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歴史的にみて、最後の将軍になってしまった残念な人物みたいな印象がある。
あれ?でも、なんで新政府で議員とかやってんの?とか疑問はあった。
今回、調べてみて分かったのは、徳川慶喜公は天才であったということだ。(頭の回転が速すぎて、誰もついて行けないみたいな(;・∀・))
そして、天才らしい、それなりにいい人生を送れた人物だということを知った。
●ねこねこ日本史 第4期 #114 「最後の将軍になっちゃった、徳川慶喜!」
https://bit.ly/3aa8Yp9
まずは、お気軽にこの動画。慶喜公の天才ぶりが良く分かる(笑)
●気まぐれ人物伝
https://bit.ly/3sfbAsg
これは、面白おかしく読める。
●なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか
https://toyokeizai.net/articles/-/187322?page=3
まず、薩長テロリストの残虐行為は日本国民全員が知るべきところ。
(新撰組もテロリストみたいな印象があるが、京都守護職の配下であり、正式な警察組織なので歴史的にそれはない。)
自分の嫌いな言葉に、「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉がある。
得てして歴史というのは、こういうものだろう。しかし、勝った側の都合のいい解釈はゆるしてはならないと思う。
そもそも、薩長は天皇を利用しただけで、「尊王」なんて本心はない。本当の尊王は、慶喜公や会津の松平容保であって、薩長のテロリストに逆手に取られてしまったのは、残念でならない。
●徳川慶喜とは?薩長が震えた最強将軍の人生
https://bit.ly/3wXgVYN
歴代の徳川将軍の中で唯一、乗馬もせずに徒歩で長州兵に斬り込むとは、すごい(;゚Д゚)
あと、「江戸幕府が旧態依然で時代に乗り遅れた」というのは、実はウソで、旧幕藩体制を慶喜公は改革していた。
また、近代国家の構想は、すでに慶喜公が確立していた。それが面白くない薩長テロリストのごり押しに負けてしまったのは、残念だ。
「大政奉還」「江戸無血開城」を行ったのは、慶喜公の功績だろう。その大局観は、素晴らしい。
慶喜公本人の晩年は趣味に生きて、明治政府にも認められ、それなりにいい人生だったように思う。
●江戸幕府ラスト将軍”徳川慶喜”真の姿と渋沢栄一との意外な関係
https://bit.ly/3e3u223
「社会情勢に合わせて自分の行動原則、生き方を選びとる感覚は優れていた」
これが慶喜公の全てを物語っていると思う。
●wikipedia
https://bit.ly/3e1XwNH
特筆すべきは、「評価」の記事だろう。慶喜公がいかに人格者であり、天才であったか、分かる言葉が並ぶ。
常人には理解できない行動も多々あったようだが、それも計算してのこと。もちろん、外れることもあったが、一生を通してみたら、そのリカバリー能力が天才そのものだと思う。
西郷隆盛だけが、慶喜公に苦言を述べているが、これは性格が合わないからであろう。慶喜公が決断をしなかったのは、その場の状況判断であっただけだと思われる。
●最後に
慶喜公のご先祖様は太平の世の中から、己の都合で、戦国の世に戻し、大量の死者を出したという日本史上、最悪の黒歴史を作った人物であることは、絶対忘れてはいけない。