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芥川賞作品の流麗な文章を読んでしまうと、己が筆不精も亢進してしまいます。
重い筆に拍車をかけて纏めたいと思います。
読了の皆さん向けに書きますが、未読の皆さんへのネタバレが無いよう留意したいと思います。
大昔の岳会時代(1957年〜1961年)、歩荷訓練とアプローチ以外は凡てバリルートでした。
但しパーティー山行が殆どで、集中登山の本番時以外の単独行はありませんでした。
キャンプ地から訓練ゲレンデまでのアプローチは一般登山道ですが、訓練は凡てバリルートです。
当時、チェーンスパイクや沢バイルなどの山道具が無く、それを表す言葉もありません。
積雪の厳冬期は、重登山靴に8本爪か10本爪の鍛造アイゼン(前爪無し)とピッケル1本で登っていました。
無雪の夏山では鳶職用の地下足袋に草鞋の重ね履きで沢を歩き、登山靴に履き替えて藪漕ぎをしていました。
沢道具としてピッケルの木部を半分以下に切断し、短いピッケルに加工して使いました。
岳会には町工場の職工が二人居て、器用に加工して呉れていました。
ザックに縛り付けての下山時、一般登山道で行き合う人から聞こえよがしに「夏の丹沢にピッケル持って来る馬鹿が居る」と云われたこともありました。
当時としては無理からぬ事でした。
私が登場人物の妻鹿さんのように、単独行でバリ山行をしていたのは1970年代です。
半世紀も昔のバリ山行でしょうか。
ヤマレコも携帯電話もGPS機器もありません。
足回りも沢用の山道具も、大昔の岳会時代と同じ物を使いました。
自らの現在位置を知るためには、地図と磁石が頼りでした。
磁北が不安定な場所では、太陽と腕時計で方角を知りました。
妻鹿さんは携帯電話(スマホ)1台でヤマレコもGPS機能も使い熟します。
時代背景によるバリ山行の違いは、山道具以上にシステムの存在にあると思いました。
主人公波多(語り手)の語る瑞々しい自然描写は、寧ろ妻鹿さんの視点の様に思えます。
妻鹿さんは周囲から付き合い難い人間と見られていますが、何処の職場にも「仕事仲間と遊ばない〜遊び仲間と仕事しない」人が居るものです。
この点は、妻鹿さんの個性というより作家の緩い傾向のように思えるのです。
脇役の登場人物達の苗字は、よく知られた登山家の姓と奇妙に一致します。
故人(遭難死を含む)が殆どですが、現役も居られます。
然も性別も一致しています。
作家は脇役登場者達と波多との会話から、登山家の性格を匂わすと読者に思わせておいて、実は其れを巧みに避けているように思います。
但し、読者夫々が持つ登山家への尊敬や偏見が、自然に引き出される巧妙な計算があるように思えるのです。
流石は芥川賞作家、とても興味深く読ませて頂きました。
文藝評論から離れて、拙い感想を纏めさせて頂きました。ainakaren
*短いピッケルと「沢バイル」 https://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-68730
*バリ山行と時代背景 https://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-339805
*私もヤマレコ・・・ https://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-340519
「バリ山行」、自分も今読んでいる最中です。
最近避難小屋泊にハマってまして、その度に持って行って少しづつ読み進めています。
現在は大体半分くらいまで読みました。
前半は波多さんを取り巻く職場環境の話がメインなので正直退屈でしたが、やっと妻鹿さんとバリ山行に行く場面になって面白くなってきました(笑)。
コメント深謝です。
そうですね。
職場の会話に、人物の為人が垣間見えるかも知れませんね。
後半は面白くなりますよ。
楽しみにお読み下さい。ren
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