展示場に入る。この展覧会は医師で冒険家の関野吉晴氏と科学博物館の共同作業で、人類がアフリカから世界に拡散し、南米の先端までいたったコースを逆にさかのぼり、人類のルーツに迫るという冒険事業のプロセスの中で発見し、考察した様々な出来事や事実を検証するものだ。
戦後の日本の冒険家といえば、なんと言っても植村直己氏であり、その天性のキャラクターから、欧米の登山からが単なる荷揚げ人としてあごで使う世界各地の地元住民や先住民と交流し、その生活スタイルを学びながら、過酷な状況の中で長期間生き延びる術を身につけて行った姿に感動を覚えた。今回の関野氏の活動は、そのような植村氏の冒険人生をさらに人類史的な視野を含め、医師として、科学者としての視点を踏まえて、人類史をさかのぼるたびをするという壮大なスケールの旅。
南米の熱帯雨林の先住民、アンデスの先住民らの文化に浸りながらともに生活し、熱帯から北米・北極の極北に生きる人々と交流しながら移動する。アマゾンのヤノマミ族など、有名な民族の生活も様変わりしていると思われるが、展示は伝統的生活を強調して、実際はそんなきれいごとではすまないのではないかとも思われるが、ジャーニーの本をまだ読んでいないので、詳しいことは展示だけではわからない。ただ関野医師もおそらく植村氏の活動に大きく影響を受けたと思われ、先住民族と生活をともにして、その生存技術を学んだことは確かだろう。詳しいことは著書などを読まねばならないと思った。植村氏の場合は北極圏やグリーンランド、アラスカの犬ぞり移動では、魚を釣ったり、アザラシなどをしとめて犬にもえさをやりながら生き延びて旅をした。吉野氏もたった一人でがんばったのだろうか?ウィキによれば、関野氏は一橋大学探検部で南米大陸の冒険の際、住民の足手まといになっていると痛感し、人々に役に立てる医師になって冒険を続ける決意をして、横浜私立大学医学部に再入学し医師資格を取得して、この冒険を続けたようだ。医師としてやくだったことは、ほとんどなかったと、謙遜されているがーー。
関野氏はもともとアマゾン探検にのめりこみ、30回以上も南米に通い、その中で先住民が自分に近いモンゴロイドということから、自分との接点を求めて、人類史をさかのぼる旅を考えたようだ。この展示だけからは、私にとって特に目新しいことはなかったが、インドネシアから日本への自作の帆掛け舟による航海は、なかなかすごいと思った。テレビなどの特別番組で見たような気がするが、船を造るための鉄の道具を作るところから始めて、鉄精錬用木炭で赤松400本が必要だったところに、人類文明の大きな問題があると思わざるを得ない。
この旅から得たものは、一番平凡で当たり前のことが大事だということ。家族、コミュニティ、などなどーー。それはわかるが、人類史の謎に迫ることがほとんどないように思えるのが残念でもあるーー。
おはようございます。akagera02といいます。
今日、相棒1号と同展覧会に行こうと思っています。どんなことが感じ取れるか楽しみにしています。
自分としてはもともとこうした話題には興味があり折に触れ接してきているので、人類がなぜ拡散してこうまで個体数を増やしてきたのか?そうしたことが少しでも理解できればと思っています。
こんばんは、akagera02です。
「グレートジャーニー」行ってきました。
自分としては「ウーム」という感想です。確かにあまり目新しい視点があったとは思えません。視点の設定も少しインパクトが足りないような、、、。岡村さんの起用もせっかくのキャラが生かし切れていないような、、、。鉄の道具で作ったのに「縄文号」とは、、、。骨製針の開発に石刃技法がなぜ関係しているのか不鮮明など、、、。すいません、少し批判めいてしまいました。
でも、大きなテーマ、重要なテーマを扱っているからこそ最新の研究成果、一般普及に関する繊細な注意、斬新な視点などが必要なのではないでしょうか。
話題性だけでは、本当に重要なことは伝わりません。
確かに、鉄器と縄文というのは、設定がおかしいですねーー。もっとも石器や銅で船を作るとなると、どうしてよいか、わからないということでしょうか?
個人の冒険はそれとして、意味があるとは思いますが、それが科学博物館とどのように切り結ぶのか、もう少しその間に何かが必要なのかもしませんねーー。
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