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最初の「ヒマラヤ−運命の山(2009)」も見たかった映画。当時世界最強とうたわれたラインホルト・メスナー氏の自伝的な作品の映画化。メスナーは単にヒマラヤを登頂するというだけでなく、少人数・単独、酸素ボンベなしのアルパインスタイルの速攻的な登頂への道を切り開いた登山家だ。その後の長谷川恒男、山野井氏らに大きな影響を与えた登山家と思われる。その伝説的なメスナー氏もナンガ・パルバット(8125m)登頂では、悪天候や様々なアクシデントで弟のギュンターを雪崩で失うという悲劇を経験し、自らも決死の覚悟でデスゾーンから脱出し、生還するというドラマを生んだ。メスナー氏はこの悲劇に関する罪の意識で、その後も弟の遺体を探し続け、その後ナンガに単独登頂したのちに、弟の遺体を4300m付近で発見、その後、この自伝的な原作「裸の山−ナンガパルバット」を書いた。極限状況の中での大きな集団内の対立のストレス、悪天候、おのれの技術、経験、知識、体力のすべてをかけての決死の登攀ーーしかし、軽装備でアタックしたために、帰りに必要なロープがない。ギュンターに至っては、単独で出発した兄を追いかけて、装備も持たずに登頂した。下からくる第二次(正式なアタックとしては第一)隊が見え、設置するロープを使えば下山できるが、下からこれ以上進めない、という答え――。やむなく、ディアミール側への困難なクライムダウン、横断をして三日間、飲まず食わずで、弟を失いながらも奇跡の生還、しかし心に深い傷を負った。その時の第二登の二人のうち、一人はモンブランで亡くなり、一人は自殺してしまうーー。「裸の山」とはナンガ・パルバットの現地語(パキスタン)のウルドゥー語名だ。中々迫力のある映像で、良い出来の映画と思う。無論メスナーの原作とメスナーの経験そのものがすごいというのが最大のポイントだが――。
お昼は持参の弁当のおかずと100円おにぎり弁当のいつもの組み合わせ
2.アーノルド・ファンク監督の「死の銀嶺」(1929年)
同美術館のHPでは
「日本でも大ヒットしたファンク監督の代表作。世界初の冬山航空撮影を行った映画で、登山シーンのみならず、冬山を飛ぶ飛行機のスリリングな映像も衝撃的。1998年に修復されて、アシュレイ・アーウィンが新たに作曲したオーケストラ演奏が加えられたサウンド版を上映。」と出ている。
たくさん映画を見て、記録を作るのに時間をおいてしまったので、この日のメモからではストーリーを再現できなくなってしまったので、別の記事を添付します。
「スイス特有の南風がピッツ・パリュウの断崖に吹きつける。ヨハンネス・クラフト博士が愛妻マリアを伴って山頂へと登りつつあった時、上方の氷壁の一部が崩れ、マリアは奈落の谷底へ墜落した。暗い氷河の裂目は若き生命を呑みこんでしまった。愛人を奪われた博士は永遠の氷の中を彷徨い歩いた。かくて十年の歳月が流れた。この呪われた山の前に再び二人の人間が現われた。それはハンス・プラントと愛人マリア・マヨーニであった。二人は人里離れた山の小屋で結婚した。しかしこの平和な小屋に幽霊のような一人の男が現われた。それは十年間の放浪生活に身心ともに疲れ果てたヨハンネス・クラフト博士であった。マリアは突然の侵入者を恐れもしたが女心に淡い同情の念も湧かした。三人は不安の裡に一夜を明かした。その頃チューリッヒ大学の山岳部員がピッツ・パリュウの北側の絶壁を登りつつあった。これに対抗して博士とプラントも南側から登りはじめた。マリアも懇望して一行に加わった。だがこの時山上には大雪崩が起った。氷塊は北側の学生達を埋めながら谷底めがけて落下した。その時、南側のハンスも足を踏み滑らせて谷の中空にぶら下る。ヨハンネスは身を挺してハンスを安全な場所へ連れ戻したが不運にも自分の足を打碎いてしまった。三人は傷つける体を岩上に横たえ救いの来るを空しく待った。かくて死に直面すること四日、ようやく飛行家に発見されてハンスとマリアは死地から救い出された。だが彼等のためにその身を犠牲にした博士は愛人を奪ったピッツ・パリュウの氷の中に永眠した。」(http://movie.walkerplus.com/)
3.同監督「聖山」(1926)
これも同サイトの記述によると
