三百名山というのは、いい山も多いのだが、変な山も多いのが事実。そもそも、何を基準に「名山」なのか、考えてみた。
登山を始めて、名山というものは、「展望が良い」「登山道が楽しい」、そういうものだと思っていたが、残念ながら、これらの条件は名山とはまったく関係がないようだ。
そもそも、世界的に見ても、名山というものは、「標高が高くて、見栄えがする。」ことが第一条件である。逆を考えると分かりやすいが、展望が良くて、登山道が非常に雰囲気がいい山があったとしても見栄えがしなければ、残念ながら、それが名山と呼ばれることはありえない。太古の昔から、人々はまず麓から眺めて見栄えがする山をあがめて、名山とした訳だから、これは名山の大前提である。
深田久弥氏も「日本百名山」選定の条件として、「山の品格」「山の歴史」「個性」、付加条件として「1500m以上」を挙げているが、「展望がいい」とか「登山して楽しい」という要素はない。
よく筑波山を引き合いに出して、「筑波山が百名山なら、おらが山は百名山だ。」とか訳の分からないことを言う人がいるらしいが、筑波山は関東平野にポツンと存在しており、孤高の存在として圧巻なのである。これは、開聞岳、岩木山なども同じで、「そこに立っているだけで、百名山」という品格、個性があるのである。残念ながら、「おらが山」に百名山に該当するような山は、ほとんどあり得ないのである。
「日本三百名山」選定に当たっては、その基準を、さらに「多くの人に知られていること」「時間的にも空間的にも、広く、立派な山として知られていること」「標高900mまで」を挙げているとのことだが、これではハイキングで有名な山は名山で、山奥深く静かなたたずまいを見せる山が名山でないという、登山者としてまことに残念な基準である。
あくまで、登山者として名山を選ぶとするならば、山の品格、個性、展望の良さ、登山道の雰囲気などで、選ぶのが妥当であろう。
特に人口密集地域の近くにちょっと目立った山があって、それが名山というパターンがあるが、日本の他の地域から見れば、ただの里山にしか見えないものが多い。
また、「雪山以外にもいい山はある。」という苦しい言い訳を聞くが、ただの樹林のたおやかな山は、一体なにが品格、個性があるというのか?見た目がダメであれば、名山の資格などない。低山でも、真っ白になれば、それだけで品格や個性を感じるのは、自然な感覚であると思う。
交通の発達した現在において、「歴史」はまったく意味がないと考えるべきだと思う。三百名山の偏りには、不快感は禁じえない。
残念ながら、三百名山というのは、「おらが山」を「名山」にしたくて、理由をこじつけたとしか思えないものが多い。日本山岳会という団体が、登山者としての名山を選ばなかったことは、残念で仕方ない。
まあ、それでも、三百名山は踏破したい。少なくとも、「最初の一回は」それなりの楽しみがあるし、名山が多いことも事実なのだから。もちろん、地方の名山としては、尊重したい。
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