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日記
茅ヶ崎市の文化資料館で開催されている発掘調査展が明日までなので、午後の講演会の前に立ち寄った。茅ヶ崎は大昔ー子供のころに海水浴で出かけたきり、訪問していないかもしれない。茅ヶ崎駅を降りて文化資料館に向かって歩く。地図を見るとサザン通りや雄三通りなど、著名人の名前の付いた通りがあり、湘南文化の香りがしてくる。今回は高砂通りを進み、高砂緑地を通過する。ここは松籟荘という名前が付けられた川上音二郎・原安三郎の別荘で日本庭園と母屋を取り壊したのちに建てられた茶室として残っている。さらにその先の敷地内には茅ヶ崎市美術館があり、いろいろな楽しみ方ができそうだ。さらに進み、文化資料館に到着、第28回茅ヶ崎市遺跡調査発表展示会の展示を見る。同市の考古担当の学芸員が会場を受付をしていて、撮影は基本的にこの資料館ではすべて禁止と教えられる―残念。昨年11月に行われた遺跡調査発表会の要旨集をいただき、学芸員のかたに茅ヶ崎市の先史古代遺跡の概要を解説していただく。茅ヶ崎市は面積37.51㎢で杉並区や葛飾区より少し大きく、世田谷や大田区よりだいぶ小さい。平地が多く、南の海岸よりの大半は相模川や小出川により形成された沖積平野で、自然堤防と後背低地に分かれる。北部の低い丘陵の台地には縄文時代以前の遺跡が散見されるが、低地側は縄文海真治は海であり、弥生時代以降、古代以降の遺跡が多い。今回の展示でも縄文時代の遺跡・遺物は一か所のみだった。このあたりは、古代〜中世以降、鎌倉街道や大山参拝の道㋨関係する遺跡が多いようだ。様々な時代の住居跡、土坑、溝などから土器や鍛冶関連遺物その他が出ている。面白いのは、矢畑金山遺跡の4ン号ポットから出土した棒状礫で、古墳時代の竪穴住居跡から出土した編み物用の石らしい。古代の住居址からも出土し、大きさはほぼ一定で河口跡などのない自然石らしい。ハイライトは浜之郷宮ノ越遺跡で、弥生末から古墳〜古代、中世〜近世にわたる遺構が出ている。とりわけ、古代の住居址からはふいごの羽口や鉄製品、鉄滓、環状土錘や装身具、三彩陶器片などがでており、生活の様子を知ることができる。おそらく古代中世の街道沿いの有力者を中心とした集落かも知れない。また特別報告として、史跡下寺尾官衙遺跡群西方遺跡の確認調査があり、官衙に関連する掘立柱建物群などが検出されている。さらに二階では七堂伽藍に関連する展示があり、古代寺院に関する石碑に関する展示や寺院あとから出土した瓦、礎石など、遺物や写真展示があった。解説の方にお礼を言って資料館を後に市、東京で開催される講演会の海上へと向かった。午後は、日本考古学協会や西アジア学会など4学会共催の「ガラスの煌めき」というテーマの西アジア発祥の古代ガラスに関する講演会とその近くで行われていたチンギスハンに関する講演会をはしごする。チンギスハンに関しては、内蒙古大学蒙古学研究センターの研究員で早稲田大学中央ユーラシア歴史文化研究所の赤坂恒明氏による元朝秘史を中心としたチンギスハン研究の歴史の話で、大変面白い講演だった。特に長い元朝秘史研究の歴史の中で、ごく最近、2千年代に入ってから、かつての江上波夫氏が持ち帰った資料から、モンゴル語の元朝秘史の断片が発見されたこと、発見したのは、10代の天才モンゴル人学生で、その後早稲田大学に留学していることに赤坂氏が気付いたという。ガラスのほうは、古代ガラス研究の先駆者、谷一尚氏による正倉院所蔵の古代ガラスを中心に、西アジアから東アジアに至るガラス生産、流通の概要と研究史の解説があり、さらに情勢研究者による東アジアにおける生産と流通、日本の弥生時代、古墳時代のガラス製品の生産と流通、さらにイスラム時代の西アジアのガラスに関するイスラム考古学に関する講演と続き、ガラスに関する化学分析と考古学的研究との交流について興味深い報告が続いた。
1月20日(土)茅ヶ崎市文化資料館+「アジア・ガラスの煌めき+チンギスハン」き」
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