講演は同事業団の大木紳一郎氏。この春退職するので退官記念講演だ。変化がキーワードの弥生時代、その変化を読み解く次のキーワードは、「農耕」「鉄」「クニ」だ。
群馬の弥生時代は1)紀元前5世紀、前期弥生文化が伝わる(第一波のホップ)
2)紀元前1世紀、櫛描文土器文化伝わる(第二派=ステップ)、3)紀元3世紀、東海・北陸から集団移住があった、という三つのポイントを順を追って解説
1)弥生土器の急転換=中期後半、これまでと全く異なる櫛描文土器が急激に増加し、縄文を含む在地土器が廃れていく、焼き方が野焼きからより高温の焼き方に変わる
2)村の姿が変わる=竪穴住居の件数が増加ー環濠集落が現れるー低地への進出=水田など農耕の進展−生業の大転換
3)お墓の変化=中期前半までは弥生の再葬墓、中期後半から周溝墓、木棺礫床墓
推論1)紀元前1世紀頃、長野北部を中心とする栗林式土器文化を持つ集団が集団移住か?新しい土器と水田耕作技術などを持つ集団が未開の群馬の低地に進出、水田耕作地造成を始める―なぜ移住してきたかー長野北部の稲作による人口圧力から未開拓地への移住が始まったか?
4)鉄器ー交易の主役:鉄斧=森林伐採と木材利用、鉄剣・鉄鏃=武力のシンボル
弥生後期:長野北部と櫛描文土器を共通に使う−集落の巨大化ークニの形成?
後期後半から古墳時代の東海系S字甕を持つ集団の移住、低地の大規模開発始まる
なぜ、中期の長野北部の櫛描文文化集団や後期後半のS字甕土器文化集団の移住が起こったのかー今後の大きな課題ー東海や中部北部の稲作文化の進展による人口圧+ヤマト政権VS狗奴国の争いの余波ーー??これからの解明が待たれる。
写真1)今回の展示のポスター
写真2)群馬の弥生前期土器=左:東海系条痕文土器の影響のある在地土器、右:遠賀川系の白い地の土器
写真3)東海系二重口縁壺(左)、伊勢湾(東海西部)犬山扇状地系のS字甕
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