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しかし、今では無雪期でも手放せない必需品のようになってしまっている。
最大の理由は登山用のパンツに筒切りのスラックスが用いられるようになったからである。
筒切りのスラックスで雪解けや霜解けの泥道を歩けば、足運びに気を付けていても裾が泥んこになるに決っている。
ニッカーボッカーや昔のスキーパンツならハイカットの登山靴を履く限り泥道でもその心配が無かったのである。
登山ファッションに筒切りのスラックスが登場する契機は1970年代後半から80年代初頭のアメリカンアルピニズムの流行によるところが大きいのではないだろうか。
この時代に山登りを始めた若者達はニッカーボッカーやスキーパンツには目もくれず、ジーンズやショートパンツを履き、チロルハットやハンチングも被らずに、バンダナで鉢巻をしタンクトップを着て自らをバックパッカーと称してヒッピーのように暖かい季節に山野を歩き回り、寒い季節は近郊の岩場や室内練習場にフリークライミングとかボルタリングと称してしがみ付き、自らヨセミテ派アルピニストを自認していた。
そしてヨーロピアンアルピ二ズムの象徴であるチロルハットとニッカーボッカーは見る見るうちに流行遅れになってしまった。
無雪期のストックと熊鈴の常用もこの頃から始まり、ついに後年大流行になったようである。
しかし雪解けや霜解けの泥道が無くなった訳ではないので、スラックスの裾が泥んこになるのを嫌って無雪期にも長いスパッツが必需品のようになってしまったという訳なのである。ainakaren
*当時のアメリカンアルピ二ズム教科書3冊
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-19116
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-18956
http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-18870
アイナカレンさん、ミクニです。
ご承知のように、5月から10月位まで、丹沢では、ヒルがでます。スパッツはそういう意味で必需品です。
ainakarenさんこんにちは。
私が本格的な山登りを始めたのが1967年ですが、
ショートスパッツは出回っていましたが、ロングスパッツはあまり見た事がありませんでした。
その代わりに御承知の通り、底付きのオーバーシューズが全盛時代で、
冬山では、登山靴の保温の役目もし、重宝していました。
ただ欠点は、それだけでは滑るのでアイゼンを併用しなくてはならない事でした。
その後ロングスパッツがあっという間に主流になり、
無雪期まで流行になってしまいました。
山道具や服装の変化はとても興味深いところですね。
前で編んでいくオーバーシューズの写真があるか探してみましたら
私の最初の冬山、鹿島槍の赤岩尾根で撮った写真が
ありましたので貼りつけてみます。
Mikuniさん、こんにちは。
暫らく丹沢に行っていないのですが、そんなに蛭が出るのですか。
ロングスパッツで蛭よけですか。
蛭は隙間から入り込みますから万全ではないかも知れませんね。
薬品の併用が必要でしょうね。ainakaren
kazuhi49さん、こんにちは。
ナーゲル靴の時代は積雪期には底付きのオーバーシューズにアイゼンが主流でしたが、ビブラム底に進化して次第に靴の保温性が良くなると、代わってロングスパッツが主流になります。
そのほうがアイゼンを脱いでも歩けましたからずっと便利なのです。
私が現役時代(1961年迄)はビブラムに代わりましたがまだ底付きのオーバーシューズが主流でした。
当時の先輩(向かって右側)と後輩の底付きオーバーシューズとアイゼン着用の写真を貼り付けておきます。ainakaren
・
*写真をクリックすると拡大できます。
ainakarenさんへ。
山の装備の合理的な使い方にかかわる件ですので、コメント
をします。
この件は、私が以前の日記に書いた問題で、この日記は、
グーグル検索でもいまだにトップでヒットする訪問者の多い
日記になっています。
なぜ? 無雪期の、暑い山で、ロング・スパッツを?