「ある避暑地の出来事。波と山とを愛するダンサーのディオティマはある時その優れた技倆を人々の前に示した。この時に観客の中にフィゴという青年とその友達とがいた。友達はこの時、ディオティマの踊りにすっかり惹きつけられた。彼はその感情の激動を抑制する為に愛する山へと登って行った。が、一方フィゴの方はただ子供染みた愛情をディオティマに捧げただけであった。翌日ディオティマはゆくりなく山をそぞろ歩きし、友達にあった。二人は互いに惹きつけられた。それから暫くしてディオティマはフィゴに遭い彼のスキー競走への招待に応じた。フィゴはこの競争に勝ったのでディオティマは彼の望みを適えてやろうと云った。フィゴは彼女の膝に己の頭を一度でいいから乗せたい事を願った。が、計らずもこの二人の有様を友達が眺めて、彼はこの間に深い事情あるものと誤解し彼の胸は嫉妬に燃えた。これから間もなくフィゴと友達とはかねて計画していた聖なる北壁と呼ばれている絶峰への登攀を決行した。が、南風の強い事と夜が来た事から二人は止むなく危険な地点に一夜を明かす事にした。が、自然の狂暴さは友達の胸の内にもその狂暴を捲き起して彼はフィゴに一撃をくれた。フィゴは崖から転がり落ちた。その時、下の谷間では友達の母親は急に二人の身が心配になって人々の救援を求めた。ディオティマが真先に出かけたので人々もそれに続いた。この間中、友達は崖の上に不動の真理の像の如く立ってフィゴが縋っている綱を握って立っていた。彼の思念は乱れて来た。そして氷の幻想が現れ、彼はディオティマと手を繋いで太陽が聖盃の如くに輝いている聖壇の前に進んで行ったと思った。眼を開くと太陽が昇って来る時であった。彼はその光に眼を射られた。彼は太陽の方へ進もうとして、断崖から落ちた。その後、一人残されたディオティマの心には山頂に立って友の縋る綱を握って立つ男の姿が永久に消えなかった。そして聖山の幻想は、真理の象徴の如くに彼女の目の前に聳えていた。」
迫力ある山岳登攀、事故と男女のメロドラマの複合的進行というファンク監督の山岳映画の骨格が出来上がった記念碑的な作品のようだ。映像は素晴らしいが、立て続けに山の悲劇を見るのもつらいものがある――
4)「アイガー北壁」(2008)
[アルプス登攀史上最大の悲劇と呼ばれた実話を基に、未到のアイガー北壁に挑んだクライマーたちの壮絶な運命を迫力満点の映像で描く。(美術館HP)
「ベルリン五輪を間近に控えた1936年ドイツ。ナチスは国家の優位性を世界に誇示するため、アルプスの名峰アイガー北壁のドイツ人初登頂を強く望み、成功者にはオリンピック金メダルの授与を約束する。山岳猟兵のトニー・クルツ(ベンノ・フュルマン)とアンディ・ヒンターシュトイサー(フロリアン・ル−カス)は、難攻不落の山々を次々と踏破し、優秀な登山家として知られ始めていた。二人は世間の盛り上がりに戸惑いながらも《殺人の壁》と恐れられていたアイガー北壁への挑戦を決意する。7月14日。麓には、初登頂を目指す各国からの登山家や、世紀の瞬間を見届けようとする報道関係者、見物客が集まってきていた。その中にはトニーのかつての恋人でベルリン新聞社の記者、ルイーゼ・フェルナー(ヨハンナ・ヴォカレク)の姿もあった。7月18日。絶好のコンディションと判断したトニーとアンディは登攀を開始。彼らのすぐ後をオーストリア隊のヴィリー・アンゲラー(ジーモン・シュヴァルツ)とエディ・ライナー(ゲオルク・フリードリヒ)が追った。だが、間隔を開けずに登っていたために、ヴィリーが落石に遭い、大怪我を負ってしまう。その晩、4人は高度3100メートル地点で1回目のビバーク。彼らの驚くべき快進撃に、山麓の宿泊客たちは明日にでも初登攀達成かと期待に胸を膨らませる。7月19日。夕方には高度3350メートルに達するが、ヴィリーは既に登ることが不可能なほどの容態になっていた。2回目のビバークを経て、4人は登攀中止を決定。ヴィリーをザイルで下ろしながら、下山を始める。7月20日。天候が急激に悪化、3回目のビバーク。7月21日。下山途中の彼らに、突然雪崩が押し寄せる。エディは岩壁に頭を強く打ちつけて気絶、アンディとヴィリーも宙に吊り下げられた状態で気を失ってしまう。朦朧とする意識の中、アンディはトニーを守るために自らザイルを切断する……。」(http://movie.walkerplus.com/)
ファンク監督に起用されたレニ・リーフェンシュタールも戦後ナチスとの関係を非難されて苦しんだが、この映画は当時の山岳界とナチスとの関係を含め、アルプスサンゴの難関とみなされたアイガー北壁を巡る様々な人々の思いと思惑、迫力ある登攀シーンとが絡み合い、印象に残る映画だ。トニーの元恋人、ルイーゼは実在しないようだ。物語は第一雪田手前で「振り子のトラバース」を成功させて登頂に近づくものの、後ろの二人が近づきすぎて、落石で負傷、少し登って動けなくなり、登頂をあきらめて負傷者を含め、困難な下山開始――しかし振り子のトラバースでザイルを残しておかなかったために、下りのトラバースができず、悲劇が起こった――
今日は四つの悲劇を見て、疲労困憊ーーしかしやはり映画は劇場で見るに限るーー迫力が違いますね――
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