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2018年10月22日 04:00博物館、展示会、美術館など全体に公開

2018年10月20日(土)1.紀井の海人と古代豪族ー展示と講演と岩橋千塚古墳を歩く

写真1)将軍塚古墳(前山B53号墳)の石室内部ー岩橋千塚古墳に特徴的な石梁と石棚を見ることができるー海人集団を想起させるような船の内部を思わせるような石室
写真2)大日山古墳の作り出し部の埴輪群の復元ー力士と中央の家型古墳が印象的だ
写真3)大日山墳頂から見る和歌浦と沖ノ島?奥に淡路島?

和歌山県立紀井風土記の丘資料館で『古墳時代の海の民に関する企画展と講演会があるので出かけてみた。4時頃起き出して昨日大量に作ったカレーとミネストローネをレンチンで暖めて食べてシャワーを浴びて身支度を整えて出発、品川駅で新幹線を何台か待ち6時23 分発ののぞみで新大阪駅に向かう。新大阪駅に九時前に到着しくろしお号に乗り換える。何かのイベントと重なったのかすごい混み具合で改札を抜けるまで一苦労、くろしお号の券を買えそうもなかったのでそのままホームで待って自由席に乗り込み車内で清算することにした。さほど混んでなかったので正解だった。10時すぎに和歌山駅に到着しわかちかにある観光交流センターで自転車を借りる。クロスバイクっぽいスポーツタイプのでを借りていざ出発、駅と線路を越えて紀ノ川の少し上の方に向かって広い道路をしばらく走り道案内に従って進むと風土記の丘に出た。この資料館の裏山一帯は岩橋千塚古墳群などの遺跡が連なる場所でこの地域の古墳古代に力を振るった紀氏に関係の深い遺跡らしい。資料館のロッカーに荷物の一部を預けて遺跡見学に出掛ける。
 まず資料館のすぐ前にある古墳時代の竈つき住居を見学。さらに古墳の石室復元を見る。そして岩橋千塚古墳群にを訪ねるべく山道に入る。最初は舗装路だが古墳に向かうアクセス道は土の道-次第にハイキングの様相に。地図をうっかりロッカーにしまってしまい道すがら地図はほとんどなく古墳の案内板だけなので廻る順番を決めるのが厄介だ。山道はくねっているのと古墳は無数にあり、どういう順で歩くか、個々の古墳をつなぐ道をそのまま進むべきか一旦メインの舗装道路に戻るべきか決めかねる。戻って進むと結局大きく蛇行して先に上った古墳の山道をそのまま進めばよかったということになるが、舗装道路の途中に別の古墳があったりするので中々悩ましい。時間があれば何度でも歩き直してゆっくりじっくり見るのもよいだろう。ハイキングにに来た気分で散策している地元の人々も多い。しばらく古墳の間を行ったり来たりしているうちに将軍山古墳の道標が見えて終盤に差し掛かったと錯覚、実は将軍山ハイキング中間地点で改札をその先に最大の大日山があるのだが忘れていた。石室等見学しその先を見ると大日山の道標が見えて、そうだと慌てる。早足になり左ひざがまたもや少しひっつるが何とか大日山の直前の休憩所に到着、ここで昼食弁当を食べる。目の前には絶景が広がる。秋の花や誰かが植えた赤い花が咲く。 
補給して大日山めがけ登る。工事中の入口を過ぎると緩やかな登りで古墳の墳頂には送電鉄塔が経っている。墳丘登り口の下のテラスには造り出しが復元されそこに埴輪が復元され当時の並べ過多を推定し並べられている。埴輪はボランティアの方々の作品らしい。墳頂に登ると前方部からは素晴らしい眺望でさすがと感心、紀ノ川河口部から紀淡海峡辺りから太平洋を望むことができた。墳丘の向こう側に下ると反対側の造り出しに関する解説板があった。さらに下ると神社への道と資料館に向かう道に別れるが、とりあえず資料館に向かう。
 資料館でまず講演会の受付を済まし席を確保してから展示を見学。  入口付近に岩橋型横穴式石室の模型があり、箱式石棺や粘土槨など埋葬施設にはバラエティがあるが、石室の構造の石梁と石棚は、この古墳群最大の特徴であることがわかる。石室と石梁を船に見立てたものとする説もある。最初に常設展示を見る。大日山古墳sh都度の埴輪群を見る。力士像や様々な動物埴輪などーとりわけ鳥形埴輪は強烈な印象だ。つぎに特別展の「海人」展を見る。
 古墳時代に主として海域で使われた準構造船の模型や写真(久宝寺遺跡)と河川で使われた縄文以来の丸木舟(刳船)と櫂や船形など、船にまつわる様々な遺物を見る。次に紀淡海峡周辺、古代にける海部であった紀伊半島北部―西庄遺跡や沿岸部の漁労・製塩などの産業や海上交通と関係の深い海側の古墳、また淡路島における製塩活動や沖ノ島古墳群など、この地域の海人集団と関係の深い出土品などの展示が続く。とりわけ、紀ノ川右岸河口部に近い西庄遺跡が今回の展示の一つの中心だ。多くの出土品の展示がある。各地の特徴ある製塩土器、土錘、漁具の変遷など、海人社会の生業やその歴史を知る手掛かりが様々な遺跡出土品を通して展示されている。

 とりわけ、黒潮の流れる太平洋に突き出した紀伊半島は大昔からカツオ漁が盛んであったようで、その独特の鹿角製(結合)釣り針」など、紀伊半島周辺で最初に現れ、東日本一帯に広がるカツオ漁を行う海人文化を代表するような三浦半島の会食洞窟遺跡や房総の遺跡出土品が数多く並んでいる。紀南地域では磯間岩陰遺跡出土品、泉南地域、淡路島南部の製塩土器や蛸壺、アワビオコシ風の棒城跡製品など特長のある出土品が並んでいる。東日本の遺跡では、三浦半島の大浦山洞穴、海外洞穴遺跡など、今回初めて見る三浦市教育委員会所蔵の漁具類や房総の館山市指定史跡の大寺山洞穴遺跡出土品、特に墓域出土品などからこの地域の船棺葬は興味深い。またカツオ漁にまつわる漁具における紀伊半島・志摩半島・三浦半島・房総半島の黒潮文化の関係ーーそして最後にヤマト王権との関係など興味深い展示が続く。

 講演では、資料館学芸員の冨加見氏が自らの発掘調査における知見を交えて興味深い内容で、また展示責任者として、こんかいの主要な遺跡や出土品の解説を行って、海人社会と後の紀氏集団(古代豪族)の形成過程に関して学ぶことが多かった。

 
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