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-9319
今回のainakarenさんの、山ズボンの様変わりとの関連に着想
された視角は、興味深く、またそういう事情もロングスパッツ
が夏山にまで利用されることになった背景になったことは、私も
一面で納得できました。
しかし、当時の経過を実体験してきた私には、より大きな要因
が、ここにはあったように感じています。
ロンスパが、夏山に登場した時期、そのときは、次のような状況
が観察されました。
1)夏山でロンスパを使い始めた登山者は、圧倒的に当時のビギ
ナーでした。
それ以前からの登山者は、ズボンが変わってニッカーから履き替
えても、夏山でロンスパは、使用する人は稀れでした。
ロンスパの利用は、非常用、悪路用として、引き続き特別な場合
の利用に限っていました。
この登山者の層は、その後もずっと、このスタイルを守ってきて
います。
2)ロンスパを夏山で使いだしたのは、個人の登山者からではなかった
と思います。
ツアー登山、百名山登山の流行とともに、パーティーが丸ごとロンスパ
を装着する光景が、短期間のうちに突然に出現しました。
3)また、2)の場合に、特徴的だったのは、登山口からロンスパ
を付け、下山するまで付けっぱなしという、それまでの登山者には
なかったロンスパの装着方法が、登場しました。
ロンスパは、夏の奥多摩にも広がり、東京の立川駅や青梅線では、
電車の車内でも付けたままという登山者さえ普段の光景になりまし
た。
ロンスパは、状況を判断して着脱する山の装備から、判断なしに
常時付けっぱなしにする常用装備に、一時期には変わりました。
4)長ズボンの登場と、1)、2)のロンスパの利用のあいだには、
数年余りのタイムラグがありました。
ロンスパが目立ってきたのは、83、84年ごろからです。
5)2008年ごろから、ようやく、この常時着用という状況に変化
が始まったようです。
上越の稜線でも、夏にロンスパを常時付ける人は、半分を切りまし
た。ツアー登山者も、付ける人、付けない人が、同じパーティーでも
五分五分になってきました。
この時期は、「夏山用」の薄手のロンスパも登場してきました。
ロンスパの世界に再変化の兆しだったのかも?
6)最近の夏の稜線では、北アも上越も、ロンスパの常時着装は、2
割以下という印象です。
条件を考えて、判断して使う装備に、立ち戻ってくれたのならば、
良いことです。
7)最近の山ガール・ウエアのなかでは、ロンスパは、選択するアイテム
(ファッション)の1つで、半ズボンや山スカには、かなり不似会い
で敬遠されつつあり、男子もそれにならっているように見受けられます。
・・・・・結論を言えば、ロンスパ受難の20年が、終盤にさしかかって
いるということでしょう。
本来の意義やフットワークの習熟を回避されて位置づけられている点では、
いまだに受難は続いているのかもしれません。
ロングスパッツは、基本は、雪山の装備。
大事に携行し、ここぞというところで使う。
泥道でも、藪こぎでも、中古を転用可能。
だが、肝心の足さばきを覚えないと、登山者としては、命取りにも。
いずれにしても、判断して使うもの。
判断なしの常時着装は、本来は、的確なアドバイスがいる。
と、以上のように思います。
tanigawaさん、こんにちは。
tanigawaさんのロングスパッツの日記、思い出しました。
そこに私もコメントを致しましたね。
沢山のベテランさんたちの多面的なコメントとあいまって今読んでも、とてもいい日記ですね。
私のこの日記はスパッツに言及していますが、ニッカーボッカーが衰退して筒切りスラックスに交代した背景にアメリカンアルピニズムの影響があったのではないか、夏のストックや熊鈴など登山風俗全体があの当時に変化し始めたのではないかとの仮説がテーマです。
仮に、ニッカボッカーが現在も山岳ファッションの主流であり続けていたら、夏山でスパッツを着ける人は殆んど居なかったと思います。
私の場合、登山装束がアメリカ風に変わったのは1970年代末、78,9年でした。
バンダナ鉢巻とショートパンツは使いませんでしたが、厚手のジーンズは夏山で履いた事があります。
でも、泥汚れ防止にスパッツを使う発想は直ぐには出てきませんでしたね。
夏山にスパッツを持参するようになったのは、4年ほど前の事ですが霜解けの泥んこ道で重宝しています。
山での行動様式や服装、装備は各人習慣のように身に着いてしまい周囲の変化に着いていけないことも多いです。
私の場合、GPSは然ることながら、ザックのウエストベルト、無雪期のストック、熊鈴の常用、などの習慣が無く、時に試みるのですが身につきません。
夏山のスパッツはやっと使うべきタイミングや使用後のケアーにやっと慣れたところです。
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