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写真2.柱跡の復元
写真3.解説
泉南市埋蔵文化財センターを出て海会寺史跡公園と神社奥の塔跡や柱跡の復元を見学する。公園のなかには豪族居館跡もあり、合わせて発掘調査で発見されたらしい。この暑さのなかをママチャリで走り抜けるのは厳しかった。
参考1=海会寺跡(wiki):出土した瓦等の様式や、伽藍配置などから、7世紀後半の創建と推定される古代寺院の跡である。金堂、塔、講堂、回廊などの遺構が検出されており、回廊で囲まれた伽藍中心部の東に金堂、西に塔を配置する、「法隆寺式伽藍配置」の寺院であったことが確認されている。寺は室町時代頃まで存続したが、後に廃絶した。「海会寺」の名は近世の地誌に見えるもので、本来の寺号は未詳である。
出土品のうち302点は「海会寺跡出土品」として国の重要文化財に指定され、隣接する古代史博物館に収蔵・展示されている。なお、金堂の跡地には一岡神社の本殿が建てられている。
参考2:復元された塔基壇(泉南市HP):発掘調査(はっくつちょうさ)時の塔基壇(とうきだん)。巨大な礎石(そせき)が3カ所、そのままの位置で残っていました。画面左隅にみえるのが金堂(こんどう)基壇。
整備された塔基壇(とうきだん)を回廊(かいろう)よりみる(写真)塔基壇(とうきだん)の上には大きな礎石(そせき)が並んでいます
発掘調査に基(もと)づいて復元(ふくげん)された塔基壇の姿です。奈良県飛鳥(あすか)地方などの大寺院とくらべても、見おとりしないたいへん立派(りっぱ)なものです。基壇の上には、高さ30メートルを超える五重塔が建っていたものと考えられます。五重塔の頂(いただ)きには金色の相輪が輝いていました:
参考3 発掘された豪族居館(泉南市HP):
海会寺(かいえじ)の東側にひろがる平坦地には、7世紀初めから9世紀前半にかけて集落が営(いとな)まれていました。のべ30数棟の掘立柱(ほったてばしら)建物が確認され、それぞれ時期の異なる11のグループに分かれることがわかりました。
広場では8世紀初頭の建物群(赤線の建物)を平面的に表示しています。これらの建物は方位に合わせて建てられ、さらには建物同志の柱筋をそろえるなど、非常に企画性の高い建物群であり、当時の都や役所の建物になぞらえて「官衙風配置」(かんがふうはいち)と呼ぶことができます。
寺院に引き続いて建設されたこれらの建物群は、寺院を建立(こんりゅう)した豪族(ごうぞく)の居館(きょかん)であるほか、公的な役割も担(にな)っていたのかも知れません。
参考4:泉南市のHP=海会寺跡(かいえじあと)は、昭和58(1983)年度から昭和61(1986)年度にかけて行われた発掘調査によって「法隆寺式伽藍配置(ほうりゅうじしきがらんはいち)」を採用する寺院の様子、また寺院の隣りに営(いとな)まれた豪族(ごうぞく)集落の構造および変遷(へんせん)が明らかになりました。これらの成果から、「わが国古代寺院の実態解明(じったいかいめい)にとって非常に重要な遺跡である。」との評価を受け、昭和62(1987)年、国史跡として指定されています。
また一連の発掘調査で出土した遺物には、おびただしい量の瓦磚類(がせんるい)や堂内を飾った仏像類、五重塔の頂(いただき)を飾った相輪(そうりん)など、古代寺院を構成する多種多様なものがあり、いずれも非常に良好な状態で見つかっています。こうしたことから平成7(1995)年、一括して国重要文化財に指定されました。このような形で古代寺院関連の遺物が指定を受けるのは全国でも初めてのことです。
泉南市埋蔵文化財センターにて常設展示しています。
重要文化財-瓦-
重要文化財-鴟尾・せん-
重要文化財-仏像-
重要文化財-相輪-
海会寺跡については下記リンクからどうぞ
史跡海会寺HP=
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