大英博物館やギメ博物館、ボストン美術館など世界中の著名博物館や個人コレクションから集めたものの中には、長期貸し出しが許されず、途中展示替えするものもあるので、何回か見る必要がある。
受付で解説イヤホーンを購入し、中に入る。第一章は浮世絵前夜として彦根城屏風や江戸名所図屏風などだが、今回は彦根城屏風はすでになく、江戸名所図の一部と、岩佐又兵衛の美人図などを見た。岩佐又兵衛の絵はまだ展示が少なく、2月2日以降に展示替えされるものが多いようだ。次に第二章「浮世絵のあけぼの」で、初期の画家、菱田師宣・鳥居清倍・奥村政信などの錦絵などが展示されている。
菱川師宣は浮世絵の創始者として知られ、見返り美人で知られるが、見返り美人は1月28日から2月16日までの展示で今回は残念。二月にまた来よう。師宣の作品は墨摺り錦絵三点。天才絵師の面目躍如だ。歌舞伎絵で知られる鳥居派の作品も、清信の立美人図はまだ展示されておらず、女三宮があった。なかなか妖艶な作品、清倍(きよます)の作品も市川團十郎はまだで、「髪すき」が展示されていた。
さらに懐月堂安度の立美人図も印象的。まだ展示されていないものが多く、一点ずつしか見られない。名古屋や山口ではもう少し多くみられそう。
続いて第3章・錦絵の誕生、最初は鈴木晴信の美人画。「見立て為朝」はベルリン国立アジア美術館、「雪中相合傘」は大英博物館、「蝉丸」はホノルル美術館と海外から里帰りの名品。とりわけ「雪中相合傘」は最高傑作とも言われている。これをみることができて、ラッキーだ。
第4章:浮世絵黄金時代では、鳥居清長に続いて喜多川歌麿の作品が展示されている。中でも歌麿の「錦織歌麿形真模様 白打掛」(ベルリン国立アジア美術館)はすごい作品。自信に満ちた言葉が作品に書き込まれているが、さもありなんーー一瞬、クリムトの絵を思い出したーー。クリムトがこの絵を見たかどうかわからないが、ベルリンにあったとすれば、見ているかもしれないーー。ゴッホらは浮世絵をどうやって見たのだろうか?画集が出版されていたのか??――調べてみると、ゴッホは貧しいさなかでも弟の美術商のテオの協力により、かなりの浮世絵を蒐集していたらしい。
今日はこの作品と、春信の相合傘を見ることができ、これだけで十分すぎる満足感を得た。写楽や北斎、幕末から明治にかけてのものも、面白さはあるが、なんせ、混んでいて人ごみの中からかき分けてみるような感じで、疲れる。一時前また何回か来ることにして、今日は大浮世絵展鑑賞を終える。
大浮世絵展を見てから3階の休憩所で100円サンドウィッチを食べ、常設展エリアの中にある東海道53次の展示を見る。ここは撮影可能だ。見覚えのある作品が並んでいる。詳しくみるには16時からのミュージアムガイドがあるので、ざっと見て回り、一時半過ぎに1階に戻って、今日の講演(えどはくカルチャー)「旧国制」を聞きに行く。江戸博の客員研究員の近松鴻二
氏によるもの。今回の展示とはとくに関係はないようだーー。旧国制とは古代から近世までの行政区分でその大本は大化の改新により確立する律令制度化の行政区分(国郡制)だ。様々な紆余曲折を経て最終的に天長元年9月3日(西暦824年10月26日)、66国2島となり、以後、これが基本として定着。その後、中世には守護大名や戦国大名などによる領国制などの中で命脈を保ち、廃藩置県で大きく変わるも、現在の県境も古代からの国郡制の境界がその基盤となっている。また「藩」ということばは江戸時代には使われず、国という言葉が使われ、明治時代の短い期間にのみつかわれていたこと、知らなかった。また郡や道も「東海道、唐山道。北陸道、山陽道」など古代からの地域・行政区分で「中国地方」も古代からの「近国」「中国」「遠国」という畿内中心の呼び方の中から生まれたものということ、知ってるようで知らない「旧国制」でした。
その後16時から東海道53次の展示会場でもガイドツアーがあり、大勢の参加者があった。日本橋から1点一点、面白い解説があったが、半分もいかないうちに時間切れーー。でも大いに参考になりました。版画制作にかかわる面白い話がありました。例えば最初の「日本橋 朝之景」や「蒲原 夜之雪」などでは二点掲げてあり、初刷りに近い版と後の方の版ではかなりの違いがあること。日本橋では初版の方はうっすらと雲が画面中央左上に描かれているが、後の方では版がつぶれて雲はなくなっている。当時、広重は人気が出て、何度も摺増しされ、版がつぶれたり、線が太くなったり、ということが起きている。また版が見づらくなると、一部版を新しくして、別の絵が追加されたり亡くなったりということがよくあるそうだ。初版かそうでないかによっても、価値が大いに変わるようだ。「蒲原」では初版は空が下側がうす暗く灰色で、上側がより濃く黒っぽくなっているが、後の版では空の下が暗く、上が白っぽくなっている。これは諸説あるが、上が黒いと絵の上の方にある文字が見えにくくなるので、すり方を変えたといわれているようだ。版画の世界もいろいろとエピソードが尽きないようだ。
写真1:安藤広重像(死絵)−−亡くなった直後に弟子によって描かれた像ーー有名人だったので、そうしたことが行われたようだーー
写真2:江戸名所図屏風(複製)
写真3:「蒲原 夜之雪」初刷
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