出土した漆紙文書には、延暦15年などの年号が書かれており、東北陸奥国以北の蝦夷の領域に侵攻する対蝦夷戦争の時期に当たり、そのための武器武具をはじめとする必要な物資の生産拠点と推定されている。この頃になると鉄素材を生産する製鉄も行われており、石岡市内では、国府より少し離れた部原地区の瓦塚窯跡や染谷地区の宮平遺跡で、製鉄炉などが検出されている。鹿ノ子遺跡からは、様々な鉄製品の製作工房などが発見されているようだ。製鉄では箱形炉から8世紀半ば以降に竪形炉に移行する様子も明らかにされている。鹿ノ子遺跡における鉄製品生産の中心は鹿ノ子C遺跡で、様々な形の炉などの遺構が検出され、出土した鉄製品を見ると対蝦夷戦争の8世紀には、武具武器生産が中心でそれが終わる9世紀以降は農具生産へと移行しているという。墨書土器も多く出ているがこの遺跡の目玉は何と言っても漆紙文書で、特に防人関係の文書や古代の役所が強制的に稲を貸し付ける出挙帳、課税台帳の計帳や検田帳などは、貴重な史料として古代史研究でしばしば引用される文書らしい。貴重な資料を見学して石岡駅に戻る途中国分寺の塔礎石や金堂跡などを見て駅に戻った。
HOME >
hirokok510さんのHP >
日記
昼食を済ませて石岡市ふるさと歴史館に向かう。ここも何度か訪問している。この周辺から常陸国府関連遺跡が見つかっているらしい。国府跡の石碑もある。館内に入ると鹿ノ子遺跡の展示。発掘調査が何度も繰り返されいくつもの地点から国府関連の工房跡が検出されている。復元された建物は風土記の丘でみてきたばかり。
出土した漆紙文書には、延暦15年などの年号が書かれており、東北陸奥国以北の蝦夷の領域に侵攻する対蝦夷戦争の時期に当たり、そのための武器武具をはじめとする必要な物資の生産拠点と推定されている。この頃になると鉄素材を生産する製鉄も行われており、石岡市内では、国府より少し離れた部原地区の瓦塚窯跡や染谷地区の宮平遺跡で、製鉄炉などが検出されている。鹿ノ子遺跡からは、様々な鉄製品の製作工房などが発見されているようだ。製鉄では箱形炉から8世紀半ば以降に竪形炉に移行する様子も明らかにされている。鹿ノ子遺跡における鉄製品生産の中心は鹿ノ子C遺跡で、様々な形の炉などの遺構が検出され、出土した鉄製品を見ると対蝦夷戦争の8世紀には、武具武器生産が中心でそれが終わる9世紀以降は農具生産へと移行しているという。墨書土器も多く出ているがこの遺跡の目玉は何と言っても漆紙文書で、特に防人関係の文書や古代の役所が強制的に稲を貸し付ける出挙帳、課税台帳の計帳や検田帳などは、貴重な史料として古代史研究でしばしば引用される文書らしい。貴重な資料を見学して石岡駅に戻る途中国分寺の塔礎石や金堂跡などを見て駅に戻った。
6月28日(水)鹿ノ子遺跡展
出土した漆紙文書には、延暦15年などの年号が書かれており、東北陸奥国以北の蝦夷の領域に侵攻する対蝦夷戦争の時期に当たり、そのための武器武具をはじめとする必要な物資の生産拠点と推定されている。この頃になると鉄素材を生産する製鉄も行われており、石岡市内では、国府より少し離れた部原地区の瓦塚窯跡や染谷地区の宮平遺跡で、製鉄炉などが検出されている。鹿ノ子遺跡からは、様々な鉄製品の製作工房などが発見されているようだ。製鉄では箱形炉から8世紀半ば以降に竪形炉に移行する様子も明らかにされている。鹿ノ子遺跡における鉄製品生産の中心は鹿ノ子C遺跡で、様々な形の炉などの遺構が検出され、出土した鉄製品を見ると対蝦夷戦争の8世紀には、武具武器生産が中心でそれが終わる9世紀以降は農具生産へと移行しているという。墨書土器も多く出ているがこの遺跡の目玉は何と言っても漆紙文書で、特に防人関係の文書や古代の役所が強制的に稲を貸し付ける出挙帳、課税台帳の計帳や検田帳などは、貴重な史料として古代史研究でしばしば引用される文書らしい。貴重な資料を見学して石岡駅に戻る途中国分寺の塔礎石や金堂跡などを見て駅に戻った。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:60人
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する