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国分寺に関しては諸説あったが、昭和31年以降本格的な発掘調査が開始され、80間百間の東大寺式伽藍配置を取り、国分寺の詔の通りの七重の塔が建てられたと推定されているようだ。こうした寺院建設はこの地に国衙(伊豆国の役所、政庁)があったからで、三島大社もおそらく火山の神を鎮める役割から国家の安寧を祈る神社へと変わっていったものと思われる。無論やがて神仏習合となり、神宮寺も建てられていったものと思われる。詳しくは國學院大學博物館で、三島の神に関する企画展が開催され、それがきっかけでこのツアーに参加したのだった。
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