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新しく投稿された過去記録は一覧リストのトップ頁に表示され、皆さんに閲覧され易くなっています。
変更前は、過去の記録を投稿しても一覧リストの深部に沈み、閲覧される機会は殆どなかったのです。
時節柄の臨時処置なので、コロナ疫が終熄すれば元に戻るのでしょう。
以前に投稿された過去記録は一覧リストの深部に埋もれていますが、山行記録「全エリアの山行記録一覧」の「すべての記録🔽」にて、1950年から1年間づつ毎年の記録が抽出できますし、「エリア🔽」で山域の指定もできます。
1949年以前の記録は想定外とされ、日付の設定年が無く投稿できませんし、年間記録の抽出閲覧もできません。
私が山に魅せられたのは、1953年10月の奥多摩への鍾乳洞見学でした。
通学用の短靴にボストンバックのピクニック姿でしたが、山渓の美しさに心を鷲掴みにされました(それが私の最初のヤマレコ山行記録です)。
そして山道具のことなど何も知らず、最初は当時流行のバスケットシューズと遠足用のリュックサックで山登りを始めました。
始めてみると直ぐに、滑って歩きにくく、垂れ下がって背負いにくいことが分かり、運動具店で登山靴と登山用ザックを買い求めました。
当時は、皮製で底皮に金具を打ち込んだナーゲル山靴が、通常の登山靴でした。
金具はその形状によりムガー、クリンカー、トリコニーがありましたが、私の買った靴はその全部が付いた縦走から岩登りまで広範囲に使える品種でした。
写真は、履き古した私の最初の山靴、”ナーゲル山靴”です。
靴底の踵を除く周囲に打ち付けたトリコニーが並びますが、他の金具は写真が暗くて見えません。
撮影時は既に履き古したボロ靴なので、爪先部のトリコニーが何個か脱落しています。
ナーゲル靴は、ビムラム靴の普及により1950年代の後半から急速に衰退し、1960年代初頭に絶滅しました。 絶滅理由 ↓
*登山靴の革命「ナーゲル からビブラムへ」↓
https://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-8983
私の体験した登山は1953年以後なので、それ以前の登山事情に強い関心があります。
特に戦争末期から終戦直後の登山です(ナーゲル山靴の時代)。
戦争末期、私は学童疎開先の何事も不自由で、覚悟し我慢するしかない耐乏生活でした。
個人が趣味で山に登るなど認められる時代ではなく、山に入るのは文部省に認定された山岳会の集団での軍事教練登山と、個人の場合は軍務と業務に限られていたと思います。
一般個人が頂上から人知れず下界の写真など撮れば、自粛警察どころか特高警察に逮捕されスパイ罪で処刑されることもあった時代でした。
それでも苦難覚悟で隠密に山に登った岳人が、貴重な写真や記録を残しているかもしれません。
終戦直後の5年間は、衣食住全てが欠乏の時代でした。
47年〜48年は食料事情が最悪で、栄養失調で死ぬ人が出ていました。
個人が趣味で山に登っても咎められない時代にはなりましたが、物資が乏しく我慢と工夫の登山時代だったと思います。
栄養状態が悪く50年頃までは男女各年代ともに、肥満体の人を街中で見かけることがありませんでした。
この状況の戦後の5年間にも、先人達の貴重な写真と記録が残されたと思います。
私は1949年以前(ナーゲル山靴の時代)の写真記録に惹かれます。
お持ちの方は是非とも投稿して頂きたいと思います。
便宜上なら、1950年1月1日の日付まで遡上した投稿が可能ですし、表題と文中に実際の山行年と春夏秋冬を明記して頂けば充分です。
この時代は戦中戦後の当に我慢と忍耐と覚悟の時代であり、現在コロナ渦中にある私達に語りかける何かがあるのでは〜、と思います。ainakaren
*山岳会 戦中の苦悩と戦後の復興↓
https://note.com/chomokinta/n/na22ad6d8f435
*戦前最後と終戦後の登山活動↓
http://www.soka-yamanokai.com/study/study26.html
*架空の山行記録 試験投稿 ↓
「1949年夏 北アルプス穂高連峰縦走架空記録(昭和登山風俗)」
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2342600.html
おはようございます。
流石に、昭和20年代にはまだ生まれていなかったので、父と仲間たちの写真をレコとしてあげました。
趣旨が少し違いますが、楽しんで頂けると嬉しいです。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2343535.html
jikyoonさん、早速ご協力頂き深謝です!
沢山のお写真をご投稿頂き、有難う御座います。
昭和22年〜23年の写真記録は、現時点でヤマレコ最古記録で貴重です。
どの写真もとても興味深いです。
装束、道具、履物など詳細に観察すると、見所満載です。
飯盒のエピソードには笑えました。
飯盒はラジュースにはミスマッチで安定せず、当時は写真のように焚き火で飯を炊くのが普通のことでした。
尾瀬は木道が完備でなく、池塘に近付くことが容易でした。
水面に映った、逆さ人物像は出色の出来ですね。
いい写真です。
57番の写真、女性の履物も興味深いですが、男性の素足に下駄履きにはビックリです。
ここまで、よく登れましたね!
丹沢では、アプローチに下駄履きの人が沢山居りました。
遡行時に、草鞋に履き替えました。
楽しく拝見させて頂きました。
有難う御座います。ren
(追伸)5月20日
追加の写真もいいですね。
懐かしくて涙が出そうです。
私も20日、更に写真とイラスト画を追加し、感想文も追記しました。
架空記録で気が退けますが〜
(再追伸)5月24日
イラストと写真を再追加して、これにて架空山行記録の完成とします。
50年代初頭から、80年代中頃までの登山風俗史と、58年の山の姿を、ご覧頂ければ幸いです。ren
1950年以前の写真記録
* https://www.yamareco.com/modules/yamareco/viewrecs.php?aid=0&cid=&mode=photo&type=all&year=1950
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