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小出インターには、十一時半前に到着、小出郷文化会館に向かう途中、ランチの場所を探したが心当たりを電話しても休業中、カッタクリビジターセンターという小出郷の公園入口にある施設で、尋ねたがコンビニ以外は17号線まででないと無いというので、諦めて晩飯用に買った100円ローソンの弁当とパンを文化会館で食べて会場を待つ。資料だけ先にいただいて読み始める。冒頭が八十里越第四次調査報告で、魚沼市の藤本玲子氏が報告。八十里越は、魚沼と会津を結ぶ古くからの交通路として知られたが、途中は山中の険しい箇所もあり、八十里歩くような厳しい道とされた歴史の道。高校生のころ友人と歩いたがどこからどこまで歩いたか記憶が定かでない。1日歩き回ったか、途中テント泊だったが、とにかく長かったというかすかな記憶。途中見た只見川渓谷の燃えるような紅葉が印象に深く刻まれた。確かその頃の新潟の山歩きのガイドブックを見てチャレンジしたはずだがどの本か記憶があやふやだ。
今回のちょうさでは、田代平ー木ノ根峠区間の測量や天保古道、明治新道切合い、茶屋跡の礎石や銅銭、蹄鉄、鉄鍬などの出土を確認している。これまでの調査や残された古地図などの記録から、時期別のルートの変遷図が示されている。
また九十九折がほぼ完全な形で残存し、天保古道山側では、土側溝が確認され、明治新道、大白川林道との切合いを確認したようだ。
今後は木ノ根茶屋の全容把握、道遺構の土側溝施設確認、土留石など正確な記録、赤道路線の確認などを行うとしている。
次に黒姫山洞窟の調査があり、津南の佐藤雅一氏が入って調査が続けられている。縄文時代草創期から早期、さらに弥生時代までの遺物が出ていて興味深い。サケやウサギの骨も出ている。土器は微隆起線文、爪形、押圧縄文が多い。
洞窟前の前庭部には洪水による堆積層があり、また、土石流層の内側には炉跡が重層し、まだ十分解明されておらず、さらに今後はその下の岩盤上まで一メートルは掘る予定らしい。この地域の草創期の洞窟遺跡の貴重な例として、更なる調査が期待される。
また、谷地遺跡からは、緻密な作りの複式炉が検出され、埋設土器や中期後葉から後期の在地土器が出土、その中の一点がやや古いのではないか、と調査者が思案している。大木式にも見られる渦巻文が見られるが、複式炉は中期後葉以降なので少しずれがあるという。会場には発掘調査で出土した土器わや石器、石棒、土偶やヒスイ垂飾、ミニチュア土器、パネル展示などが並べられていた。まだ未発表のもノが多くsnsには写真をアップするなとのこと。魚沼市では令和六年度には展示施設を旧平上庁舎の一画にオープンする予定らしいので期待したい。
帰路は、同じ小出インターバス停に戻り、バスタ新宿に向かい雪の少ないスキー場のオレンジの灯りを眺めながら八海山の麓を走り抜けた。
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