き方、送風管の先の比熱状況などから、炉の構造や技術を推定するという新しい研究に取り組んでいる。送風管には直状型と曲状型があり、こうした出土品の送風管のススや比熱痕などから炉の構造や製作技術の復元に関する新しい提案をしている。
写真1)東奈良遺跡で見つかった完形に近い銅鐸石製鋳型
写真2)現代の工人にも難しい古代技術の復元(穴の開いた銅鐸の失敗作)
写真3)「坩堝」と想定する高坏
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