1)松本清張の原作「黒い画集―ある遭難」は、ある山岳雑誌の座談会で山をやる人に悪人はいない、という発言に軽い反発を覚えたことが執筆の動機という。あるいはそうかもしれないが、明確に決めつけられることに、反発してみたくなったのだろうーー。ただし、江田というベテラン登山家が、妻と山仲間の浮気を疑って、その若い友人を追い詰めるために念入りに計画を練ったということだが、設定にやや不自然な感じがあるのはぬぐえないーー。寝台車で浮気を疑うような言葉をそれとなく示唆し、精神的動揺を起こさせて、披露させーー天候の悪化を予測し、迷いやすい場所を通過してわざと迷い、捜索が明朝になることを見越して、山小屋に救助を求めて二人を置き去りにするーーそしてついに気がおかしくなってがけから転落する(原作では疲労凍死)ーーあとから弟の事故に疑いを持った姉が別のいとこの登山家に依頼して調査し、江田とそのいとこの登山家と現場検証に行くが、疑われた江田が、いとこを雪の沢下りで墜落死させ、自分も雪崩で死ぬという設定ーー松本清張もこうしたテーマでストーリーを描く、そういう時代だったのだなーと言う感慨ーー。
2)聖職の碑(原作・新田次郎)
「中箕輪尋常高等小学校高等科二年生二十五名、青年会員九名、引率清水、征矢、赤羽校長の三十七名が、修学旅行中、暴風雨に襲われ、山小屋を急造して避難していた。赤羽校長にとっては、この中央アルプス駒ケ岳登山は執念の行事であった。それは彼の“子供は生まれついては強くも正しくもない、それを鍛え、困難を乗り越えられる人間にするのが教育だ”という方針の為である。しかし、清水訓導は、もともとこの登山には反対であった。彼は、同僚の樋口や伊吹やえとともに自由な理想教育を目指し、校長とは度々論争をしていた。赤羽校長の腕の中で古屋時松がこと切れると、小屋の中にパニックが起こった。一人の青年が、屋根にしてあった着ゴザを引きはがして嵐の中に逃げ出すと、青年達は次々と後を追った。そして、生徒と教師と一部青年会員の悲劇の下山が始まった。着ゴザを手に入れられなかった生徒達が次々と死に、校長は自分のシャツを生徒に着せて死んだ。征矢は山を下り救援を求め、清水は負傷した生徒を岩陰に連れていった。この登山に最も強く反対していた有賀主任訓導は、救援本部にかけつけると、すべてのシャツを生徒に着せて、凍死している赤羽校長の姿があった。有賀は教育の方針の違いを越えた大きな愛を見る思いがした。村葬の日、学校関係者や校長未亡人の回りには遺族たちからの罵声が渦巻き、校長の家には連日投石が続いた。生きて帰った清水、征矢には査問会が待っていた。周囲の反対を押しての結婚を控えていた樋口訓導は、校長に“今が一番大切な時だから残るように”といわれていたが、校長の後を追って自殺する。有賀は病身を押して教師と生徒の心のふれあいを記念する遭難碑を建立し、その記念碑除幕式の翌日、世を去った。それから十二年後、修学旅行は再会され、それは今にうけつがれている。」(http://movie.walkerplus.com/mv18706/)
実話に基づいた原作ー大正時代の信州の学校教育界と山を巡る様々な人々の思いのぶつかり合いは、時間の長さを感じさせないほど、見どころ十分だ。
遭難の原因は、当時の気象予報がまだまだ精度が低く、小笠原海上で発達した台風が猛烈なスピードで、同時刻に東日本を通過中であったことを把握できなかったことにあるようだ。赤羽校長は飯田測候所に何度も連絡して状況を確かめていたが、天候は回復するという予測を信じてしまった。山小屋に到着する前から暴風雨が続き、小屋が半壊し、以前の滞在者の不注意から失火して屋根が燃え落ちていたことが知らされていなかった。しかも暴風雨が翌日も続いたことが、悲劇を大きくしてしまったようだ。子供たちを失った地域の親たちからの罵声の中、病身の有賀が死を賭して遭難日の建立のために献身的な働きをして、除幕式の翌日亡くなり、その12年後に修学登山が復活するという結末に、救われる思いだ。
3)氷壁(原作:井上靖)
この映画は以前、TVで一回見たような気がするが、やはりスクリーンで見るに勝るものはない。男女のメロドラマと山岳のクライミングシーンの組み合わせは、ファンク監督以来の設定。原作は読んでいないのでわからないが、wikiによれば、
「『氷壁』(ひょうへき)は、井上靖の長編小説。1956年2月24日から1957年8月22日まで「朝日新聞」に連載され、1957年に新潮社から単行本が刊行された。
切れるはずのないナイロンザイルが切れたために登山中に死亡した友人の死を、同行していた主人公が追う。1955年に実際に起きたナイロンザイル切断事件の若山五朗、北鎌尾根で遭難死した松濤明、芳田美枝子(奥山章夫人)ら複数のモデルがいる。友情と恋愛の確執を、「山」という自然と都会とを照らし合わせて描いている。」
とあり、またあらすじでも
「新鋭登山家の魚津恭太は、昭和30年の年末から翌年正月にかけて、親友の小坂乙彦と共に前穂高東壁の冬季初登頂の計画を立てる。その山行の直前、魚津は小坂の思いがけない秘密を知る。小坂は、人妻の八代美那子とふとしたきっかけから一夜を過ごし、その後も横恋慕を続けて、美那子を困惑させているというのだ。
不安定な心理状態の小坂に一抹の不安を抱きつつも、魚津達は穂高の氷壁にとりつく。吹雪に見舞われる厳しい登攀のなか、頂上の直前で小坂が滑落。深い谷底へ消えていった。二人を結んでいたナイロンザイルが切れたのだ。必死に捜索するも小坂は見つからず、捜索は雪解け後に持ち越されることになった。
失意のうちに帰京する魚津。そんな思いとは裏腹に、世間では「ナイロンザイルは果たして切れたか」と波紋を呼んでいた。切れるはずのないザイル。魚津はその渦に巻き込まれていく。ナイロンザイルの製造元は、魚津の勤務する会社と資金関係があり、さらにその原糸を供給した会社の専務は、小坂が思いを寄せていた美那子の夫・八代教之助だった。」
とあるので、映画は原作に忠実につくられているように思われる。またその後製作されたTVドラマの氷壁では、ナイロンザイルが摩擦熱に弱く、切れることがあることが判明したので、ザイル切断ではなく、カラビナに関係する遭難事故に直しているそうだ。
実際にクライミングを良くしている人はどう思うかわからないが、、クライミングの素人から見ると、鋭い岩の多い垂直の岩場で、あんなに細いザイルに命を託するということは恐ろしいと思ってしまう。ただ実際はロープの切断事故よりも操作ミスなどの人為的なミスが多いのかもしれないが――。ロープの劣化もあるから、定期的にロープの買い替えも必要なのだろう――。精神的にも肉体的にも充実した状態で臨まないと、どこに落とし穴があるかわからないーー。
映画は原作(井上靖)、監督(増村保造)、脚本(新藤兼人)、俳優(菅原謙二、山本富士子、野添ひとみ)ら、豪華な顔ぶれで、山岳映画の名作と言えるのではないか――
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山岳映画三本「黒い画集―ある遭難」「聖職の碑」「氷壁」4月27日
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