会の活動の目的は四季を通じて登攀にあり、新ルートの開拓などに熱心でした。
会員は、未知の領域や世界の未踏峰などに関心と憧れが強く、広範な文献や資料などを熱心に集めておりましたが、実際の活動範囲は極めて狭く限られていました。
活動の殆んどが谷川岳周辺と北アルプス周辺、それに南アルプス北岳で、歩荷訓練もその周辺でした。
初歩の雪上訓練は富士山の吉田大沢で年末から年始にかけて行いました。
ヒマラヤ遠征など海外での登攀は、夢として常に熱っぽく語られておりました。
そしてその夢は、私が退会してから10年を待たずして仲間たちが実現します。
たしか、3年後の正月合宿の頃には、入会同期の仲間は3人だけになっていました。
例年正月の初日を見ながら訓練宿舎から富士山頂を往復するのですが、その年はたまたま履いている靴の耐寒性能が悪く、オーバーシューズでカバーしきれないと判断し、急遽講習生の世話にまわりました。
それは新人達とじっくり話をするとてもいい機会になりました。
そのときの新人達の目の輝きを今もよく覚えています。
彼らこそ後の海外遠征の先駆けになったのです。
谷川岳は岩場登攀のゲレンデとして特別に位置づけられていました。
南北アルプスの岩場のゲレンデに比べ何処も難度が高く、よくフリーで登る一ノ倉沢南稜テラス経由のルートでもアルプスの難度より高いと思います。
当時、南稜テラスから単独フリーで稜線まで辿れるルートは、その付近の小さなバリエーションを同一ルートに含めると、私は1ルートだけしか知りませんでした。
50年前の話です。
現在はルートの整備が進み、楽に辿れるようになったとの話も聞きます。
しかし、常に油断は禁物です。
昭和35年のゴールデンウイークに同期3人の仲間の一人が谷川岳でフリークライム中に転倒墜落して重傷を負い、9日後に収容先の病院で亡くなりました。
事故当時、私は別グループと北ア涸沢キャンプで活動しておりました。
病院に駆けつけたとき既にご家族も駆けつけており、彼は意識を取り戻すことなく皆に見守られながら、そのまま帰らぬ人になりました。
私はご遺族に申し訳なく、何故か罪の意識で頭が混乱し、只、只、お詫びの言葉を繰り返していました。
その後は登攀を続けながらも、私は頭の整理が着かぬまま、罪の意識が消えず割り切れぬ何かが心残りになったままでした。
夏が過ぎたばかりの9月18日、一ノ倉沢で大きな死亡遭難事故が発生します。
遭難者2名の遺体の収容が技術的に困難を極め、岳連からの非公式連絡で私たちが現地に入ったのは21日でした。
他の会からも数人ずつのクライマーが来ており、それぞれ収容方法の検討を始めておりました。
皆、自分の意思で集まった山男達でしたが、遭難者の属する会からは数十名の会員が動員されておりました。
遭難者のご両親も駆けつけて居られ、スコープで宙吊りのわが子の姿をどんなお気持ちで見ておられたのか、当時を思い出すと今でも目頭が熱くなるのです。(つづく) 相仲 廉(ainakaren)
*続き http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-13275
もしかしてあの事件ですか。
あそこに居られたのですか。
お辛いようなら、どうぞ筆をお止めくださいね。
あの事件ですね…自分は子供の頃に過去の映像という事で見ましたが余りにショックだったのか初めて谷川岳に登攀で行く時にはかなり緊張した覚えがあります。ただ、その時は悪天候で結局登らず谷川岳へはそれっきり訪れる機会はなかったんですがこないだ初めて一の倉沢を見て難度が高いと改めて思っていた所でした。相仲さんがあえてこの話をされる事は知らない世代にとっては意味ある事だと思います。この話を読む事で周りに対しての責任を考える良い機会になってくれたらと思いコメントさせて頂きました。
私は なので、どうコメントしてよいのか戸惑いはありましたが、takanoさんがおっしゃっていることを言葉に出来ずに一晩考えておりました。時に山は残酷でもある事実・・・過去があるからこそ前に進める現実。辛いことをお聞かせいただき、なんと言ってよいのか今の私には良い言葉が思いつきません。でもainakarenさんが“伝えたい想い”は私自身言葉に出来ませんが、受け止めたつもりです。山で亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、ainakarenさんのお気持ちが少しでも楽になっていただければ幸いです。
hirorineさん
takamoさん
kayo-piさん
コメント深謝です。
私、爺のご心配を頂き、申し訳ありません。
書きながら目頭が熱くなりましたが、これは老化現象によるものですから、どうぞご心配なきよう。
知る人ぞ知る遭難事故ですが、誤解も多く伝えられ、それ故一言触れておきたいのです。
ピッケルを置かせ引退を決意させた一連の遭難事故〜、そして昭和36年5月の結婚を期に4月末日付けで退会しました。
それから50年、夫婦揃って来年5月を迎えることができれば金婚式です。
人生はうたかたの夢のように過ぎて行きました。
懐かしく、また侘びしいです。相仲
*年号の記憶に一部錯誤がありましたので字句の訂正をさせて頂きました。(2013年9月22日)
金婚式、素晴らしいですね。改めてプロフ拝見させていただきました。一般軽登山からも間もなく引退されるとのこと。
一度でもいいから(できれば何度でも)山歩きをご一緒できたらとても嬉しいです。
