東京都立写真美術館では現在「黒部と槍」展を開催中で、19日からは山岳映画が連日上映される。今日の二時からのイベントのゲストは神長幹雄(『山と溪谷』元編集長)、穂苅康治(槍ヶ岳山荘グループ代表)。開場に行くと、整理券はすでに終了し、大勢がキャンセル待ち。しばらく並んで、なんとか滑り込んだ。聞くところでは9時前から大勢並んで、整理券を入手していたらしい。大変な人気ぶりだ。
さて、ゲストの康治氏の祖父、穂苅三寿雄は今回の展示の中心の一人で、
「明治24(1891)年、現在の長野県松本市に生まれ、幼い頃から山に親しみ、明治40(1907)年に初めて上高地に入り、大正3(1914)年には初めて槍ヶ岳に登ります。上高地・槍ヶ岳一帯の登山道の整備を機に、山小屋建設を決意、大正6(1917)年に槍沢小屋を開設しました。この頃から独学で写真を学び、松本市内に写真館を開業して山岳絵はがきを販売するかたわら、山岳写真を撮り始め、地の利を活かした秀作を数多く撮影、大正末期の積雪期の作品など先駆的な業績を数多く残しました。」(写真美術館ホームページより)
三代にわたり、槍ヶ岳山荘グループを築き上げ、槍ヶ岳登山をけん引してきた穂苅家。その創始者である穂苅三寿雄氏の思い出話、二代目の父貞雄氏のこと、写真館と初期の冬山での白黒写真撮影の機材やガラス乾板など貴重な話を聞くことができた。司会の女性学芸員は穂苅氏、神永氏へのインタビュー形式で話を進めていく。初代の三寿雄氏は16歳のころ家出をしてその時のことを文章と歌に残しており、その経験とのちの上高地体験がアルプスに向かって進んでいくもとになったという。文章も写真も人を引き付ける魅力がある。また二代目の貞雄氏の写真も機材はぐっと現代的になり、カラー写真になるが、写真館を経営して商業写真も手掛けて、その質は素晴らしいものだ。貞雄氏はまだ健在で本来、貞雄氏の話が聞ければさらによかったが、御高齢で無理だったという。
最後に記録映画「黒部の源流(みなもと)」を見る。これは冠松次郎氏在りし日、黒部の源流という標柱を北アルプスに設置した時の記録であった。冠松次郎氏の姿の映像を見たのは初めてで、これだけでも大いに来た価値があったと思う。
また会の終了後、展示を見たが、これも穂苅三寿雄氏と冠松次郎両氏による素晴らしい写真が並んでいる。また映像コーナーでは冠松次郎氏vs志水哲也(写真家)と穂苅三寿雄vs穂苅貞雄氏の写真を対比させて写していた。これも素晴らしい内容で、まだ見ていない方は是非会場に足を運ぶことをお勧めする。
HOME >
hirokok510さんのHP >
日記
4月5日(土)「槍を撮る・槍に生きる」山岳写真展関連イベントに滑り込み
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:443人
hirokok510さん、コンバンワ&初めまして。
先人の偉業は(山小屋や登山道整備を)初めて始め、そして成し得た事と、その後の維持管理や今後の発展に寄与している現在の方々、感謝と尊敬の念が絶えません。
そして素晴らしい思わんばかりです。
kintakunteさん、本当に先人の数々の偉業、目を見張るばかりですーーそれにしても、槍でも剣にしても、近代アルピニズムの初登頂時代に、はるか前の修験者の遺物を見た時の「初登頂者」の心境はいかなるものであったのかーー???
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する