写真2.昨年末の周溝の調査した写真
写真3.重要文化財のミズラ
昨夜奈良から戻り、テニスのマイアミオープンを見ながら寝てしまう。六時前に起き出したらまだ試合をしていた。ガウフが勝ちそうな試合だが、出かける準備で、風呂に入り朝食を準備して他の人を起こし七時半頃出かける。千代田線で松戸で乗り換え土浦へ土浦駅のプレイアトレ地下にある駐輪場でシェアサイクルを借り、雨具上下を着込んでヘルメットも被り、ウエストバッグなど全てザックの中にしまいカバーを掛けて雨対策は万全?前回、静岡市で雨の中チャリで走ったときは雨具は着用したもののウエストバッグをつけたままだったので財布なスマホが濡れてしまったのを反省し、雨に濡らさないよう万全を期した。
上高津考古博物館までは何度もチャリで往復しているのでスマホのナビを声だけ聞きながら無事に走りきる。
博物館では令和4年度の発掘調査による出土品など、武者塚古墳と古代の須恵器窯跡を中心とした展示で縄文時代、古墳時代、古代の遺物の展示があった。武者塚古墳では、令和四年度に筑波大学と上高津合同で武者塚古墳の周溝の調査を行った。縄文時代の土坑など別の時代の遺構と錯綜して分かりにくいか色で識別できるらしく黒い線が古墳の周溝跡だという。溝から何か遺物が出たとの記述はない。重要なことは最初の調査では、円墳と推定したが今回の調査で方墳であることが確定したこと。七世紀、古墳時代終末期の方墳と言えば中央の飛鳥では、最高実力者の蘇我氏の墓だ。蘇我氏がクーデターにより打倒されて以降の天皇陵は、八角形となる。最近飛鳥周辺で多数の方墳や八角形墳墓を見てきた。今日の講演会で詳しいことがわかるのだろう。また、数年前に国の重要文化財に指定された鉄剣や玉、鉄鏃、ミヅラなども特別に展示されていた。講演のあと蘇我氏との関係について質問した。房総半島では、蘇我氏との繋がりが強いと聞いたことがあるからだ。しかし茨城、この霞ヶ浦地域との関係はわかっていないとの回答、今後の研究が待たれる。また、日高慎氏の埴輪とミズラの話は大変興味深く、いずれにしても飛鳥時代は政治と文化の大きな転回点にあり、武者塚古墳の研究は、まだまだこれからが重要で1983年の発掘調査に大学二年生の時に石室を調査した筑波大の滝沢氏(武者塚古墳の過去現在未来)、同じく一年生で石室内に入って調査した橿原考古学研究所の岡林氏(飛鳥と方墳の話)も大変興味深く今後のさらなる研究に期待が高まる。
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