閑○○○爺○はainakarenさんでしょうか
違っていたらスミマセン
一部よく似た内容が書かれていたものですから・・・
来年、元気に金婚式を迎えられますように
そして、また違った の楽しみ方をみつけ、
あきらめずにいつまでも現役でいらしてくださいませ
hirorineさん・コメント深謝です。
体力がすっかり落ちてしまいましたが、楽で綺麗なコースをご一緒できたらいいですね。
例えば、しらび平からケーブルで千畳敷き、宝剣岳から木曽駒・・・倅も小学4年までは一緒によく行きました。
私もここ7,8年行っていませんが晴れていると本当に美しいコースです。
4歳と1歳の孫娘を連れて登るのが夢ですが、彼女達が登れる歳には、たぶん私は登れないでしょう。
最近は富士山麓の宝永山や越前岳、奥多摩の山麓歩きをしています。
昨年、夫婦とも運転免許を返納しバス、電車だけがアプローチです。
富士山麓では倅の車の送迎があり、助かっていますので、その周辺では何とか後2年位は頑張って登りたいです。相仲
kayoーpiさん・コメント深謝です。
4月半ばに小型のワイヤレスノートパソコンを購入し、初めてパソコンに触りました。
ウインドウズ7の解説書と首っ引きで何とか立ち上げ、一本指キーインで何とかyahooとniftyにブログを作りました。
今までに併せて20数本の記事を投稿しました。
1ヶ月前にヤマレコサイトを見つけ、理想的サイトと惚れ込み登録したのです。
ご指摘の記事は、ヤマレコを知る前に私が書きました。
正月富士山の事故のとき、私は婚約したばかりでした。
ピッケルとの決別は、一連の事故を思い悩みつつ決心したのです。
ヤマレコでは漢字のペンネームがユーザーネームと共通に使えませんのでainakarenとし、ペンネームを相仲廉こと相仲廉太郎としています。
インターネットの世の中も意外に狭いですね。
ネット上には自他共に個人本名を書くことは致しませんが、それはセキュリティとID表記を避ける慣例によるものです。
なんだか他社ブログをお読み頂くのは、気恥ずかしいですね。相仲
*年号の記憶に一部錯誤がありましたので、一部字句を訂正させて頂きました。(2013年9月22日)
ainakarenさん、今後も山を歩き続けられることをお祈りします。
ヤマレコは家に居ながらにして山を楽しめる理想のコミュニティですね。私にとって今や大切な存在になっております。
bokemonさん・コメント深謝です。
本当によく出来たサイトで感心してしまいます。
未だほんの一部しか使えていないのが残念です。
画像を付けたいのですが未だ上手くいきません。
パソコンの性能もビット数もメモリー容量も最低水準なので、ソフトをいろいろ背負い込ませると気が遠くなる程動作が遅くなります。
今のところ皆さんの日記と記録を楽しませて頂いております。
プリンターを買って接続したら、さらに遅くなるのでしょうか。
結局はランクの高いパソコンに買い換えることになるのでしょうか。
今から心配しています。相仲
おはようございます。
>体力がすっかり落ちてしまいましたが、楽で綺麗なコースをご一緒できたらいいですね。例えば、しらび平からケーブルで千畳敷き、宝剣岳から木曽駒・・・
レベルが違い過ぎますよ〜 hirorine的には「いつか行ってみたい、そのためにも体力つけてもっとがんばらなきゃ」コースです
まだまだご健脚とお見受けしました
前言訂正します。
是非ご一緒に神奈川の少し高いところあたりの探索歩きをご一緒したいです
hirorineさん・コメント深謝です。
千畳敷のケーブルの下車地点は標高2640メートル程です。
宝剣岳、木曽駒間は最高地点でも2940メートル程で、この間のコースの高低差は少ないのです。
標高差は300メートル程になりますので、東京タワーに階段で登る程度でしょうか。
7月中旬からは残雪も少なく楽です。
ケーブルは一般観光客で混み、待たされますので、早め、早めの行動が必要です。
景色が素晴らしく、歩程は神奈川の丹沢縦走より楽です。
お奨めしたい山ですので、是非一度お出かけください。
山行報告に沢山アップされていますので、ご覧下さい。相仲
yamaaokiといいます。
お尋ねいただきましたので、こちらに伺ってみました。
ainakarenさんの丁寧なお話やみなさんの温かなコメントを読むにつけ、まさにこのヤマレコの魅力を再確認しました。「想いでのピッケル 」は山と仲間を愛する人の記録ですね。
小生の軽い記録が恥ずかしくなりましたが、小生も長く山を愛することができればいいなと思いました。
それにしてもお若い!パソコンへの取り組み方からもお人柄が伝わってきます。
写真もきっと入れられますよ。チャレンジを続けてください。
yamaaokiさん・コメント深謝です。
皆さんの山行記録と日記を読ませて頂き、自分が山に登った時のように、楽しんで居ります。
私の登山形態は昔から極端なリピータースタイルなので、コースの様子を熟知しており、他人の記述内容がよく理解できます。
未知の山の記録では、経験による理解から、想像しつつ楽しんでおります。
パソコンはなかなか上達しません。
古い写真をデジカメでコピーし、SDカードをパソコンに挿して日記にアップしたいと思っています。
頑張ってみたいと思います。相仲
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